第4話 FALLEN LUCK.Come with Red THUNDER
札幌市街地郊外に位置する、とある牧場。
牧草地と牛舎が並ぶ穏やかな風景の中に、無骨なサイロがいくつも佇んでいる。
だが、その一つだけは異様だった。
サイロの内部は完全に改造され、外観では想像もつかないほど広大で冷たい施設が隠されていた。
青く輝くLEDライトが無機質なコンクリートに光を反射させ、壁一面に所狭しと並ぶ最新鋭の機器が冷たい金属特有の輝きを放っている。
「……サラが動き出したようです」
端末の前に立つ男が、ディスプレイを見つめながら報告を上げる。
その声に応じるように、部屋の奥から重々しい足音が響く。
影から現れた総帥らしき男は、堂々とした体躯にダブルのスーツをまとっている厳格そうな男だ。
男は片手をポケットに入れたまま、視線を周囲に向けた。
「心配はいらぬ」
彼の声は低く、しかし威圧的だった。
「右腕がすでに復活したという報告が届いている。第一段階は完了だ」
静かなその口調には、確信に満ちた自信が滲んでいた。
部屋の中にいた他の男たちが一斉に姿勢を正す。
その様子を見渡し、総帥は唇の端をわずかに歪めた。
「お前たち、わかっているな」
彼はゆっくりと歩を進め、壁に設置された大きなスクリーンの前で立ち止まる。
スクリーンには、Genetic Evolution Dominion Order (遺伝進化支配機構)の文字。
「すべては羅鬼様復活のため。我々G.E.D.O.の悲願が、いよいよ実現しようとしている!」
「G.E.D.O.に栄光あれ!」
一人が叫ぶと、他の者たちも拳を突き上げて応じる。
「G.E.D.O.! G.E.D.O.!」
歓声が部屋中にこだまし、コンクリートの壁が震えるほどだった。
その光景を背に、総帥は静かに微笑んだ。
「サラよ、来るがいい。お前がどう足掻こうと、我々の計画はもはや止められぬところまできておるのだ」
総帥の声が響く。
◇
「守羽サン。なんか策を弄してるみたいだけど、無駄なんじゃないかなぁ」
莉奈の声には、余裕というよりも愉悦が滲んでいた。
対するこちらの状況は、悪いどころか絶望的と言える。
納田終は浄縛鎖が地面に突き刺さったまま動けず、戦闘から完全に脱落している。
天地統真は義肢が焦げ付き、肉体は満身創痍。まともに立つのもやっとと言った様子。
土御門次郎は前に出ようとしているが、術の使用を宗家に制限されている以上、大した援護は期待できないだろう。
残るは咲、ただ一人。
彼女だけが、ここで抵抗の火を絶やさず燃やし続けられる。
咲の手の中には、先ほど使った奥の手、〈百計多羅図〉の残骸が握られていた。
あれは失敗だった。
仕込みに仕込んだ九十九もの術式を駆使し、莉奈を封じようとしたが、結果はまったくの無駄足。
百計どころか、一つの傷すら与えることができなかった。
だが、それでも。
咲は舌打ちを一つして立ち上がった。
「無駄かどうか、試してみないとわかんないでしょ」
口調は軽いが、背筋には冷たい汗が流れている。
莉奈は微笑を浮かべたまま、オーバーに肩をすくめた。
「いいよ。まだ遊び足りないし、相手してあげる。でも、何か新しいの用意してる感じ?じゃないとアタシ、ちょっと退屈ー」
咲はちらりと納田終と天地、そして土御門を見やった。
いずれの表情を窺ってみても満足に戦える状態ではない。
時間稼ぎにすらならないだろう。
彼女が頼れるのは、自分の力だけだ。
「勿論。ちょっと、やばいけどね」
咲は口角を上げながらラジカセを強く握りしめる。
虚勢を張る指先は震えている。
「……咲さん、まさかアレを正装院から持ち出したんですか?」
土御門が目を見開き、声を張り上げた。
その表情は明らかな動揺を見せている。
「流石にオリジナルは許可降りなかったんで、ダビングですけどね」
咲は平然と答えたが、その目はラジカセに貼り付いている。
彼女が用意しているのは、血のような赫色に染まったカセットテープ。
