第5−3話 SNAKE TALK-3

「当たれぇー!」


沙羅の咆哮が轟く。

甲馬子弾が放たれる。

弾頭は凶暴な力を宿しながら鬼機兵の蒼い瞳を目がけて飛ぶ。

その軌跡は雨を切り裂き、正確に標的へと向かう。


直後、彼女の手に握られていたRPG-7が悲鳴を上げるように爆ぜた。

限界を超えて使用された砲身は、激しいバックファイアを上げて彼女の手元を離れる。

鈍い金属音と共に、砕けたRPG-7の破片が車道に叩きつけられた。

しかし、その音すらも、次の瞬間には別の轟音にかき消される。


蒼い光が弾頭と衝突し、空中で爆発した。


「眼震霊斬」と弾頭の激突。

空間そのものが歪み、衝撃波が四方八方に広がる。

空気が燃え上がるかのように熱を帯び、雨粒は一瞬にして蒸発し、細かな蒸気の霧となって辺りを覆った。


爆発の余波に巻き込まれた車体は、大きく揺さぶられた。

サイドミラーが吹っとぶ。

フロントガラスに走っていた蜘蛛の巣状のヒビがさらに広がる。

車内にいる沙羅は、シートベルトの拘束を受けながらも激しく揺れ動く車体にしがみつき、必死に耐えていた。


「くっ……まだ終わらない!?」

彼女は歯を食いしばりながらも、目を閉じることは決してしない。

爆発の閃光の中、鬼機兵が無事でいるかどうかを確かめるために視線をそらさない。


爆発の中心。

そこには、未だ鬼機兵の姿があった。


だが、その巨体は以前のような威圧感を失い、明らかに損傷を負っていた。

装甲の大部分が吹き飛び、蒼く光っていた瞳の片方が完全に砕け散っている。

まるで巨人が膝をつきながら喘ぐかのように、鬼機兵は地面を踏み締めて立ち続けていたが、動きは明らかに鈍っている。


「……効いてるじゃない」

沙羅はほっとしたような笑みを浮かべるも、その顔にすぐさま緊張が戻る。


残されたもう一つの蒼い瞳が再び光を集め始めていた。

鬼機兵は最後の力を振り絞り、彼女に向けて一撃を放とうとしていたのだ。


「まだやる気って感じね。いい、最後まで付き合ってあげる!」


彼女はアクセルを踏み込み、再び鬼機兵との距離を詰める。

車は悲鳴を上げるようにタイヤを地面に擦り付けながら前進する。


その時、爆発で歪んだ空間に響き渡る音が変わった。

鬼機兵の身体から聞こえる不気味な機械音が、急激に高まっていく。

それは、彼の限界を知らせる断末魔のようにも聞こえた。


「これが最後ってことね……」

沙羅は目を見開き、目の前で崩れゆく巨影に全神経を集中させる。

そして、鬼機兵の命運を決する一瞬が、迫っていた。


燃え尽きる鬼機兵の残骸は、蒸気と煙を立ち昇らせながら崩れ落ちていく。

その光景を見つめる沙羅は、アクセルを緩め、車を停めた。


「これで……終わり?」


しかし、直感が彼女を安心させない。

何かおかしい。

そう思った瞬間。

焦げた装甲板の隙間から人影が飛び出した。


「……!」

沙羅は瞬時に警戒態勢を取る。

手元にはもはや武器はない。

しかしその目は鋭く、車から身を乗り出して敵意を向けた。

煙の中から現れたのは、意外にもただの人間だった。


その男は全身に煤を被り、ぼろぼろの衣服をまとっていた。

先ほどの爆発が原因、というより古着なのだろう。

あちこち縫製が取れかかっている。

体格はやや痩せ気味で、血を流している様子もあるが、特に特別な力や武装があるようには見えない。

虚ろな目でふらつきながら出てきた彼に、沙羅は思わず声をかけた。


「……あなたは?」

男は顔を上げ、しばらく言葉を探すように口を動かしてから、かすれた声で答えた。


「僕は……いや、僕たちは……利用されたんだ……東北大帝に」

その名前を聞いた瞬間、沙羅の眉がピクリと動く。


「東北大帝……あんた、G.E.D.O.東北支部の人間?」

男は首を横に振り、弱々しく崩れ落ちそうになる体をなんとか支えながら言葉を続けた。

