第三章 キスの味

「本当に送っていかなくていいのか?」

「うん、大丈夫・・今日は早朝練習があるから・・・」

圭子はショルダーバックを肩から下げながら言った。

「いっけなーい、もうこんな時間・・・いってきまーす」

腕時計を見ると、慌てて玄関から出ていった。

何時もは晴彦の車に同乗し、学校まで送ってもらうのだが今日は時間が早いので電車で行くつもりだった。

頬を両手で押えながら足早に駆けて行く。

「もう、やんなっちゃう・・・」

圭子は赤くなった顔が中々元に戻らなくて焦っていた。

父にからかわれたせいなのだが、それにしても異常だった。

胸がドキドキしたままおさまらないのだ。

「どうしちゃったのかしら・・・」

家の門をくぐり、通りに出ると走るのをやめて歩きだした。

しばらくすると家の方に振り返り、小さく呟いた。

「まだ・・・恋人じゃないもん・・・」

少年の笑顔が脳裏に浮かんだ。

「マモル君・・・」

再び少女の頬が赤く染まる。

今の圭子にとってかけがえの無い存在であった。


※※※※※※※※※※※※※※※


『僕、君の事がずっと好きだったんだ』

1ヶ月前にあった中学の同窓会の帰り、家まで送ってくれたかつての同級生に告白され圭子は自分の耳を疑った。

少年はスポーツ万能でクラスでも人気者であった。

勿論、女子高の圭子とは違う高校に通っている。

実は圭子も憎からず思っていたのだ。

久しぶりに会う彼は背も伸びていて、大人っぽく感じた。

ハンサムで甘いマスクは相変わらずで他の少女達も熱い視線を投げていたのに。

少年が選んだのが自分だったという事実に戸惑いながらも圭子は有頂天になってしまった。

『僕とつきあってくれないか?』

少年の問いに圭子は恥ずかしそうに頷いた。

圭子の初恋であった。

先週、二人はデートをした。

夕暮れの公園で圭子はファーストキスを彼に捧げたのだった。

だが、初めての口付けの味は少女の予想とは違っていた。

それは幼い頃から夢見ていたレモンのような爽やかさではなかった。

軽く触れたつもりだったが、目を閉じて背伸びした圭子に重ねられた少年の唇の感触は妙にリアルな柔らかさと、甘さとは程遠い味がした。

嫌だという訳ではなかったが、少しショックを感じていたのだ。

少女から大人になる喜びと寂しさを同時に味わった気がする。

そのアンバランスな感情が圭子を翻弄する。

マモルを想う気持ちは日に日に増していきながら、精神と共に肉体にも変化をもたらしていたからだった。

マモルを想うと身体が熱くなって、夜眠れない事もしばしばあった。

『マモル君・・・・』

圭子がイタズラを覚えたのも、そんな時だった。

『あっ・・あぁ・・・』

指先はぎこちない動きで少女の身体を探る。

『んっ・・んんっ・・・』

未開発ながらも圭子は徐々に喜びを感じ、敏感な場所を少しずつ知るようになっていた。

自分の身体にこんな秘密が隠されているとは思いもしなかった。

(これが・・・)

大人になると言う事なのだろうか。

知識はあっても実際に体験すると不思議な気持ちがした。

(あぁ・・気持ち・・いい・・・)

イタズラする事に罪の意識を抱きながらも少年を想いながら味わう淡い快感に、喜びを感じる圭子であった。

(ママも・・・こんな事したのかな?)

身体に余韻が残るまま眠りにつく少女は何時も同じ事を考えていた。

母のようになりたい。

幼い頃からの憧れは圭子の心に強く根付いていたのだ。

美しく優しい母。

母は圭子よりわずか一年遅い年齢で父と結婚をした。

父と愛し合い、自分を生んだ。

(わたしも・・ママのように・・・)

眠りにつく時はいつも夢の中で少年と結ばれる事を願う。

それが少女のささやかな楽しみだった筈なのに。


※※※※※※※※※※※※※※※


『い、いやぁ・・・』

しかし、昨夜の夢は最悪であった。

目覚めた時、圭子は汗をビッショリかいていた。

『はぁっ・・はぁっ・・・』

荒い息を吐く少女の細い肩が小刻みに震え、目は虚ろに宙をさ迷っていた。

『いやっ・・いやぁ・・・』

おぞましさを振り払うように何度も首を振った。

それでも悪夢はしつように脳裏にこびりつき、圭子から生気を奪っていた。

最近の寝不足のせいもあったが、今朝の顔色の悪さにはそういう訳があったのだ。


※※※※※※※※※※※※※※※


「いやっ・・大嫌いっ!」

今も駅に向かう途中で、愛おしい少年の面影を押しのけるおぞましい男のイメージに対して少女は嫌悪感一杯の言葉を投げた。

(ひどいっ・・ひどいよぉ・・・)

涙ぐんだ瞳は怒りの色に染まっている。

不条理というには余りにも悲惨な夢だった。

(どうして、あんな奴に・・・)

いくら夢とはいえ、信じられない事だ。

自分が許せない圭子だった。

「ごめんね、マモル君・・・」

か細い呟きは駅の人ごみの中で消えてしまう。

まるで自分の未来を暗示するかのようで、少女の胸に不安が広がっていくのだった。

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