第6話 過去
それから花咲親子二人は夜は泊まりに来る事になった。
また夜に旦那が勢い付いて来る可能性がある事を気にかけたからだ。
都合よく四畳半の何も置かれていない部屋があったのでそこに布団を敷き、旦那が仕事が終わり自由になるであろう時間には四人が揃った。
奥さんは気を使い四人分の食事を支度してくれカラスとリョウは仲良くやっている。
ただ花咲親子が知っているのはカラスの耳が聞こえない事と“訳あって甥っ子を預かっている”と言う事だけでそれ以外深い事は聞いてこない。
“家庭には家庭の事情が”と言うのは奥さんの方が思い知っているだろう…
カラスが聞こえない事が功を制し突っ込まれた質問でも大体の事は上手く躱している。
何となく様子を見ながらちょくちょく旦那の事を聞いた。
渋谷区にある大手企業の役職付きサラリーマンで成績は優秀らしく仕事をサボる事も無ければ残業も熟し休日は取引先とゴルフや飲み会。家にいる事は寝る時だけだったらしい。
真面目で出来る奴ほどストレスの捌け口を家庭に向ける典型的なDV夫だ。
今、自分が考えないといけない事は金が続く限り人目を避けて生活する事だったがまさかの拾った少年と隣人親子と過ごす状態に陥っている。
これは家庭の温もりの様なものなのか?
それとも憎しみから生まれた正義感なのか?
初めてカラスを受け入れた時の感情の様な「悪い気はしない」と言う思いが自分の精神を落ち着かせるように四人でテーブルを囲んでいる。
次の週末も旦那が押しかけてくる可能性が有ると警戒していたが来なかった。
ただその次の週、奥さんはパート、リョウは小学校に行き、カラスと二人で散歩から帰って来た時、家の前に警官が居るのに気付いて動揺した。
目が合ってしまったので知らん顔で通り過ぎようとしたのだがまんまと声をかけられた。
「すみません。この辺に住んでいる方ですか?」
恐る恐る「はい」と答えるとカラスは後ろに隠れた。
「あの家の人って見てますか?」
花咲家を指差し聞いてくるのでなるべく平然を保ち「毎日見かけますが何かあったんですか?」と聞き返すと警官の答えた内容で直ぐに意味がわかった。
「ご家族から捜索願いが出てるので確認に来たのですが近隣の方もよく見かけると言う事だったので…何もなくてホッとしました。」
何時くらいに帰るかを尋ねられたので五時位だと嘘を言った。
本当は四時には帰って来ているがこの件で奥さんと話さなければならないからだ。
「それと…」
やばい、職質もするか?
「この辺で夜にベンツがウロウロしていると言う情報が有るのでもし何かあったらこちらに連絡下さい」
警官は笑顔で「御協力有り難うございました」と言い不審者のナンバーを書いたメモと交番の番号を渡しこちらの事は何も聞かずに去って行った。
寿命が縮まったがやり過ごした。
もし一人で警察に遭遇していたら職質された可能性は高いが仲良く子供と一緒に居るだけで安全性はだいぶ上がるのであろう。
四時前にリョウは帰ってきてカラスと遊び出す。
奥さんが家に着いた気配を感じた時直ぐに先程の出来事を話した。
多分、旦那はそうやって住所を突き止めて来た。
そして今回は一度場所を確認した後何度も夜様子を見に来ていて明かりが付いていない事を確認し捜索願いを出したに違い無い。
奥さんに警官からもらったメモを渡すと旦那の車のナンバーと一致していると言う。
不幸中の幸いと言えば奥さんとリョウが隣の家に居ると旦那は気付いていないはずだからだ。
こちらが親切心で匿っていたとしても“まだ実の家族”から「監禁された」だの何だの言われてしまえばぶが悪い。
法を重んじる警察は旦那からの捜索願いと聞くと、疑う事なく見えない犯罪の共犯者になる。
その日、食事を済ませて子供達は風呂へ、大人達はビールを一緒に飲むタイミングで奥さんから“旦那を訴えようと思い、証拠となるスマホの画像が欲しい”と言われて嬉しくなり初めて缶と缶を合わせて乾杯をした。
そうした方が良い。
直ぐに動画を送ろうとしたが正気に戻った。
あの動画には奥さんと旦那と自分が映っている。
警察から逃げている自分が映っている動画を渡す事になると言うのは余りにも馬鹿すぎはしないか。
いや、警察はアジトに居た奴らとボスを捕まえられたが自分は顔も見られてなければ足のつく様な物は全て処分している。
だが、それなら何故あの時追われたのか。
例えば映像を見られても大丈夫だったとしてその後裁判になるとしたら証人の様な立場になるのではないか?
そうなれば一番避けている警察や法の従属者達と接触は免れない。
過去を洗えば出てくる埃はたくさんあるがドラッグ売人程のレッテルはまだ所有して居ない。
どうすれば良い…
もし足がついて捕まったら薬物所持販売で懲役何年だろう。
少し前なら怖く無かった“時間を奪われる”と言う物が今は怖いのだ。
何故かと考えてみると一つの答えしか思い付かない。
「幸せ」なのだ…
幸せを感じているから時間を奪取されるのが怖いのだ。
大切な時間を奪われる事が何とも恐ろしい。
この瞬間“自分より弱者への同情”は、否定し続けて来た“幸せ”に完全に変わった。
奥さんに全てを話して協力しよう。
何かあったらカラスを頼もう。
そう頭の中で考えが纏まるとビールを置き奥さんに向かって真っ直ぐ座りかしこまって話をする体制を整えた。
話をする前に約束をしてもらった。
何を聞いてもカラスの事は守って欲しい。
奥さんは少し戸惑いながらも頷いたので話し始めた。
犯罪組織で違法ドラッグの売人をしておりここ迄逃げて来た経緯。
その最中でカラスに出会った事。
奥さんは思った以上に落ち着いて聞いてくれてたまにうんうんと相槌を打ちながら最後まで聞いた後、少しの間を空け口を開いた。
「私も話して良いですか…」
自分のターンが解決される前に反撃が始まるのかと焦ったが思わぬ方向から矢が飛んで来た。
「奏多 涼って知ってますか?」
十年程前に渋谷系クラブミュージックで誰もが知る大物プロデューサーが手掛けた歌姫で見た目もよくモデルや女優としても大活躍だった奏多涼の事だ。
片親極貧生活から公民的アイドルになったシンデレラだが活動はたった一年ちょっとで謎の失踪、発見、引退の流れを踏んだ。
毎日どのテレビ局でも雑誌でも見ない日はなかったし「カナタ リョウ」と言うインパクトのある名前は頭の中に残っている。
「あれ、私なんです。」
…奏多涼の容姿ははっきりは覚えて居ないが確かにどうりで美人さんな訳だ。
しかし、それとこれとの繋がりが全く掴めず続きを煽ったが聞けば聞くほど恐ろしい内容だった。
奏多涼の父親は仕事に辞め癖がありギャンブルの借金まみれで乳幼児を残して失踪。
母親は一人で子育てをしようと昼夜を働き回っていたが徐々に夜の仕事に溺れ派手な女になっていった。
ホストにハマり“彼氏”と言う名の男と変わるがわる遊びそのうち何人かは家にも来た。
こんな生活が嫌で今直ぐにでも独り立ちしたいと考え、今直ぐできる仕事は芸能しかないと思い中学生のうちに公園や河原で歌を練習していたところその美声に人集りができる様になりスカウトマンから声がかかる。
そして大手レコード会社からのデビューを果たした。
“それでそれで”と小説の次のページを捲る様に待ったが週刊誌やテレビの都市伝説の様な恐ろしい内容だった。
デビューしてずっと華やかな世界の裏では性的接待が続き、給料は母親に搾り取られ辞めたくても未成年の保護者はその母親であり辞めさせてもらえ無かった。
周りのアーティストの間ではドラッグや大麻が出回っており、無理矢理吸引させられた事もあった。
奏多涼が辞めたら汚れた世界を暴かれる事を恐れ、会社は強い圧力をかけ、味方になってくれる人もいなく疾走に至った。
その時唯一の理解者であり仲間があのDV旦那だと言う。
旦那は彼女を救う為に結婚した。
会社の役職位になるとそこで起きている事は承知の上だが、会社の人望も厚く二人が結婚すれば事は外に出ないと推測した。
ある種の策略結婚。
自分を救ってくれた旦那と子供を持ち幸せに暮らせると思っていたのだが大物プロデューサーが薬物で逮捕され活動できない間にあれよあれよとクラブミュージックシーンの流行は収まり赤字も続いた。
会社がダメになるに連れ旦那は別人の様になって行き、この様な事になったと言う。
こちらが組織で薬物を売っている事がさも恐ろしい事で、一大決心でそれを打ち明けたのだが、奥さんから返って来た答えが重過ぎて拍子が抜けてしまった。
クスクス…
奥さんは涙を人差し指で拭いながら笑ったので思わずこちらも笑った。
この“笑い”は互いに理解できた。
人は普通に見えて深い闇を抱えているもんだ。
こうなったら後は旦那を訴えて捕まろうが捕まるまいが腹を括るしか無い。
だか奥さんはこちらに配慮し“他に方法があるのではないか”考えてくれたがなかなか他の案が思い付かなかったので明日迄に良い方法が浮かなければスマホ動画作戦に出る事にした。
いつも以上に酒が進んでしまいビールが無い事に気付きコンビニに買いに行きがてら他の手段を考える事にしカラスを奥さんとリョウに任せて出かけた。
外を歩きながらカラスの事を考えていた。
もし捕まったらカラスはどうなるのか?
勝手に連れ回しているのは何の犯罪に当たるのか?
養子縁組をするにはどこの機関をどの様に通せば良いのか?
カラスを失いたく無いと言う思いはハッキリしている。
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