第16話 少女の視る世界

 少女は仰ぐ。ひたすらに自分を嘲笑うかのようなまっさらな空を、雲ひとつない晴れやかな青空を、充血した瞳に怒気をはらみながら、真っ白になってかじかんだ足をひきずりながら、信念で以て、惰性で以てただ路地を歩いていた。


 少女の格好は白いボロボロのドレスに灰色の布切れを巻いたアンバランスで、対照的な姿で、金色の短髪、翡翠の瞳、そして丸みを帯びた長い耳という特徴的な姿をしていた。耳にはピアスを付けていた穴があり、乱暴にむしり取られた跡があった。


ここはマウト市の一角、どこにでもある薄汚れた路地裏だ。灰色の壁が左右に見え、立ち並ぶ建物もどこか薄汚れてみすぼらしく、よくよく手入れされていない垢のついた窓が目立つしみったれた場所で、そこにたまっているのは少女とそこまで年の変わらない女達から、ふくよかな胸を持ちながら頬のこけた年増と多様だ。


 彼女らの顔に覇気はなく、目の下には歪んだ隈があり、その視点はどこか遠くを見つめているものがほとんどだ。その肌は汚れていて泥だらけ、垢まみれだ。


 彼女らの装束は少女以上にみすぼらしい。ボロボロのスカートはところどころほつれており、それをなけなしの布で継ぎ足したボロ雑巾のようなツギハギスカートだし、白が売りだろうブラウスなどは泥が混ざって茶色く濁っていた。


 種族は様々、ヒューマンはもちろん、エルフやドワーフ、ライカンスロープ、オーガ、デーマンと数えればキリがない。一様に暗く曇った表情を浮かべていることだけがこの通りの女達に共通していた。


 不意に車の停まる音が聞こえた。それと同時に虚ろな眼差しのまま、路傍で丸くなる女達は顔をあげ、停車した車から降りてきたそれなりに身なりのよさそうな男に視線を向けた。


 男はライカンスロープで、灰色の狼の頭を生やしていた。その毛並みの美しさからそれなりの階級であることがわかる。まだ日も落ちていないのにこんな場所に顔を出せるのだから、きっと大層な上客なのだろう。


 それを知ってか知らずか女達は男の元へと群がっていく。少女も同様に男の元へと走っていく。


 群がってくる女達を男の背後に控えていた屈強な二人のオーガが振り払う。容赦のない剛腕の一撃が直撃した女達はくるくると空を舞って、地べたに叩きつけられた。ぐちゃり、と皮の内側で肉と骨が砕ける音が聞こえた。


 「——寄るな、穢らわしい」


 ぺっと血を流す女に唾を吐き、男はすたすたと路地の奥へと歩いて行ってしまった。残ったのはオーガに殺された女達の死体と、それを漁る女達だけ。少女は他の女と同じように死にかけの女に手を伸ばし、その衣服を剥いでいった。


 剥いで行く最中、少女は思う。どうして自分はこんなことをしているのだろうか、と。ほんの二週間前までは、こんなことをする必要もなかったのに。



 すべてを失った日の午前中、少女ことストーリャ・クラッシュはお気に入りのドレスを着て祖父の職場を訪れていた。お気に入りの白いドレスを赤いブローチで飾り、ちょっとだけ大人ぶって買った小さなバッグ、ポシェットを首に通し、彼女は職場の入り口に近づいた。


 職場の入り口には大柄のオークと小柄のヒューマンがいて、二人はストーリャの接近に気がつくと、姿勢を正して「お疲れさまです!」と声を張って挨拶をした。そんな二人にストーリャはうるさい、と怒鳴り返す。すいません、と頭を下げる二人を、彼女の後ろに立っていた護衛が殴りつけるが、ストーリャは我関せずとばかりに気にすることなく建物の中に入ると、祖父の待つ書斎へと歩いて行った。


 ストーリャはアスクライド・ファミリアの首領であるベルゴール・クラッシュの孫娘である。だから彼女が前を通るたびに事務所内の人間は誰もが頭を下げるし、少しでも気に食わないことがあればいつでも彼女は怒鳴り散らせる。


