第14話 アスクライド・ファミリアの事務所にて
事務所を出たキスタはその足で地下鉄の駅へと向かった。
マウト市の移動手段と言えばもっぱら無人回送車か地下鉄と相場が決まっている。移動をする上でとても便利で、街の外周、内周上下左右どこへでも手軽に行けると言うのは魅力的であるのだからまさしく、利便性の塊と言える。
地下鉄はぐるりと市内を一周する山手線のような環状線と、一部の重要施設同士をつなぐ幹線に分けられる。多くの場合、前者よりも後者の方がスピードは出るが、利便性では劣る。
環状線はリング状に地区を跨いで存在していて、外周を走る列車も含めれば10本の路線が走っている。キスタが向かっている駅を通る地下鉄も環状線だ。
駅へ通じる階段はストリートの端、車道沿いにあり、それは地球における地下鉄の入り口とそう大差のない形だ。階段を下ると途端に熱気が増し、視界が暗くなる。中の明かりは微々たるもので、地下洞窟のようだ、とよく揶揄される。事実、地下ではあるから否定も難しい。
階段を下り終えたキスタはすたすたと切符売り場へと向かった。手袋越しに切符の発券機のボタンを押し、切符を印刷する。発券されたのは黄色の切符、2.5ガット区間内なら行ける切符だ。
それを改札口に通し、キスタはホームに出る。数分ほどしてファーンという警笛を鳴らして地下鉄がキスタの前に走ってきた。キキィというブレーキ音が鳴り、ポーンという音とともに扉が開く。
『シッター通りー、シッター通りー。暮らしの友達、リビング家具本店はこちらでございまーす』
到着のアナウンスを聞き流しながら、キスタは乗車する。車内にはまばらに人が乗っていて、誰も彼もが手元の水晶端末を覗き込んでおり、前のめりになったまましきりに指でその画面を操作していた。
水晶端末はこの時代のほぼすべての人間が持っているマジギアの一種だ。霊信会話や霊信通信網アクセスなど幅広い用途に使われる。この場にハルヒサがいれば「スマホじゃん」と言うだろう。
そんな日常に不可欠なツールを操作するというありふれた現代の光景を横目で眺めつつ、キスタはおもむろに衣服のポケットから年代物の懐中時計を取り出した。カチカチという音を立てて秒針を動かす時計は午前10時ごろを示していた。
10時半か過ぎごろには着くかな、と地下鉄に揺られながらキスタは心の中でつぶやいた。向かう先はアスクライド・ファミリアの事務所、言うなればマフィアの本拠地だ。
キスタの目的はただ一つ。これ以上、ハルヒサのことをアスクライド・ファミリアが追わないようにすることだ。
昨日は知らない体を装ったが、キスタも色々と仕事をする傍ら、アスクライド・ファミリアのことは知っている。彼自身が直接関わったことはないが、その被害に遭っている、逆に保護を受けている人物からの話では、とにかく大きな組織であるという話だ。
名前を聞くようになったのは90年前からだったとキスタは記憶している。当時のマウト市の裏社会は複数の非合法組織がしのぎを削っていたが、ある時下層から現れたアスクライド・ファミリアによって瞬く間にそれらの組織は駆逐され、現在のアスクライド・ファミリア一強時代が幕を開けた。
アスクライド・ファミリアの力は強大だ。組織の大きさもさることながら、その傘下にもまた実力者が揃っており、並大抵のことでは揺らがない強固な地位を確立している。
表向きのアスクライド・ファミリアの仕事は建築業者だ。より正確には建築関係のあらゆる仕事を統括している複合会社である。裏社会のみならず、表社会でもその影響は計り知れない。
そんなアスクライド・ファミリアの取引現場らしきものを見てしまったハルヒサを彼らは見逃すことはないだろう。背後関係を徹底的に洗い出し、そして用済みとなれば迷わずハルヒサを彼らは処分する。
