第7話 シッター通り

 バーカ、バーカとキスタは人目も憚らず、罵詈雑言を連呼する。子供っぽい、実に外見相応の悪口のオンパレードだ。


 キスタがそんなつまらない悪態をつくのに夢中になっている間、ハルヒサは降り立ったシッター通りの街並みに目を向けていた。


 シッター通りというだけあって、そこは通りに面していた。赤煉瓦造りの五階建てから七階建ての建物が通りの左右に並び建っており、それらの建物は二階もしくは三階以上が人が住む住宅になっていて、一階や二階は多くの場合、喫茶店やベーカリー、雑貨屋などの店舗が入っていた。


 通りを歩くのは人間を除けばエルフやトカゲ頭など比較的人間と身長の変わらない生物がほとんどで、オーガをはじめとした大柄な種族はいなかった。見れば建物の作りも大男には適していないドアの大きさだ。


 大通りを歩いていた人々が忙しなく右へ左へ移動していたのに対し、シッター通りを歩く人々の歩みはゆったりとしていて、そこまで急いでいないように見える。のほほんとしている形容すればいいかは知らないが、とにかく空気に落ち着きが感じられた。


 おそらくそれは間違いない、と道ゆく人々の出たちを見ながらハルヒサは自身の抱いた感想を確信へと変える。通りを歩く人々のほとんどがややくたびれた、言い方は悪いがみすぼらしい格好である。とても大通りで見たパリッとしたアイロンのかかったスーツを着ていた連中とは比べられない。


 だからこそ、彼らは落ち着いていて、流れる空気がゆったりとしているように感じられた。桜花爛漫なこのマウト市にあって、どこか牧歌的なきらいすらあった。


 「それでー。落ち着きましたー?」


 ひとしきりシッター通りを眺め終わったハルヒサはぜぇぜぇと息を吐くキスタに意識を戻した。


 まだ言い足りなそうなキスタは何度となく地団駄を踏むが、当の無人回送車はもういないし、周りの目も集まってきた。何より同行者の咎める視線がグサグサと突き刺さり、咳払いをして平静を装い、彼は笑顔でハルヒサの方へ振り向いた。


 「いや、うん。ちょっと取り乱してしまってすまなかったね。ああいった手合いは多いからお兄さんも」


 「いや、取り繕わなくてもいいよ、もう。なんか幽霊の正体見たり枯れ尾花って感じだし」


 出会った時の利発そうな雰囲気はどこへやら。アスクライド・ファミリアとやらのメンバーをぶっ倒した時から薄々と感じていたキスタへの疑念が今、ハルヒサの中で形になった。


 目の前、この赤髪のクソガキ様はまさしくクソガキ様だ。やたら物知りで、とても強いモンスターを召喚できるだけのケチくさいクソガキだ。無人回送車への態度を見れば、バカでもわかる。


 「ちぇぇ。お兄さんってほら、人良さそうだから騙されてくれるかもって思ったんだけどな」


 「いや、大人を舐めんのも大概にしろよ」


 仮にも18歳、高校卒業、大学進学という重大な岐路に立った新成人だ。昨今はネットリテラシーやら、クレジットカードの発行やら、詐欺行為やらのレクチャーが白熱していて、10代をして大人にならなくてはいけないご時世なわけで、そうそう騙されやすいバカもいない。


 小学校低学年レベルの猫被りは見破れて当然の眼力はハルヒサにもある。そう主張するハルヒサをキスタはふぅん、と余裕の笑みで迎え撃つ。なんだか見下されている気分にさせられるなめきった笑みだ。


 「まぁ、お兄さんが大人かどうかはさておいて」


 「いやさておくなよ、重要なことだぞ」


 「とりあえず俺の事務所に案内するよ」


 「——事務所?」


 ハルヒサの問いにキスタは首肯する。ついてきて、と先導するキスタの後を追ってハルヒサは通りを歩き出した。


 「お、キスタ先生じゃないか!」

 「あら、先生、お久しぶり」


 「先生、この前はあんがとな。おかげで女房に怒らないで助かったよ」


 通りにいざ足を踏み入れると、あちらこちらから声が上がる。通行人ではなく、この通り付近に住んでいる人間が次々とキスタに群がり、挨拶をしたり、謝辞を述べたりしてきた。対するキスタは笑顔で彼らに応じる。すこしばかり会話を挟み、彼らの目線はハルヒサへと向けられた。