正装院の中で封印されていた神哥の一つ、〈零響殻〉の模倣品だ。
それがどれほどの威力を持つかは、誰にも分からない。
ただ一つ確実なのは、それを扱う咲自身を確実に蝕むということだけだ。
しかし、現在対抗できる手段はこれしかない。
「いくよ!」
咲はラジカセを操作し、巻き戻しのボタンを押した。
音楽が逆再生される奇妙な音が響き渡る中、咲は術を発動させる。
「呪呪呪呪呪……」
渦巻く音の中で、咲の体に赫色の文字が浮かび上がる。
文字はまるで生きているかのようにのたうち回り、やがて彼女の体を覆う血文字の装甲を形成していく。
「へえ……面白いじゃん。ちょっと本気出そうかな」
彼女は一瞬だけ立ち止まり、羅鬼の右腕を高々と掲げた。
その仕草には余裕すら漂うが、確実にその動きには殺意が宿っていた。
言葉にしがたいプレッシャーが空間を支配する中、その沈黙はほんの一瞬で打ち破られる。
「──死ねや!」
莉奈が咆哮とともに突進する。
凄まじい速度。
いや、速度だけではない。
彼女の体が空間を削り取るように迫ってくる。
地面がえぐられ、足元から舞い上がる土煙がまるで血飛沫のよう。
羅鬼の右腕が異様に膨張し、黒い瘴気を撒き散らしながら咲に向けて叩きつけられる。
「────ッ!」
咲は即座に反応する。
彼女の装甲が音の渦とともに赫色の輝きを放ち、腕が自動的にその一撃を迎え撃つべく構えを取る。
瞬間、空間が歪む。
衝突する前から圧力波が炸裂し、周囲の木々がざわめき、校舎が揺れる。
「破ァァッ!」
咆哮と共に羅鬼の右腕が振り下ろされる。
その一撃は、質量そのものが無限大に増幅されたような力だ。
一撃を受け止めるなど不可能に思える。
だが。
「甘いッ!」
咲は赫色の装甲をまとった腕で受け止めた。否、「受け止めた」と言うべきか。
咲のラジカセから放たれる逆再生の音波が炸裂し、莉奈の動きをほんのわずかだが鈍らせる。
「何!?」
莉奈の顔がわずかに歪む。
咲はその一瞬の隙を逃さない。
咲は足を軸に半回転しながらそのまま莉奈の右腕を引き込むようにして捻り、逆方向に放り投げた。
莉奈は咆哮をあげながら地面を砕き、さらにそこから反転して即座に間合いを詰め直す。
「早い。──けど!」
咲はギリギリのタイミングで足元を強く踏み込み、ラジカセから放たれる音波をさらに増幅させる。
赫色の渦が二人の間を飲み込み、空気が燃え尽きたように音が消える瞬間が訪れる。
空間を貫く爆音。
「ぐっ!」
莉奈が後方に弾き飛ばされる。
地面に何度も叩きつけられながらも、すぐに体勢を立て直すその動きは流石といったところか。
「……へえ。あんた、本当にやるじゃん」
莉奈の顔にはわずかな苛立ちが見える。
だがその目はまだ笑っていた。
狂気を秘めた笑みが深まる。
「来い、莉奈!」
咲は足を踏みしめ、赫色の装甲に包まれた手を構えた。
渦巻く音がさらに激しさを増し、空間が歪んでいく。
「土御門様! 咲には荷が重すぎます! あいつ、正装院の人間だけど、修復管理課の非戦闘要員なんでしょ!?」
納田終が叫んだ。
だが、それを聞いた土御門は軽く苦笑しながら、窓から外の校庭にいる納田終に向かって叫んだ。
「心配御無用! 正装院の人間なら、装備の修復や管理なんてできて当たり前。修復管理課は、言ってしまえば『彼女が強すぎて』戦闘部署に回せないからできた、窓際部署みたいなもんですから」
納田終が目を見開く。
「じゃあ、あいつが元々いた部署って……?」
納田終が混乱を隠せずに問いかける。
土御門が力強く頷き、そして冷徹な笑みを浮かべる。
「バンガイ。正式名称を『対羅鬼用特殊戦闘課』。羅鬼の復活を狙う連中の中でも、特に高度化した組織を調査・壊滅するべく組織された特殊部隊。まさに正装院の秘蔵っ子。現状で〈零響殻〉を纏うのは、彼女が適任ですよ」
納田終が目を見開いた。
その顔は唖然としている。
「マジか……」
その時、莉奈の笑い声が響く。
「面白くなってきた!」
羅鬼の右腕が猛烈な勢いで咲に向かって突進する。
