第8話 別れ

 次の朝目覚めるとカラスの頭を抱きしめたままの体勢だった。


 何時位だったか定かでは無いが太陽が真上に昇った辺りに奥さんとリョウが帰って来た。


何もできなかった事を謝罪したが二人は晴れ晴れした顔で気にするなと言ってくれ警察署でも上手くいった様子だった。


弁護士をつける事も無く旦那の親族立会の元離婚届を提出する運びになったと言うのでスマホ動画も提出せずに済んだらしい。


やはり旦那としては暴力だけでは無く会社の闇の部分を表に出される事に恐怖を感じたのだろうか多額の慰謝料と養育費を支払う約束までしたと言う。


 だがこちらの気持ちは既に自首をすると決めている。

今となっては毛嫌いしていた「幸せ」と言うものをちゃんと手に入れたいのだ。


奥さんにその話をし、カラスの身元を引き受けて欲しいとお願いすると快諾してくれた。


 その夜みんなで鍋をつついた。

笑って他人とこうして食事をするなんて。


明日自首をする事は奥さんにしかいっておらず急に居なくなったらカラスはどんな思いをするのであろうか心配だった。


だがカラスにどう説明して良いかもわからず、ましてやあんな寂しい目で見詰められたら折角の更生のチャンスを逃してしまいそうだ。


もう諦めた人生や怯えた生活はしたくない。


他人がいるから厄介だがそのお陰で幸せも生まれ、時間は有限だからこそ大切なものだと知ったのだ。


 いつもの様にリョウがカラスを風呂に誘うと奥さんが今日は自宅で入るように促し久しぶりにカラスと二人で湯船に浸かった。


入浴剤のしゅわしゅわする気泡にも慣れ、体を洗う順番もシャワーの流し方も手慣れた少年は少しだけ体格が変わっていた。


 湯上がりにビールとタバコをしながらカラスにコーラを注ぐと出会った時を思い出し涙が出てきた。

風呂の中でも涙が止む事はなく湯気や水滴のお陰でも隠せなかった。


心配させたくない。


必死に涙を堪えて乾杯をした。


一緒に歯を磨いて一緒に寝た。


腕枕もした。


顔の輪郭からつくりまでしっかり覚えた。


額にキスもした。



結局は一睡もできないままとうとう懺悔の日を迎えた。



 まだ薄暗い寝起きの太陽と同時に奥さんとリョウが訪ねて来たので支度をした。

二人にカラスを預ける事はよくある事なので子供達は不審には感じないだろう。


カラスとリョウに行ってきますを伝えて扉を出ると奥さんが外まで送ってくれたので今後の事をしっかりとお願いした。


 「いってきます」


そう言って歩き出すと今までに感じたことのないくらい外は気持ち良く清々しい自由な世界だった。


 たった短い間に起きた心の中の変化はどこから来たのか…

もしかして元々「幸せ」を探していたところに現れたきっかけ達なのだろうか。




囚われの身になり初めのうちはそんな事を考えてもみたがカラスが、四人での食卓が忘れられず毎日思い出していた。



 所内の規則正しい生活も慣れ、嫌な奴とも良い距離で生活をし少しでも早く真っ当な人間になる努力をした。


月に何度か奥さんは必要な物を差し入れしてくれたが皆の近況を知れる事とカラスの絵を見れる事の方が重要だった。


 カラスの身元は結局わからないままだ。

子供の行方不明者はこの日本でも年間一千人を超えると言う恐ろしい現状を知らされた。


少し良い情報もあり、それはカラスが「特別支援学校」いわゆる聴覚障害を持つ児童を受け入れる学校に入ったのだ。


字も手話を覚えて来て楽しそうだと言うのを聞いて初めて絵を描かせたあの時を思い出し想像した。


奥さんは“初めての手話”と言う本を差し入れてくれたので毎日一文字覚える事を決めた。

「あ」から「ん」迄覚えるのに一ヶ月半。

その後は目に入った字や誰かの発した言葉を同時通訳の様に指で話す練習。

五十音に慣れたら次は単語を覚える勉強だ。


ろくに勉強してこなかった幼少期を取り戻す様な毎日のお陰もあり、ここの生活にも張り合いがでた。


ここを出た時にはたくさん会話できるようになってカラスを驚かしてやりたい思いがあっからだ。


それまでは刑務作業で月に四千円ちょっとのお金をもらうと便箋と紙を売店で買いひたすら絵を描いて渡す。

これが今できる最大の会話なのだ。


しかし途中からカラスの絵が届かず心配になり確認すると何やら大作を手掛けていると言うので我慢した。



 写真は寂しさを煽るので見せない約束。


我慢の先には、辛い事の先には、必ず喜びがあるはず。

 少し前まで一番嫌いだった言葉が今の自分のスローガンになっている。



 早く逢いたい…



 人に必要な事を語れる様な人生を歩んで来なかった自分ではあるが今は「愛」とか「絆」とか「時間」の様な目には見えない事が愛おしくてたまらない。


真面目になんてなる必要はない。


清廉潔白なんてなれる訳がない。


ただ「大切なモノ」を真っ直ぐに想い守り続けていれば人間は合格な気がする。



幼少から悪に憧れる子供はおらず、皆が正義のヒーローを目指したはずなのだ。


つい最近まで悪だった奴はやり直せるのであろうか…

自分のせいで悪に染まった人々を差し置いて「幸せ」を手に入れる事は許されるのであろうか…



眠りにつく前はいつもそんな事を考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る