 その日も書斎に行くまでの道すがらに出会したファミリアの下っ端であろう背中の丸まった男が下卑た目を向けてきたからその顔に蹴りを入れた。首領の孫娘にいやらしい目を向けたきたのだから、当然のむくいだ、と声を荒げるストーリャを止める人間は誰もいなかった。むしろ抵抗しようとする男を彼らは全力で止めた。


 男を蹴っていたせいで、靴が汚れたのは言うまでもない。すぐさま代わりの靴を護衛を務めていたヒューカ・トレンブルに命令して持って来させた。それを履き、書斎を訪れたストーリャを待っていたのは満面の笑みを浮かべ、両手を広げる大男、ベルゴールだった。


 野山のような体躯のベルゴールにストーリャは無邪気に抱きつく。抱きつかれたベルゴールはよしよし、と可愛い孫を撫でながら、よしよしとその矮躯をめでた。そこには普段の冷徹な首領の顔はなく、ただひたすら孫娘を愛でる好好爺の顔だけがあった。


 「よくきたなぁ、ストーリャ。ここまで来るのは大変じゃなかったか?」

 「大丈夫だよ、おじいちゃん。車に乗ってきただけだもん」


 「おお、そうかそうか。実はおじいちゃんはまだ仕事があってな。居間で待っていてくれないか?」


 「えー!おじいちゃんが今日は遊んでくれるんでしょ!!」

 「本当にごめんな。すぐに終わらせるように頑張るから!!」


 ぶーとほおを膨らませるストーリャはぷんぷんしながら、室内から出て行った。バタン、という強い音を立てて執務室から出てすぐ、扉の前で赤髪の男に出会し、その男は申し訳なさそうにストーリャに頭を下げた。


 その男はストーリャとも、オーガとも違った見た目だった。外観は一見するとヒューマンと変わらない。長躯で、肩幅も広く、生粋の偉丈夫だ。しかしその頭部、具体的には耳のあたりが違っていた。彼の耳はこめかみを飛び越え、側頭部から頭頂部近くまで伸びており、その形は狼の持つ三角耳に近かった。


 いわゆる混血種、あるいは混雑種。ヒューマンとライカンスロープのハーフである。その証拠に彼が口を開くとヒューマンよりも立派に発達した犬歯が顔をのぞかせた。


 その男、ジョルジュ・ストームをストーリャはよく知っていた。彼女が今よりも幼い頃、路傍で倒れていたところを助けた、言うなればわんこ君だ。それが今ではファミリアの若頭であるというのだから世の中はわからない。もっとも、その若頭は平身低頭の姿勢でストーリャに頭を下げているが。


 「お嬢が来るって首領も喜んでたんですが、色々と事情が重なってしまって」

 「おじいちゃん、なにかあったの?」


 「すいません、これは首領に口止めされていて、お嬢にも話せないんです。気になるなら首領に聞いてみては?」


 「ジョルジュが私に逆らうなんて珍しいわね」

 「すいません、お嬢でもこればっかりは」


 恐縮しきったジョルジュを一瞥し、ストーリャははぁ、とため息をこぼした。傲岸不遜、わがままなお姫様であるストーリャでもある程度の分別はある。かと言っておとなしく待っているというわけでもなく、ジョルジュを呼んで彼に馬乗りになると、居間に置かれた机の周りを歩かせたりしていた。


 周りに立つ彼女の護衛はその様子を無我の表情で見つめていた。笑うでも呆れるでもなく、無表情のまま直立不動を「休め」の姿勢のまま貫き続けた。よくあること、ありふれた日常の風景、ツッコンでは負け、とわかっている彼らはひたすらに沈黙を貫き、目の前で痴態をさらす上司を無言で見つめていた。


 そんな茶番と暇つぶしを続けている最中、不意にそれまではずっとされるがままだったジョルジュの動きが止まった。顔を上げ、周囲に目を向けるジョルジュ、それを訝しむが、しかしストーリャは騎手がごとく、彼の腹を蹴ってハイドゥ、と声高らかに叫んだ。


 「ちょっとジョルジュ!止まらないでよ、急に」

 「お嬢、すいません。ちょっと降りてもらっていいですか?」


 ジョルジュは返答も待たずにストーリャを自分の背中からすべり下ろした。わんこだと思っていた男の突然の行動にストーリャは目を丸くする。そして彼が浮かべた表情に少女は背筋に寒気を感じた。


 ——刹那、ドタガタと何かが倒れる音が玄関の方から聞こえた。

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