だが咲は全く動じず、零響殻を纏った体を停止して身構える。
両者が激突した瞬間、周囲の空間がひずみ、衝撃波が広がる。
互いの力が拮抗し、一瞬だけ空気が止まったような感覚が広がる。
「中々やる!」
莉奈の声が響く、刹那のように交錯した力が空間を震わせる。
咲はその言葉に対して軽く笑みを浮かべ、次の動きへと移る。
「そっちこそ。これでもまだ足りない……でも!」
咲は地面で見上げる天地と納田終に向け、軽やかに指示を飛ばす。
「二人とも、まだ仕事がありますよ」
咲は呪文を刻みつけた護符をそのまま二人に投げつける。
護符が空中できらめきながら、二人に向かって飛んでいく。
すると天地の奇械技肢からはボディが、納田終の浄縛鎖からはシールドケーブルがそれぞれ変形して、次々に咲の元へと飛んできた。
「やっと抜けた……」
納田終が浄縛鎖が外れたのを確認し、思わずホッと息をつく。
その顔には、わずかな安堵の色が浮かんでいたが、すぐに疑念が交じる。
「なにをするつもりだ?」
その問いに対し、咲は一瞬のためらいもなく答える。
「保険のつもりだったけど……やるしかない」
その言葉が終わるやいなや、射出された二人の武装が空中で変形・融合し、一本のギターを形作る。
そのギターは、ただの楽器ではなかった。
まるで生き物のように震えている。
「一曲目いってみようか」
咲が口にした言葉は、まるで何かを試すような呟き。
彼女はラジカセをアンプ代わりに接続し、指先がギターの弦に触れる。
音が、空気を震わす。
高らかに響く音が、音だけが戦場の静けさを破って広がり、まるで世界の全てがその音に引き寄せられるかのような力を持っていた。
咲はギターを握りしめ、力強く、そして美しく弦を奏でる。
その音は、ただのメロディーではない。何かを呼び起こし、何かを変えていく。
「これは音楽、というより――」
咲がその言葉を口にする前に、もう一度、指が弦を引き裂くように奏でられた。
「《赫雷奏》」
その名を叫ぶと同時に、ギターから放たれた音の波紋が空間を切り裂き、周囲の空気を歪ませる。
音楽は戦いの武器となり、確実にその力を増幅させていく。
それは癒しにあらず。
咲の指がギターの弦を切り裂くたび、空気が震え、音の波が地面を揺さぶる。
まるで稲妻のように鋭く、激しく、そして何よりも攻撃的な音色。
これは戦いの音。
破壊と激闘の音だ。
「喰らえー!」
咲の目に浮かぶのは、無慈悲な決意。
ギターから放たれる音波がまるで雷鳴のように響き、周囲を焼き尽くすような力を持っていた。
空気が引き裂かれ、目の前の空間そのものが震え、荒れ狂っていく。
「響け、雷鳴のように!」
その音は、まさに戦闘のために作り出された。
すべての感覚がその音の中に溶け込み、戦場のすべてを飲み込んでいく。
もはや、ギターを奏でる手が無敵の武器となり、その音は絶対の力を示している。
「ううっ」
莉奈の動きが一瞬止まる。
その表情がわずかに歪むのを咲は見逃さない。
羅鬼の右腕と彼女の肉体が癒合した部分から亀裂が走るように火花が散り、真紅の血飛沫が激しく舞い上がる。
「おやおや、余裕の笑顔はどこに行っちゃったのかな」
咲は挑発するように言葉を放ち、赫色の装甲が放つ音波をさらに増幅。
音の渦がさらに勢いを増し、空が裂けるような絶叫が辺りを支配する。
「黙れ!」
莉奈は血を滴らせながらも叫び、羅鬼の右腕を掲げて咲に向ける。
しかしその動きには先ほどの優雅なまでの猛々しさが存在しない。
咲の奏でる旋律が、羅鬼の右腕の力を狂わせているのだ。
「まだ羅鬼の右腕は私のものなんだ。誰にも渡すか!」
莉奈が腕を振り下ろす。
羅鬼の力が渦巻く一撃は相変わらず凄まじい威力だが────。
「遅い」
咲は冷静に動きを空気の流れから読み切る。
最小限のステップで回避する。
さらに彼女の赫色の装甲が甲高い音波の渦を纏い、莉奈の右腕へと向けられる。
「《赫雷奏・雷霆》!」
咲の叫びと共にギターの先端から音波が雷光のように収束し、一点へと集中していく。