組織の形態を考えればそれは合理的で、特に裏路地の奥で行われていた秘密の取引となれば、いっそう彼らは躍起になることは想像に難くない。時間をおけば殺し屋や探偵くずれを使う可能性すらある。
「話し合いで解決できればいいんだけどねー」
列車が発車してしばらくして、赤い宝石が嵌め込まれたアミュレットをいじりながら、キスタは独りごちる。それに答えるようにして、不意に脳内に彼の聞き知った声が響いた。
『無理なら焼けばいい。いやむしろ焼かせろ』
「過激すぎない?さすがに焼いちゃまずいでしょ」
頭の中に響く声にキスタは応える。声の主はキスタの回答にため息を吐き、再び「焼かせろ」と連呼した。
「ラースはすーぐそうやってなんでもかんでも焼こうとする。だめだよー、そういうんじゃ」
『焼くのがもっとも手っ取り早い。だから焼かせろ』
だめー、と両手でばってんを作り、キスタは口をへの字に曲げた。周りの客は突然独り言を話し始めたキスタのほうを一瞥するが、すぐにまた手元の水晶端末へ視線を通した。キスタにダメ出しをされ、それまで響いていた声は不満げに唸った。
『だが、相手は非合法組織。犯罪者の集まりだろう。火刑こそ望ましい』
「それをやると勢力の均衡が崩れるんだよ。アスクライド・ファミリアが潰れると、それまで排斥されてた勢力がマウト市に入ってきて裏社会が混沌になっちゃう」
『ならばそれも焼こう。来るもの全て焼いてしまおう』
「過激過ぎぃ!!小説の中の独裁者じゃないんだから!!」
『過激なものか。根こそぎ焼いてしまえば反抗勢力など起こらない。犯罪者も出てこない』
「俺らが犯罪者になるでしょーが!!あんまりいうやつはこうしてやる!!!」
そう言ってキスタは持っていたアミュレートの紐を掴むと、ブンブンと振り回した。振り回されたアミュレットからは絶叫がこだます。しかしその声はキスタ以外には聞こえず、傍目から見ればさっきまでずっとブツブツと独り言を言っていた怪しい少年が突然ぐるぐるとアミュレットを振り回し叫び出していた。
必然、何人かは水晶端末を耳元に近づけ、連絡を取ろうとする。通報されることを察し、キスタはフードをかぶり、別の車両へと走った。
「クソー。バカのせいで追い出されちゃったよ」
『おろろろろろろろ。三千世界が濁流に呑まれておる——』
「いい気味だねー。まぁいいや。いまどこだっけ?」
そう言いながらキスタは扉の頭上で光っている伝照板を見上げた。伝照板には「次はバクテット通り」と表示されていた。
「なんだ、もうすぐじゃん」
ほどなくして列車は停車する。左右横開きの扉が開き、下車するキスタは改札へ向かって歩き出した。地下鉄のホームから改札口を通り、階段を登ると、もうそこはシッター通りとは別の光景が広がっていた。
通りの幅はシッター通りよりも広く、建物の作りはどことなく異文化の印象を受ける。石造りであることに変わりはないが、シッター通りなどに見られる厳かでオリエンタルな雰囲気はない。
からみつく蛇、太い蔦、竜鱗のごとき樹皮を思わせる彫刻が彫られた家々が多く、そのいずれもがやはりシッター通りのほとんど表通りの建物と同じで一階、二階に飯屋を構えていた。そのいずれもシッター通りではまず見ない異文化の食べ物で、じゅるりとキスタは生唾が口から溢れそうになったが、それを我慢し、先を急いだ。
通りのほとんどは屋根付き歩道で、それも決して立派なものではなく鉄パイプと布を組み合わせた極めて雑な雨除けにすぎない。おかげで通りに出てすぐのキスタは、もう夕暮れになったのかと勘違いをしたほどだ。
そんな表通りをあとにして、キスタは裏通りへと入っていく。裏通りは車が一台通れる程度の狭さで、歩道もない。道路の左右に避ける人々もまばらで、陰気な雰囲気が漂っていて、表通りほどの華やかさはなく、ごくごくありふれた住宅街が広がっていた。