 「先生、こちらの方は?」

 「あら、いい男ねぇ」「おまえさん、旦那がいるだろ」「いいのよ、あんなの」


 「依頼人ですか?」「それとも新しい介助士さん?」


 矢継ぎ早に繰り出される住民達の問いにキスタは頭を振る。


 「ちょっと訳ありでね。俺の事務所で預かることになったんだよ。ま、新しい同居人ってところかな」


 直後、ぇええええ、というどよめきが集まった住人達の間に走った。心外そうにキスタは眉を潜めるが、住人達はそんな不快そうな表情などお構いなしにハルヒサの両肩に手を置き、悲壮めいた表情で訴えかけた。


 「あんた、このバカ野郎に騙されちゃいないか!?」「魔法の実験体にされるぞ!」「今からでも親御さんのところに帰りな」「きっと毎日が地獄だよ」


 「——だぁああああ!!!そーゆーことは冗談でも言わないの!!」


 繰り出される住人達の陰口をキスタは大声でかき消した。驚くハルヒサの腕を組み、いーっと白い歯を覗かせて、威嚇した。


 「お兄さん、俺のこと誤解しないでね?全部この人らの冗談だから」

 「いやー。なんか納得しちまった自分がいるんだけど」


 ひどい、とハルヒサから飛び退いたキスタは猫撫で声で体を左右にくねらせる。可愛さをアピールしたいのか、無害さをアピールしたいのかはまるっきりわからなかったが、とにかくイラつく仕草だったということは言っておこう。


 自身の潔白を訴えるキスタをハルヒサをはじめ、周りの人間は白眼視する。会って数時間しか経っていないハルヒサですら彼の言動を疑問視しているのだから、より付き合いの長いシッター通りの住人達の反応は推して知るべしだろう。


 ひとしきり無害アピールをし終えたキスタはへっ、と吐き捨てるような笑みを浮かべ、明後日の方向を向く。なんだこいつ、と彼以外の全員が感じた中、キスタはハルヒサの手首を引き寄せると、彼を自分に向かって引き寄せ、その腰に抱きついた。


 ぎょっとするハルヒサを他所にキスタはぐいっとほおをすり寄せ、彼に頬擦りをする。動転するハルヒサはどうすればいいのかわからず、ただただ交互にキスタと集まった住人達を見るばかりだ。


 「とにかく!このお兄さんは俺のなの!そういうわけ!はい、この話終わり!」


 「いや、兄ちゃんがそれなら俺らもなーんも言わんがよぉ」「お兄さん、もしこのアホタレの家が嫌になったらいつでもいいな。知り合いに頼んで安い下宿を紹介してあげるから」「ほんとほんと」


 「え、ええ?」


 どんだけ心配されているんだよ俺、とハルヒサは自分の境遇に半ば呆れてしまった。最初は先生、先生となぜかキスタが先生よばわりされていることが甚だ疑問だったが、今となってはここまで住民に警戒されることへの疑問の方が強くなっていった。


 しかしそんなハルヒサの疑問にキスタは答えない。住民達と別れ、キスタはハルヒサを引っ張って、通りの角を曲がって路地の方へと彼を案内した。


 路地には車道はなく、歩道しかない。均等に切り分けられた石のタイルが敷き詰められた道がどこまでも広がっていて、その左右には通りに面していた建物よりもみすぼらしい灰色の建物が建っていた。


 灰色の建物は石造りであることは間違いはない。だが使われている建材は大通りのそれとは似ても似つかないほどに煤をかぶっていて、壁にヒビが入っている建物も少なくはなかった。


 先ほどとは打って変わって人通りが増え、道ゆく人達はキスタを見つけると、彼に挨拶をする。彼らと軽く挨拶をかわし、キスタが向かった先、そこにはそんなみすぼらしい建物が目立つ裏路地にあって、ひときわ立派な赤煉瓦で四階建ての家屋が建っていた。


 一階はパブになっていて、煌々とランプの明かりが灯っている。なぜパブなのかわかったかと聞かれれば、それは店の前に垂れ下がっている看板がどう見てもビール瓶の形だったからだ。


 二階から上は先ほど、シッター通りで見た他の建物とよく似た作りで、住居になっていると思われる佇まいだ。ただし、二階の端から端へかけて窓にデカデカと何かの文字が貼られてあるのだけはとても気になった。なんなら、その隣には大きな看板に同じ文字が書かれていた。


 「あれが、これからお兄さんが住む場所だよ」


 キスタは建物の二階を指差し、朗らかに笑う。なるほどあの二階にキスタは住んでいるのか、とハルヒサが納得しかけた時、彼は更なる爆弾を投下した。


 「俺の持ちビル。アッセンブル事務所だよー!」


 訂正、この四階建ての家屋丸々一つがキスタの持ち物件だったようだ。


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