圧縮された光弾が放たれると、それは一筋の雷光と化して莉奈へ直撃した。
「ぐっ」
激しい衝撃音とともに、羅鬼の右腕が火花を散らしながら揺れる。
その表面に亀裂が広がり、癒合部からは鮮血が吹き出した。
「なんでぇ……!?」
膝を折りそうになりながらも、莉奈は怒りに満ちた瞳で咲を睨む。
咲は静かに笑みを浮かべ、音波をまとった拳を構え直す。
「教えてあげようか」
莉奈が苦しそうに喘ぐ。
「なによ……」
咲は冷徹な口調で続ける。
「あなたが使ってるその腕、確かに力はすごい。でも、それは無理やり繋ぎ止めた偽りのもの。羅鬼の力を制御する資格もないくせに、他人任せの強さを自分のものみたいに振る舞ってるだけよ。だからこのザマ。こんな私に負けてどう、悔しい?」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れぇ!」
莉奈が再び突進する。
だが、その速度は明らかに鈍く、焦りが動きの隙となって現れている。
咲は冷静に動きを見極めながら回避し、すかさず次の行動に移る。
「これで仕上げよ」
咲がギターを天高く掲げて、高らかに必殺の音色をかき鳴らす。
「《赫雷終奏・震踵》!」
音波で脚部が震え、赫い稲妻が纏わりつく。
その刹那、咲は目にも止まらぬ速さで莉奈に蹴りを叩き込んだ。
「嫌っ。アタシは──!」
莉奈が叫ぶ間もなく、雷撃と衝撃波が炸裂する。
衝撃と轟音が響く中、羅鬼の右腕が黒い瘴気を撒き散らしながらついに爆ぜた。
癒合部分から裂けるように分離し、大量の血と共に莉奈から引き剥がれて落下していく。
「────!」
莉奈が崩れるように地面へと倒れ込む。
幸い生きてはいるが肩を上下させながら、息も絶え絶えに、それでも目には悔しさと狂気が残っている。
「一件落着……かな?」
咲はラジカセの音量を下げ、溜息をついた。
「JK相手に何やってんだか。大人気ないなー、私」
咲は息を切らしながら、ラジカセを片手にぼやく。
地面には崩れ落ちた莉奈と、今なお瘴気を放つ羅鬼の右腕が転がっている。
周囲に漂う緊張感が、彼女の軽口によってわずかに和らぐ。
だが、咲の瞳の奥には微かに疲労感が滲み出ている。
「でも、これでよかったんだよね?」
問いかけるように空を見上げるが、返事はない。
音波の余韻だけが静まりゆく戦場に残っていた。
「まだだ、まだ私には豹の……外道者の力がある。なんの為に汚いオヤジに体売ってまで力を手に入れたと思ってるんだよ……!」
莉奈は血の気を失った顔で地面に膝をつきながら、それでも震える手で羅鬼の右腕の残骸を必死に掴んだ。
その目は憎しみと狂気に満ち、崩れかけた体を無理やり動かして立ち上がろうとしている。
「まだ、だめだ。まだ! アタシの力は、こんなもんじゃない……」
莉奈の体が不自然に捩れる。
彼女の背中から黒い瘴気が噴き出し、その中に豹のような模様が浮かび上がる。
それは彼女の肉体を蝕みながらも、彼女にさらなる力を与えているかのようだった。
「この外道者の力で……全てをぶち壊してやる!」
咲はラジカセを構え直し、深いため息をつきながら呟いた。
「……まだやる気? 自殺行為を続けるだけよ」
咲の声には一抹の憐れみが混じっていたが、その眼差しは油断の色をまったく見せない。
羅鬼の右腕は黒い瘴気を吐き出しながら再び動き出し、莉奈の体にまとわりつくように変化していく。
分解された破片が鋭利な刃へと変わり、それが鎧のように彼女の体を包んだ。
豹の斑紋に、赤黒く滲む血の紋様が混じる。
全身を覆うその姿は絶望的なまでの美しさを放っていた。
「羅鬼の右腕は壊れちゃいない。まだ、まだやれる!」
莉奈の声は異様に低く響き、その言葉に合わせて鎧がかすかに波打つ。
その姿は、禍々しい。
「来なさい。外道者だろうが何だろうが、全部ぶっ壊してあげる」
咲は一歩前に出ると、ギター型の武装を両手で力強く構える。
その言葉には挑発的な響きがあったが、その顔には緊張が刻まれていた。