「違う……僕はただの……中学生さ……でも、G.E.D.O.に……囚われて……無理やり……」


その言葉は、沙羅の胸にかすかな疑念と同情を芽生えさせた。

「つまり……あんた被害者?」


男はうなずくように頭を垂れる。

その仕草は嘘をついているようには見えない。

「僕たちは、東北大帝の実験に……」


そこまで言ったところで、彼の体がぐらりと揺れた。

疲労と怪我に耐えきれず、男はその場に崩れ落ちた。

沙羅は一瞬迷ったが、周囲に敵の気配がないことを確認すると、車を降りて慎重に彼に近づいた。


「……あんたの話、もっと詳しく聞かせてもらうよ。その体でどこまで話せるかは分からないけどね」

沙羅は男を起こそうと手を伸ばす。

その時、背後で微かな音が聞こえた。


「……まだ終わりじゃないってわけ?」


振り返ると、鬼機兵の燃え残りの残骸が、不自然に揺れているのが見えた。

鉄塊の中から出てきた男が本当に「ただの人間」だったのか。

沙羅の直感は、まだ警戒を解くには早いと告げていた。


「自爆プログラムだ……。残った一機がやったみたい。……どうしよう、僕たちの陽動作戦は失敗だぁ! もう東北支部には戻れない。処刑される!」

沙羅は男の口から飛び出した言葉に、眉をひそめた。


「自爆プログラム、ね……。それが本当なら、あんたの仲間もろとも吹っ飛ぶってこと?」

男は肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。

「……ああ、そうなるだろうね。でも、もう僕にはどうすることもできない。残った一機が勝手にやったんだ。僕たちには制御権なんてなかったんだから」


「へぇ、制御権なしであんな大暴れ? 随分とタチが悪いオモチャだこと」

沙羅は皮肉を言いながらも、内心では苛立ちを覚えていた。

鬼機兵がただの機動兵器ではなく、陽動作戦の一環として動かされていたことが明らかになりつつあったからだ。


「……陽動作戦って言ったけど、あんな大規模なもんが全然大規模じゃないって?」

「そうさ」

男はうなだれるようにして答えた。

「僕たちはただの駒なんだよ。東北大帝にとってはね。鬼機兵なんて、外貨稼ぎにちょうどいい、使い捨ての部品に過ぎない。それでもうまくやれば、多少は役に立つってだけの話さ」


「……ふぅん」

沙羅は腕を組み、男を見下ろす。

「あんた、わりと話が弾むじゃない。でも、それ以上の話があるなら、もっと真剣に聞く価値があるようなネタが欲しいなー」

その言葉に、男の顔が少し強張った。


「……それよりも、お姉さん、何か食べるものない? 何か食わせてくれたら全部話すよ」

男の腹がタイミングよく鳴った。

沙羅は呆れたように息を吐き、目を細めた。


「食べ物? あんた、こんな状況でよくそんなこと言えるね」

「だって……僕、もう限界なんだよ。今朝基地を発つ時から何も食べさせてくれないし、こんな大雨の中でずっと鬼機兵の中に閉じ込められてたんだ。だからさ、せめて一口でも何か……」


その必死な様子に、沙羅はしばらく無言で男を見つめた。

やがてポケットから非常用のスナック菓子を取り出し、男に放り投げる。


「ほら、これで十分でしょ。話す気があるなら、とっとと始めなさいよ」

男はスナックを握りしめ、目を輝かせた。

袋を開けると勢いよく中身を口に放り込み、少し落ち着き、回復した印象を受ける。


「……ありがとう、お姉さん。じゃあ、約束通り全部話すよ」

「それが命拾いになるといいね」


沙羅は目を細めながら、男の話を聞く体勢を整えた。

男の口から出てくる情報が、この陽動作戦の全貌を明らかにする鍵となるかもしれなかった。


「ついでにお姉さん、何か着るものない?」

男が遠慮がちに言う。

「んー、いいけどさ、あんたが着れそうなのはないわよ。私、なるべく荷物持ちたくない主義だからねぇ。あ、でも……この車の本当の持ち主の服があるかも。ちょっと待っててよ」


