第5話
『橘斗真の妻』は夜がお盛んだと知られている。
ドラッグストアで買い物している『橘斗真の妻』を見た。
これだって『橘斗真の妻』なのか『私』なのか。
そのドラッグストアがどこか知らない。
でもドラッグストアで私は買い物をしたことがある。
見たのが『どっち』なのかが分からない。
精力剤を買ってたのは『どっち』か。
ゴムを買ってたのは『どっち』……いや、ゴムはないわね。
え、ゴムを買ったことはないわよ?
メーカーごとにサイズが微妙に違うから誠が用意するって……。
コホンッ、今は関係ないわね。
と、とにかく。
こんな感じで『橘斗真の妻』か『私』なのかが分からなくなっていった。
怖かった。
今でもあのときのことを思い出すと手が震えるの、ほらね。
……なんて顔をしているの?
うーん、気にしないでって言っても気にするよね。
ごめんね。
でもこうして話していると……なんだろう。
満足する感じがするの。
うん、続けるね。
次はどの『私』が書かれるかが怖かった。
『私』に対して何を言われるのかが怖かった。
怖くて私は外に出られなくなった。
仕事もやめた。
外に出ていないのに『橘斗真の妻』の目撃証言は止まらない。
毎晩のように『橘斗真の妻』と寝た男が性行為を赤裸々に語った。
それは『私』じゃない。
でもコメント欄には「あの顔で笑える」みたいに『私』への非難が混じる。
当時の私は狂っていたんだと思う。
だんだん自分が『橘斗真の妻』になっていく気がした。
家から一歩も出ていないのに見知らぬ男と寝た気がした。
誰にも触れられていないのに、誰かの手の感触がした。
気持ち悪くて毎日何回もお風呂に入るようになった。
『私』のことをブスとかデブとか言う。
写真を見て、そう言ったのかもしれない。
美容系のサプリメントをひたすら飲んだ。
食事を抜いた。
こんなことをしていれば当然だけど体が悲鳴を上げる。
家で倒れて、気づけば病院のベットの上だった。
誠が発見して救急車を呼んでくれたと担当の看護士さんが教えてくれた。
意識を取り戻した患者への状況説明。
その後の診察。
どれもこれも彼女たちの仕事だと分かっている。
だけど見知らぬ誰かが傍にいるのは耐えられなかった。
この人たちもSNSに何かを書くんだって思った。
その瞬間に頭の中でパンッと何かが弾けたの。
風船が割れるみたいに。
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