「おい咲、やめておいた方がいい。お前、そろそろ───」
何かを言いかけた納田終の声が遮られる。
咲が彼の唇に指を当てて、静かに制したのだ。
「零響殻のことなら、まだ問題ない」
咲の声には揺るぎない自信があったが、その言葉の裏にはわずかな焦りが隠されている。
音波の装甲が、勢いが少しずつ弱くなってきているのを自覚しているのか、咲はほんの一瞬だけギターを見つめて深呼吸をした。
「覚悟!」
咲の体から再び赫い音波が立ち上り、その光が莉奈の鎧と対峙するように空間を震わせた。
◇
羅鬼の右腕が吐き出す瘴気が濃度を増し、まるで生き物のように蠢きはじめる。
鎧となった腕は、莉奈の肉体に食い込むようにして融合を深めていく。
そのたびに彼女の表情は苦痛と狂気の入り混じったものへと変わる。
「……っ、これこそが……私の力。まだ足りない、もっともっともっともっと……!」
莉奈はまるで自分を鼓舞するように叫びながら、前へ前へとにじり寄る。
四肢は元の人間的なバランスが失われ、まるで獣そのもののになっている。
「響け、《赫雷奏》」
咲はギターの弦を軽くかき鳴らし、音波を周囲に広げて牽制を図る。
その音が鳴り響き、莉奈の周囲に漂う瘴気をかき消そうとするが――その時。
「なに、なにこれぇ!」
莉奈の叫び。
見れば、下腹部が怒張している。
全身が激しく震え始め、まるで内部から何かが這い出てこようとしているかのような不穏な音が響く。
「何……?」
咲が警戒の色を濃くし、ギターを構え直す。
莉奈は焦る。
「……おい、なんだこれ。アタシの力のはずだろ? なんで勝手に暴れるんだよ!」
半狂乱に近い状態で叫ぶも、その右腕は彼女の意思を完全に無視するように動き始める。全身から吹き出す瘴気はその濃さを増していき、周囲の空気が重く、深く、淀んでいく。
異音。
莉奈の口から肉塊のようなものが裂けて押し出され、巨大な蛹から何かが孵化するような異様な光景が広がる。
それは粘つく黒い膜に覆われ、鼻をつんざくような腐臭とともにその場に現れた。
「これは……?」
咲も一瞬だけ息を呑むが、すぐに構えを崩さない。
次の瞬間膜が破れ、中から人型の影が這い出てきた。
粘液を撒き散らしながら地面に落ちたそれは、明らかに人間の形をしていた。
だが、その体は羅鬼の右腕と同じく血のような赤黒い瘴気に覆われ、その眼だけが虚な白色に輝いている。
「……誰だよ、こいつ……!」
莉奈が後ずさりしながら叫ぶ。
咲はその異様な姿を見て、すぐにピンときた。
「まさか……! 鳴上破徒」
その名前を聞いた瞬間、影はゆっくりと顔を上げた。
確かに、その顔は鳴上破徒。
莉奈に先刻喰われた筈。
だが、その顔には人間らしい理性や感情は残っていない。
「……おい、嘘だろ。 鳴上が生きてたってのか?」
納田終が信じられないといった様子で呟く。
だが、その様子を見ていた土御門は静かに言い放つ。
「いや、あれはもう彼ではありませんよ。羅鬼の右腕と完全に融合し、意識を喰われた────羅鬼子だ」
その言葉に、咲の眉がピクリと動く。
「厄介。莉奈は弱ってるようだけど、二体一ってわけ?」
咲は再びギターを構え直し、音波を纏わせた赫色の稲妻が周囲に広がる。
その時、羅鬼子と化した鳴上が口を開いた。
「破壊。殺戮。これすなわち、快楽」
まるで機械音のような声が響くとともに、鳴上の体から赤黒い瘴気が噴き出し、まるで莉奈と共鳴するかのように襲いかかってきた。
「来なさい!」
咲は叫びながらギターをかき鳴らし、《赫雷奏》の音波を撃ち放つ。衝撃波が瘴気を切り裂いて、鳴上と莉奈を弾き飛ばす。
「面倒。でも、いける!」
咲は汗を拭う間もなく、次の一手を考える。だが、その目はまだ戦意を失っていない。
「大丈夫だ、咲。俺たちも忘れるな」
納田終と天地が背後から咲を援護するように構え直す。
再び戦いの音が激しく鳴り響く中、咲たちは決死の覚悟で挑むのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます