第15話 拘置所での物語

 「クソ、押すなって!」

 「抵抗するな、不法滞在者め!」


 「抵抗もクソもないだろ、みてよ俺の手首こんなんよ!」

 「うるさい、貴様のような犯罪者はその気になれば手を縛られていても暴力を振るうだろうよ!!」


 どうやってだよ、とハルヒサがツッコむよりも速く、彼を連行していた警察官の手によって彼は牢屋の中に放り込まれた。ちぃ、と舌打ちをする自分を尻目に今歩いてきた道を戻っていく警察官にギャンギャンと文句をハルヒサは飛ばしたが、すぐにその声が反響するばかりと知り、ため息をついて、壁に背中をあずけ、あらためて自分がいる場所に目を向けた。


 牢屋と言われてよくよく想像する簡素な灰色の一室だ。鉄製の扉を一枚隔てた先は廊下につながっている。部屋の造りは簡素なもので、ボロボロのベッドが一台と簡易便所がひとつだけ。ふと上を見上げると、鉄格子から太陽の光が差し込んでいたが、二メートル半以上の高さがあり、ジャンプしても届きそうになかった。


 改めて見ると牢屋じゃなくて独房だなこりゃ、とハルヒサは独りごちる。何人かの囚人が鮨詰めにされている牢屋と違って、この部屋は一人のためのベッドしかない。


 あーあ、とハルヒサはベッドに腰をおろす。その直後、ぎしぃ、という音が鳴った。


 「うーわ、相当なボロベッドじゃん。てか、なんでこうなった?」


 思い返しても色々と釈然としない。具体的には捕まった経緯と、その原因が。


 事務所を訪れた二人の警察官は「キスタが逮捕されたから」と言った。外出して半日足らずで何をしでかしたらそうなるのか、頭痛を覚えるようなフットワークの軽さだ。この場合、悪い意味での。


 この世界の常識も何もかもがろくすっぽわからない状態、元の世界に戻れるかどうかもわからないくらい絶望的な状態だって言うのに、一体どういうルートを辿れば豚箱ルートに入るのか。それも自分のせいではなく、他人がのせいで、牢屋にぶち込まれるなど、冤罪もいいところだ。


 「——いや、冤罪じゃないってのははい、まぁそうなんでしょうけど」


 市警の二人が言っていた市民証や都市滞在許可証とやらは、このマウト市で生活する上の必需品のようなものなんだろう。マイナンバーカードやパスポートやVISAのようなものと考えればわかりやすいかもしれない。


 身分証明書を持っていない推定成人男性を怪しむのは警察ならよくあることだ。元の世界でもたまに職質をされているサラリーマンを見たことがある。そういうのがあるなら教えとけよ、とぶーたれるハルヒサは頬を膨らませ、むくれた。


 それでも問答無用でいきなり手錠とは一体どういう了見なんだろうか。このように豚箱にぶちこまれてもなお、手錠を掛けられたままでなんだか怪しいくらいに警戒されているのはどこかむず痒さと胸騒ぎを覚えた。


 「あーくそ、ほんとくそ」


 惰性混じりにふと耳を隣の部屋にむけてみると、くそくそ、と悪態づく声が聞こえた。



 ハルヒサがそんな愚痴をぐちぐちとくっちゃべっている中、一方でその話の種である二人の市警、ダット・アンダースタンドとメーテル・サンライトは逮捕した当人について、同じ建物内の食堂内で話し合っていた。


 ダットはデーマン、メーテルはヒューマンである。ダットは左右のこめかみにシミがあり、変身するとそのシミの中から黒いツノが現れ、ダット本来の姿になる。シミを除けば外見はヒューマンと大差なく、顎髭を生やした中年男性と変わらない。メーテルは黒髪の女性で、スーツ姿がよく似合うスラリとした体型である。それでもダットの方が体躯として優れているのは種族差ゆえだろう。


 「例の少年、色々と怪しい要素がてんこもりですね」

 「捕まって車に乗せるまで、さんざん『かみさまー』とか言っていたからな。復古主義者にしても、あんな大それた真似をするやつはいねーよ」


 ずず、と黒豆茶コーヒーをすすりながら、ダットは答える。ダットに支持され、メーテルは「そうですよね!」と声を張って意気込んだ。


 先輩に褒められたことが嬉しいのか、部下いぬはわんわんとライカンスロープでもないのに尻尾を振る。それを微笑ましいな、と思うダットにメーテルは続けた。


 「極めつけは彼が天を仰いだときにした手の形です。こうやって、あ。いえ、先輩。私は決して教徒ではありません、ただ」


 「あーわかってるわかってる。あのクソガキが祈ったときの作法だろ」


 挙動不審になったメーテルをなだめるダットは彼女の手元の「合わせられた手のひら」を見つめた。「両手の貝合わせ」と呼ばれるハンドサインはマウト市に限らず、この世界で見ることはほとんどない曰く付きのハンドサインだ。


 通常の祈りの作法ポーズは両手を組む。対して、ハルヒサが捕まったときにした作法はそれではなく合掌だ。そんな作法をする人間はこの世界ではほとんどいない。


 「——事情を知らない子どもがやってる、ならまだ色々と納得はいかないまでも、理解できなくはありません。でも大の大人が、しかも不法滞在者がどうどうにそれをやるというのは怪しさ満点ですよ」


 「尋問をしてみる価値はあるだろうな。だが、慎重にやれよ?教徒だったとしたら、いやむしろその可能性が高い人間なのだから」


 「わかっています。念の為、手錠で魔力は封印しています」


 それでいい、とダットはうなずく。魔術師でなくても魔術が使えるマジギアの一種である封印錠はそれこそ相手が魔法使いでもない限り、完全に魔力操作を封じる。それは魔術師にとって手足がもがれるに等しい。


 じゃぁいくか、と席を立つダットに、はい、とメーテルは答える。そうして二人の向かった先、灰色の部屋には独房から連れてこられたハルヒサが不貞腐れた顔で座っていた。


 「——とりあえず名前を聞きましょうか」


 ハルヒサの対面に座ったのはメーテルだ。部屋の壁にもたれかかるダットに警戒の眼差しを向けながら、ハルヒサは彼女の問いに答えた。


 「ふむ。セナ・ハルヒサですか。珍しい名前ですね」

 「何人かに言われたよ」


 「物怖じしないんですね。一応、こうして捕まっているのに」

 「へりくだったら逃がしてくれるの?」


 「まさか。それをしたら警察失格です。貴方の容疑、今一度復唱しましょうか?」


 痛いところを突かれ、ハルヒサは閉口する。減らず口を黙らせたことに一抹の満足感を覚え、メーテルはその翠眼をハルヒサに向け、刑事の顔を浮かべた。途端、ハルヒサの眉間にしわがよった。


 「まず、いくつか質問します。最初の質問は、そうですね、どのようにして都市に侵入しましたか?」


 「侵入?どういう意味だよ」


 「言葉のままです。貴方はどうやってこのマウト市に侵入したのですか?」


 「ちょっと待ってくれ。侵入っていうか、俺は気がついたらこの街にいたんだ。だから」


 戸惑う姿を見せるハルヒサにメーテルは胡乱な瞳を向ける。有体に言えば「何言ってんだこいつ、という疑念の眼差しだ。


 「冗談ならもう少し考えて言ってください。そんな嘘が通用すると?」

 「嘘じゃない!俺は本当にいつのまにか、この街にいたんだって!」


 「ふむ。——先輩、これ以上侵入路についての話をしても埒が明かないようなので、別の話に切り替えても?」


 上体をぐるりと回し、メーテルは壁にもたれかかっているダットに伺いを立てた。好きにしろ、という意味を込めてダットは手を振る。


 「ではセナくん。次の質問に移ります。この都市に来た目的はなんですか?」

 「え?いや、だからいつの間にかこの都市にいたんだって。だから目的とかそういうのはないって」


 「しらばっくれる、と。では貴方はなにか信仰している教えはありますか?」

 「教えって、宗教のこと?」


 「しゅうきょう、ですか。随分と古い言葉を使うのですね。ますます怪しい」


 なんでだよ、とハルヒサは声を張り上げてメーテルを睨む。それを敢えて無視して彼女は別の質問をした。その度にハルヒサは怪訝そうに眉をひそめ、知らない、わからない、なんでそうなるんだ、と同じような返答を繰り返した。


 すべての質問を終え、ハルヒサを探るような目をメーテルは向けた。目の前に映る少年の黒く濁った瞳は、その字面の通りに澱んでいて上人しょうにんに見えないが、しかし嘘を言っているようには見えない。嘘を言っている人間ならもう少し頭がいいことを言っていいはずだ。


 凡愚で木偶。ゴングが鳴れば走り出す鎧牛がいぎゅうのような馬鹿の類であるだろう。目の前の少年をメーテルはよく知らないが、そんな一本筋の通った馬鹿正直だとは思う。そんな今時珍しい絶滅危惧種がはたしてどうして市内に不法侵入ができたのか、はたまたしたのかがわからない。


 「最後の質問をします」


 質問攻めをされて辟易したハルヒサはその言葉に表情が明るくなった。このあたりからも馬鹿が漂っている。恐ろしいほどに自分に正直だ。


 「断罪教会という組織をご存知ですか?」

 「なにそれ。厨二病?」


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