第二章 三度目の訪問
「ごちそうさま・・・」
「あら、もういいの?」
席を立とうとした圭子に母が心配そうに尋ねた。
食べかけのトーストと手のつけていないベーコンエッグが皿に残されたままだ。
「食べたくないの・・・」
力のない声に、晴彦は新聞を読むのをやめて娘を見た。
(少し、痩せたんじゃないかな?)
何時も溌剌としていたのにこの頃、元気が無いように感じる。
「せめてお茶だけでも飲んでいったら?」
香奈子がすすめるままレモンティーを一口すすったが、すぐにカップを置いた。
苦そうな顔をしている。
つい最近までは嬉しそうに飲んでいた筈だ。
『パパのお友達にいただいたレモンティー、凄く効くみたい・・ほら、やせたでしょ?』
朝食のたびに自慢げに話していた圭子は二度目に竹内が訪問した時などは香奈子を手伝って料理も作って、もてなした程なのに。
それが、奴が昨日三度目に来た時は殆ど口をきこうともしなかったのだ。
さすがに、毎回夕食を共にさせるのはまずかったかと後悔していた。
いくら昔の友人とはいえ、家族にもてなしを強要する事もなかったのだ。
只でさえ忙しい晴彦にとって家族団欒は貴重な時間であるのに。
「ううん、本当にいいの・・昨日、余り眠れなかったから・・・」
「そう・・・大丈夫かしら、熱はない?」
心配そうにオデコに手を当てる妻は反対に元気そうに見える。
一時はダイエットしすぎたのか、やつれて見えた時期もあったが今は顔色も良く益々若返ったようにも思える。
『女は弱し、されど母は強し』
ふと、そんなフレーズが頭に浮かんだ。
(いや・・・)
晴彦は直ぐに否定した。
(香奈子が、強いんだ)
お嬢様育ちの妻は一見、ひ弱そうに見えるが実は芯の強い女である。
(昔からそうだった・・・)
竹内の訪問でも、粗暴な態度に眉をひそめる時もあるが概ね優しい気遣いと毅然とした態度は崩してはいない。
実際、我が友人ながら奴の態度では普通の女性は敬遠すると思うのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
『いやっー、うまいっ・・・最高だぁ』
大声で料理を誉めるのはいいにしても、クチャクチャと音をたてて食べたりするマナーの悪さには晴彦でも閉口するものがある。
タバコも始終火をつけたまま離さない。
あれでは料理の味も台無しだ。
さすがに我慢の限界なのか、圭子も途中からはジュースばかり飲んでいた。
『圭子、もう自分の部屋に行きなさい』
見かねて晴彦が言うとホッとした表情で席をたったのだ。
『おやすみなさい・・・』
挨拶する圭子に竹内が大声を出した。
『おやすみっ・・・
圭子ちゃん、いい夢みなよっ』
酒に酔った真っ赤な顔と脂ぎった唇がまさに獣のように見えた。
※※※※※※※※※※※※※※※
圭子は逃げるように部屋を出て行ったのだ。
もうこれからは奴を連れてくるのはやめようと思った。
家族を巻き込む必要など無いのだ。
たとえ、奴がどんなに家に来たいと言っても。
もっとも、三度も訪問すれば十分だろうと思った。
いくら家庭の味に飢えているとはいえ、気を使うだけでそんなに楽しいものでは無い筈だ。
(それに・・・変な事を香奈子に言われても困るしな)
このところ、帰宅が遅くなる事が多い晴彦は少し後ろめたさを感じていた。
だが幸いにも妻は不機嫌な素振りは見せてはいない。
内心では穏やかでは無いかもしれないが、しっかりした性格の香奈子は決して自分を責めたりはしないのだ。
それが晴彦にとって良い反面、息苦しく思う時もあったが。
「今日は学校を休んだら・・・?」
香奈子が心配して言う程、圭子の顔が青ざめて見える。
「ううん、今日は友達と会う約束があるの」
「デートかな?」
晴彦は娘の気を引き立たせようとわざと明るい声で言った。
「ち、違うよぉ・・・」
圭子の顔が赤くなる。
「真理達も一緒だから・・・・」
「圭子も年頃だしな・・・」
そう言って笑みを浮かべた。
口ごもる表情はそれでも生気が戻ったようで少し安心したのだ。
「そんな事言って・・・本当は娘を取られたくないくせに」
「確かに・・・」
香奈子がからかうとおどけた顔を作る。
「パパもママも、そんなんじゃないって言ってるのにぃ」
恥ずかしそうに部屋を飛び出していく娘を見た後、父と母は顔を見合せた。
「フフフフ・・・・」
「ハハハハ・・・・」
朝のダイニングに笑い声が響いている。
道行く人の耳にも幸せそうに聞こえているだろう。
爽やかな秋晴れの朝、それは竹内が初めて訪れた日から三ヶ月程過ぎた頃の事であった。
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