沙羅は後部に積まれた荷物の山を探り始める。

いかにも軽い調子で、けれど探る手は妙に慣れている。

それは車の隅々に隠された何かを漁る盗賊のそれに似ていたが、彼女は別にそんなつもりはない。

ただ探しているだけだ。

探す理由を詮索されることなく、ただの結果が求められる行動。


「あった、これでいいでしょ!」

彼女が男に差し出したのは、何か布のようなもの。

男は受け取る。

だが、すぐにその顔が微妙に引きつり始める。

表情筋が妙な動きを見せ、少し震えた声で返した。


「……お姉さん、これただの紐じゃないですか。こんなので暖なんか取れやしない」

その一言に、沙羅は数秒間硬直した。


そして――


「……あっ! ごめん! それ、私が昨日履いてたやつ!」

満面の笑み。

反省の色は皆無。

ただし、場に漂う空気だけはさらに冷え込んでしまった。


「履いてたやつ、って……これを?」

男は茫然自失の状態で、指先で掴んだその「紐」を凝視する。

明らかに人間が着用する服というカテゴリーには収まりきらない存在感のそれを。


「いやー、ほんと悪い悪い!」

沙羅は笑いながら頭をかく。

「でも、まぁさ。これでも結構高かったんだよ? 意外と役に立つかもよ?」


「役に立つわけないでしょう!?」

男が突っ込みを入れる間もなく、沙羅はあっさりと次の荷物を漁り始めた。


「待ってよ、もっとマシなやつ探すから。……あー、とりあえずこれとかどう?」

次に出てきたのは、ブランケット。

男でも膝下まで届きそうな代物だ。


「最初からこれを渡してくださいよ!」

そう叫ぶ男の背後で、沙羅は無邪気に肩をすくめた。

「だって、こっちの方がウケるかなって思ったんだもん」

沙羅は肩をすくめながら言い放つ。

その目はどこか悪戯っぽく、けれど底知れない軽さを感じさせた。

「男なら女の下着、好きでしょう。あ、もしかして脱ぎたてが好きなタイプ? うわっ、変態ねぇ」


その言葉と同時に、沙羅はスカートの裾に手を掛けて履いている銀レースのパンティを脱ごうとする。

分かりづらいが、よく見ると悪趣味な蛇柄だ。


「違います! 脱がないでくださいよ!」

男は全力で叫んだ。

声には切実さが込められていた。


「んー? そんなに慌てることないじゃない。ほら、脱ぎたてなんてプレミアものよ」

沙羅はまったく動じる様子もなく、スカートを持ち上げかけたところで、男は慌てて目をそらした。


「いやいやいや! そんなもんいらないです! 本当にいらないですから!」

男は声を裏返しながら必死で制止する。


「ふーん、残念。結構いいやつなんだけどねぇ」

沙羅は軽く鼻を鳴らし、あっさり手を離した。

スカートは無事に元の位置へと戻る。


「でもさ、本当は欲しかったんじゃないの?」

沙羅が顔を覗き込むようにして聞いてくる。その笑顔は純粋な悪戯心に満ちている。


「そんなわけないでしょう! ていうか、なんでそんな変な発想になるんですか!」

男は顔を赤くしながら抗議するが、沙羅はそれを楽しむようにクスクスと笑った。

「冗談だってば。あんた面白いわね、ほんと」

そう言いながら、沙羅はもう一度車内を漁って服を手渡す。

今度は明らかにまともな服――少しシワの寄ったシャツとジーンズを取り出す。


「ほら、これなら文句ないでしょ?」

「もっと早くくださいよ……」

男は呆れた顔でシャツとジーンズを受け取った。


沙羅の悪戯はひとまず終わったが、彼女の視線にはまだ楽しげな色が残っていた。


    ◇


その頃、G.E.D.O.北海道支部の地下施設では、通常の冷たい静けさが熱を帯びた騒然とした空気に塗り替えられていた。

無数の端末が刻一刻とデータを処理する音が響き渡り、緊急ミーティングに召集された構成員たちは各々の立場から声を上げていた。


だが、その中心に立つファーザーは静かだった。

いや、静かというより冷静を装っているだけだった。

暗い影がその鋭い目の奥に潜んでいるのを、幹部たちは気づいていた。


「増援の名目で投入した鬼機兵団が全滅、か」

ファーザーは低い声でそう呟いた。

平坦な口調だったが、その一語一句に周囲の空気がピリついた。

「……これだけの損失が出ていながら、まぁ良い。これは我々に直接の関係があるわけではないからな」

彼の言葉は一見すると軽く聞こえたが、その内に潜む棘は鋭かった。


「しかし、ファーザー……」

次の言葉に力が込められる。

「陽動。陽動だと! ハッ、馬鹿馬鹿しい。一体なんの為にだ!」

会議室に重苦しい沈黙が落ちる。

中堅のエージェントが、恐る恐る手を挙げて発言する。


「ファーザー、お言葉ですが。やはり、東北大帝は我らを……」

「黙れ!」

ファーザーの一喝が空気を引き裂いた。

その鋭い声に幹部たちは一斉に息を呑み、下を向く。


「そのために、今回の作戦があるのだ」

ファーザーの声は低く、圧倒的な威圧感を纏っていた。

周囲に立ち込める空気が張り詰める。

「東北大帝が何を企もうと関係ない。我らは我らの計画を遂行する。全ての障害を排除し、G.E.D.O.が示すべき未来を築くのだ」

その言葉に誰も異を唱えなかった。


ファーザーはゆっくりと座った椅子から立ち上がり、暗い表情のまま部屋を後にした。

その背中に覇気と迷いが同時に入り混じっていることに気づく者はいなかった。


ファーザーは祈るように呟く。

「……頼むぞ莉奈。弱き父にはお前だけが頼りなのだ」

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