10 『喫茶わかば』へ

「くれぐれも俺から離れないように」

 本多は真剣な顔でシュリにそう告げた。

 シュリは周囲をうかがった。新宿地下街は、同じ新宿でも先程の地上とは、あきらかに雰囲気が違った。道を擦れ違う者はまるで値踏みでもするかのようにシュリたちを上から下まで舐めるように見た。街角でたむろしている不穏な集団が刺々しい視線をこちらに向けてくる。誰も彼もが好戦的で、一瞬でも隙を見せたら飛びかかってきそうな、飢えた狼のような空気を発している。

 たしかに本多から離れないほうがいいかもしれない、とシュリは思った。

 星野少年が先頭に立って三人は歩いた。通りは狭く、うねうねと曲がりくねり、分かれ道も多い。

(この複雑な道を本当に私は一人で歩いたの?)とシュリは思った。

 ハッカー花袋のところで見た監視カメラの映像には──記憶にないがこの道を通るのは二度目らしい──一人で目的地まで行く自分の姿が映っていた。

(我ながらよく迷わないで行けたものね)

 シュリは過去の自分に感心していた。

 十五分ほど歩いた先に『喫茶わかば』はあった。道路に面した壁は大きな窓になっていたが、シャッターが下ろされ、店内の様子はわからない。出入口のドアも喫茶店にしては無骨すぎるほど頑丈な鉄扉になっていた。

「すごい店構えだな。まるで店に入るなと言われてるみたいだ」と本多。

「警戒心の強さが滲み出てますね。これが本物の喫茶店だったら入る気失せます」星野少年が返した。

「ああ、そうだな。さてと、じゃあ二人は外でしばらく待っててくれ」

「本多さん、一人で行くんですか」シュリが心配そうに訊いた。

「シュリさん、先生なら大丈夫ですよ」星野少年が本多の代わりに答えた。

「そう、なんですか」

「ちょっと店の中の様子を見てくるだけだ。心配ない。星野、俺が帰るまで彼女を頼んだぞ」

 本多はそう言って腰に差していた警棒を星野少年に渡した。

「任せてください」

 本多は重い鉄扉を押して開けた。

 店内は一応喫茶店の体を成していて、客も数人いた。本多が店に入ると客と店員が一斉に本多の方を見た。品定めをしているのだろう。

 本多はかまわずカウンターの席に座った。

「ご注文は?」とても喫茶店のマスターには見えないが注文を取りにきた。捲ったワイシャツの袖から金属のシャフトやゴム製の人工筋肉が剥き出しになった義手が出ていた。

 最近ではファッションで機械サイボーグ化する者も多いという。健康な手足をわざわざ切り捨てて機械の手足を取り付けるのだ。切り捨てた手足は二度と元に戻らないというのに。

 このマスターの両腕がどういう理由で機械サイボーグ化されたのかは不明だが、あきらかに機械の腕をこれ見よがしに見せつけていた。自分を誇示したり他者を威嚇する心理が透けて見える。いにしえ刺青いれずみの役割が機械サイボーグ化に取って代わったのだ。

「コーヒー」本多は注文した。

「他には?」

「いや、コーヒーだけでいい」

「お客さん、ウチがどういう店かわかってます?」マスターは嘲るように言った。

「だたの喫茶店だろ」

「フン、だとしたら入る店を間違ってるよアンタ」

「そうなのか。なら、これはどうかな?」

 そう言って本多は端末をカウンターに置きホログラムを照射した。シュリの立体画像が浮かび上がった。

「この人物がここに来たはずだ」

「さあね。客の顔なんていちいち憶えてねえよ」

 マスターは立体画像をまともに見もせず言った。

「そうか? ついでに言えば、この人物はこの店で消息を絶っているんだがな。なにか知らないか」

「しつけえな、テメエ。ナニモンだ」

「ただの探偵だよ」

 マスターは客席にいた連中に合図を送った。店内にいたのはどうやら客ではなかったらしい。本多はあっという間に囲まれてしまった。

「探偵には捜査権が認められている。それを妨害すればお前ら豚箱行きだぞ」

 本多は警告のつもりで言ったが、あまり効果はなかったようだ。

「お前がここから出れたらそうなるかもな。出れたらな」

「やれやれ」本多はわざとらしく溜め息をついた。「俺が一人で来たと思ってんのか。めでたい奴らだな。五分経っても俺が店から出てこなければ外で待機してる仲間が──」と本多がハッタリをかまそうとしたときだった。入口の重い鉄扉が開き、「こんな奴らがうろついてました」という声が聞こえた。見ると、シュリと星野少年の姿があった。

「星野!」

「すいません、先生。ヘマしちゃいました」星野少年は舌を出した。

「しちゃいましたじゃねえよ、ったく」

 星野少年は肝が据わっていてまるで怖がっていなかったが、隣のシュリは恐怖のあまりガタガタと震えていた。

「お前ら、捜査権執行妨害のほかに逮捕監禁罪も付くぞ。やめとけ」

 本多の最後の警告だった。

「うるせえよ。状況見てモノ言えよ、バーカ。おい、そいつら奥に連れて──」と言い終わらないうちにマスターがカウンターの奥に吹っ飛んだ。大量のコップやグラスが大きな音を立てて割れた。あまりに突然のことでその場にいた誰もが何が起きたか理解できず、驚き、目を瞠ったまま固まっていた。

 本多は、よいしょ、と言いながら面倒臭そうに席から立つと、

「お前ら全員、捜査権執行妨害と逮捕監禁罪で逮捕する」

 と言った。

 マスターはカウンターの奥で気絶している。そこではじめて何人かが、(どうやらコイツ(本多)がマスターを殴り飛ばしたらしい)という考えに至った。

「て、てめえ! ブッ殺す!」

 男の一人が叫んだ。しかし攻撃はしてこなかった。まず威嚇して様子を見るようだ。

 本多を囲んでいるのが五人、シュリと星野少年のそばに二人。最初に動いたのは星野少年だった。

 本多から預かっている警棒を勢いよく振ると「ガシャン」と伸ばし、星野少年の腕を掴んでいた男の鳩尾に突き立てた。男が「うっ」と前のめりになりながら床に倒れる。

 星野少年は振り向きざまにシュリを捕まえていた男の顔面にフルスイングで警棒を打ち込んだ。男が「ぎゃあ!」と叫んで顔を両手で覆う。星野少年はすかさず警棒の先端を男の体に押し付けると柄にあるスイッチを押した。

 男は「カッ!」と声にならない声を上げると体を引きらせた。警棒を五秒間ほど押し付けていると男は倒れ、気を失った。高電圧スタンガンだ。

 星野少年はつづけて床で腹を押さえてのたうち回っているもう一人の男にも警棒を押し付けて気絶させた。

(……手際がいい)あっという間に男二人を倒した星野少年の隣で、シュリはただただ感心していた。

「はっ、本多さん!」

 シュリは思い出したかのように本多の方へ視線を向けた。そこに見えたのは、床でうずくまっている五人の男たちの中心に一人立つ本多の姿だった。

「え?」

 どういうこと? たしか男五人に囲まれていたはずだけど、とシュリは理解できなかった。

「星野。拘束しておけ」

「はい」

 呆然とするシュリをほったらかしにしたまま、本多と星野少年はテキパキと男たちの手足を結束バンドで拘束した。


 店舗スペースの奥にいくつか部屋があった。本多がそのうちの一室のドアを開けると三人の男がいた。二人がソファーに座り、もう一人がその傍らに立っていた。

「なんだ、テメエ」立っていた男が凄んできた。

 本多の見立てでは、ソファーの二人が幹部で、凄んできた男はその舎弟といったところだ。

「この女性を探している。この店に来たことは確認済みだ。彼女をどこへやった」

 本多は舎弟を無視して幹部二人にシュリのホログラムを見せた。

「ああ? なに言っ──」幹部Aはシュリの顔を見ると言葉を呑み込んだ。心当たりがあるようだった。

「知ってるようだな。彼女はどこだ」本多が詰め寄る。

「ナニモンだ、てめえ」と幹部B。

「探偵だ」

 そのとき、無視されたことに激昂した舎弟が本多の背後から殴りかかった──はずだった。しかしなぜか舎弟の体は宙に浮き、ソファーに座る幹部二人の上に落下した。

「うげっ!」と悲鳴が上がる。

 本多が舎弟を投げ飛ばしたのだ。

 本多はすかさず距離を詰めて、三人を抑え込み、動きを制した。どういう理屈か、三人は激しく抵抗するも本多一人に制されて動くことができなかった。本多は素早く三人を拘束したが、『幹部Aの右腕と部下の左脚』『部下の左腕と幹部Bの左腕』といった具合に出鱈目でたらめに結束バンドを巻いたため、三人の男が奇妙に絡み合った状態になってしまった。


「大丈夫か。怪我はないか」

 店舗スペースに戻ると本多はシュリに声をかけた。

「大丈夫です。でも怖かった」

「だから言ったろ。危険だって」

「そうですね。私、自分の身は自分で守るみたいなこと言ったくせに……すみません。わかってなかったです」

「いや、無事ならいいんだ」

「すみません……それにしても、本多さん」シュリは本多の顔を覗くように見た。

「ん? なんだ?」

「本多さんって、喧嘩強いんですね」

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