第9話 新たな旅立ち
…外の空気は澄んでいた。
出頭を決めた時の空の何倍も自由を感じた。
「おかえりなさい」
迎えに来てくれた奥さんも何倍も綺麗に見えた。
タクシーに乗り近所の駅から電車に乗った。
昼の電車は空いていて二人並んでシートに座った。
車内アナウンスに合わせ得意げに手話を披露すると奥さんは拍手してくれた。
降車駅の一つ前の駅から奥さんが立ち上がって窓際に手を引かれた。
徐々に建物が減って行き、大きな川が見えて来る久々の景色。
実際にはほんの少しか住んでいないはずなのに自分の故郷に帰ってきた様な錯覚。
緑の木々と川面に散らばる光、はしゃぐカラスを見ながら散歩をした場所で少し先にある土手にたくさんの絵が…
……
言葉を失った
電車のドアに張り付いて流れてしまう景色を目で追った。
よっぽどわかりやすいリアクションだったのか奥さんは笑顔で涙を拭き、手を繋いで次の駅で降りた。
その手を引いたまま走った。
足音と息を切らす呼吸音が街中を抜けて土手の遊歩道をかけた。
土手の下に少し大きくなったカラスとリョウが見え更にスピードを上げ辿り着いたが呼吸困難で声が出ない。
するとカラスが
指で何かを掴む仕草で胸に寄せ
両手を交差させグウでノックした。
直ぐ様
指で何かを掴む仕草を胸の前に
両手を下に向けた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
初めての手話での会話の感動の間も無く土手を滑り落ちるとカラスを抱いた。
少し重くなった。
少し背が伸びた。
最後に確認した輪郭も少し大人になった。
抱き上げたまま振り返った先には電車の窓から見えた時より何倍も大きな絵が土手の額縁に描かれていた。
大作を目の前に涙が溢れボヤけて見えず何度も目を擦った。
今迄の暗い闇の人生から解き放たれる様な温かくて愛に満ちた世界。
その世界を四人で並び眺めている時、自分はやっと「大切なモノ」を持つ資格が与えられたと感じた。
その後、四人は同じ苗字を名乗る事になりカラスは養子になりケイとして我が子となった。
養子縁組を成立するまでは時間がかかったが何とか上手い事行った。
色んな縛りはあったが“子供の前で喫煙をしない事”以外は奥さんのお陰で何とかクリアできた。
出会った頃から子の前で喫煙しているのでうちの優しい子達に言わせれば「今更」らしいが一応ベランダで嗜んでいる。
このタバコの様に辞めたからと言って吸っていた期間がチャラになる訳でも無く過去は残る。
だからなるべく正しい行いをしていかなければならないと思うようになった。
その前に「正しい」と言う基準が明確に無い事が問題だが、正しいと言う一つの基準を決めてしまうから息苦しくなってしまうのもわかる。
今まで世間の言う「正しく無い」を沢山して来たがこれからは一番近くに居る人間を悲しませない様にする事が正しさに一番近いと感じている。
自分の過去は消えない。
嫌な思い出を消せるのは幸せな今しかない。
幸せとは他人以上に何かを求める事ではない。
当たり前の笑顔が共有できる事こそが幸せなんだと四人の過去が一つになり教えられた。
この頃幼少期を思い出す。
確かに行動や言葉での愛情に溢れていた家庭では無かったが両親は子供のために趣味を我慢し、子供のやりたくもない習い事に力を入れていた。
嫌な事をやらせる親を嫌ったがそれももしかしたら愛の形だったのか…
そんな事を考えていると家族と言うお手本が気になり十何年ぶりに両親に電話をして話をした。
必要最低限の返事しか返ってこなかったが受話器の奥で笑顔で啜り泣く声が聞こえて来てこちらも涙を堪えた。
愛というのは言葉なのか、行動なのか、その二つでなければ僕が今両親に感じている愛情は偽物なのだろうか。
ケイは言葉は発っせないが体全体で気持ちを伝え、それに応えてきたつもりだ。
死ぬまで言うつもりのない「愛してる」も手話では恥ずかしくもなく伝えれる。
生物の中で言葉と言う素晴らしいものを手に入れた人間だがそれ故に失っているものもたくさんあると思う。
大好きなものを「大好き」と言えるようになるのはどの位時間が必要なのだろうか…
いや、抱きしめれば良い。
会話をすれば良い。
一緒に笑って泣けば良い。
何度も何度もそれを繰り返して層を厚く築き上げて行く事が愛なのかもしれない。
今、土手の額縁は違う小学児の絵になっている。
この場所に何時から絵を描く様になったかは知らないが氾濫を防ぐ為の冷たい壁に、たくさんの絵が、たくさんの想い出が何重にも重なっているに違い無い。
今僕は子供を手に入れた。
養子であるが愛する我が子だ。
耳は聞こえず、発達も遅れている子供だ。
でもこの子に出逢い僕は変わった。
白が黒に、黒が白になったんだ。
愛情を測る機械が有ればわかりやすいのであろうが現代ではそんな機器も無く、もしかして嘘をついているのにまるで本当の様に振る舞えば愛が伝わってしまうかもしれない。
便利になればなる程感は鈍る。
新宿のカラスに情けをかけていたと思っていたが実はそれは情であり、何処か自分の弱さと重ね合わせていたのかもしれない。
いつの日かもっともっと深くカラスの過去に触れ癒しながら僕は僕の過去と向き合うのだろう。
彼がどの位僕を信じ愛してくれているのかは正直わからないが、彼から生み出される行動や絵や手話からはちゃんと伝わってくる。
僕の幸せの始まりはゴミ置き場。
ケイの描いた土手の絵がそう語っていた。
「しゃがんだ人間がたくさんの動物にハートをあげている絵」
その人間には僕と同じタトゥーが入っていて、その先頭に居る動物は黒い小さなカラスだった…
おしまい
カラス @MurayoshiHitoki
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