入り組んだ道を歩き、やがてキスタはとある人気のない建物の前に立った。その建物は表向きのアスクライド・ファミリアの企業ビルではなく、本来のアスクライド・ファミリアの事務所、マフィアとしての彼らの事務所だ。
「ん?妙だね」
『どーした、キスタ』
事務所の玄関口に立ったキスタは眉を顰め、その鉄製の扉を指差した。何の変哲もないどこにでもありそうな扉だ。しかしなぜか、その左右には誰も立っていなかった。マフィアの事務所だというのに見張りも誰も。
嫌な予感がした。アミュレットを構えたまま、キスタはドアノブに手をかけた。キスタの身長を考えれば握るのではなく、つまむようにしてドアノブをつかみ、力を込めてひねって押すと、扉から電流のようなものが走った。
結界が壊れたのか、とすぐに事情を察して、再びキスタがドアノブを握ると、今度は電流のようなものは走らなかった。意を決してドアノブを捻ると、今度はなんの抵抗もなく開き、同時にキスタはただよってきた鍵慣れた匂いに眉を顰めた。
薄暗い扉の向こうから漂ってきたのは鉄と血の匂いだ。鼻腔を伝うその香りは霧吹きのような印象を受ける一方、粘土のように舌先にのしかかり、歯の上に生暖かい唾が歯茎の間からこぼれ出た。
生じた唾を飲み込み、キスタはラースクライが宿った赤のアミュレットに次いで、緑のアミュレットも取り出した。『アキューズ』と彼が唱えると、そのアミュレットに宿ったカーバンクルが反応し、風の護りを彼に与えた。
入って間もなく、キスタは瞠目した。倒れているアスクライド・ファミリアの構成員と思しき男を目にしたからだ。彼の身長の3倍はあろうオーガで、それが顔面の半分を潰されて絶命していた。見れば、その近くにはヒューマンの死体もあり、こちらは両足が折られ、胸が潰されていた。
玄関口の廊下ですらすでに死屍累々の屍山血河が広がっていた。周囲に視線を向ければ廊下の奥へ行くにつれて死体の数は増していった。
「——死んでからそこそこ経ってる。死後硬直でかちんこちんだ」
『おい、触っていいのか?』
「まーまー。そこはいいじゃん、べつに」
瞳孔の具合を確認しながらキスタは死体の状態を確かめる。いずれの死体も鈍器のようなもので頭や胸を潰されており、その一撃は即死級だったと考察できる。
死体は千差万別だ。ヒューマン、オーガ、エルフ、デーマンそして、ライカンスロープ。中には仕立てのいいスーツを着ている死体もあり、それらは念入りに胸をつぶされた後に頭を潰されていた。
見る限り、事務所内の全員が死亡していた。アスクライド・ファミリアの事務所に常駐しているだろう、凄腕達も軒並み死亡しており、その凄惨な光景に見慣れているはずのキスタすらたまらず、目をそらした。
「——なにがあったんだ?」
首を傾げるキスタは直後、不意に聞こえてきた悲鳴に気づき、アミュレットを片手に振り返った。それは下層、つまり一階から聞こえてきた。なんだろう、と一階へ通じる階段へキスタが走ると見慣れて衣服を着た二人の男が何やら水晶端末へ向かって叫んでいた。
青い制服、市警の巡査だろう。まずいな、と腹の中で舌打ちをこぼすキスタはどうやって彼らを回避するかを考えていると、そのうちの一人がキスタに気づき、おい、と彼に向かって声をかけた。
呼び止められ、逃げようとするキスタに彼らは銃を向ける。パン、パンという威嚇射撃が事務所の中にこだました。
「つ。これは」
『焼くか?というか、焼かせろ』
「いや、ここは。事情を話す方が早いな」
ため息をもらしながらキスタは足を止め振り返った。両手を上げ、階段の上で待つキスタを見る彼らの目は人間を見るものの目ではなく、完全に化け物を見ているかのようだった。
「クソ、しくったなー」
その日、魔法使いは逮捕された。その両腕に手錠をかけられ、その身柄は市警の警察署に連行された。
*
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます