第3話 Quiet talk

3.

「ふう、疲れたー。丸四日潰れちった」

新千歳空港のターミナルに立つ女が一人。

異様な存在感を放ちながら、つぶやく。

「すすきのまでどうやって行こうかなー。金ないし、徒歩ー。そんな私はトホホー……ってやかましいわ!」

その自問自答に誰も突っ込む暇はない。

というより、誰も近づこうとしない。

何というか、忙しい女だ。

独り言の応酬も、周囲からは完全に無視されている。

「あ、お兄さん、そこのお兄さん!」

彼女は近くに立つ男性を見つけると、まるで旧知の友人にでも話しかけるかのように近づいていった。

「その服、タクシーの人だよね。ちょっと呑みたいからさ、すすきのまで乗せてってよー、ね?」

その言葉に、男は目を逸らし、軽く会釈だけして足早にその場を去る。

「えぇ~! なんで逃げるのさ。そんなに怪しい人間には見えないでしょ」

いや、怪しい。

どう見ても怪しい。

周囲の視線がそれを証明している。

近くにいた他の男たちも、何かを察してかそっとその場を離れていく。


一方で、女は気にした様子もなく、次々にターゲットを変えて声をかけていく。

「そこのおじさん! タクシー乗せてってよぉー」

「あ、そこのメガネ君! ちょっとお姉さん乗せてってくれないかな」

だが、誰も応じない。

むしろ反応が冷たくなるばかり。


その理由は明白である。

彼女の服装だ。

真冬の北海道。

空港の外には氷点下の寒気が漂い、観光客は誰もが厚手のコートに身を包んでいる。

そんな中、彼女は。

エナメルレッドの超ミニスカートに、ピアス入りのヘソ出しノースリーブ。

しかもその素材はまさかの本革。

悪趣味な蛇柄がこれでもかと主張している。

さらに、服の隙間からは、レースをあしらった銀色のシースルー気味の下着がちらちらと覗くという過激さ。

髪もまた異彩を放つ。

銀色の髪はその鮮やかさにおいて圧倒的だが、毛先はギザギザ。

どう見ても自分で切ったとわかる不恰好な仕上がりだ。

まるで真冬の北海道に降り立った、どこかの妖精――否、地獄から来た暴走妖精とでもいうべきか。

その姿に、近くを歩く女性たちも呆れたような、いや恐れすら含んだ視線を向ける。

彼女らは一様に距離を取り、なるべく目を合わせないようにしている。


だが当の本人は、自分の服装が周囲にどう思われているかを気にする様子もない。

むしろ、その銀髪をかきあげながら、スーパーモデルもかたなしなプロポーション(背は低いし胸が不自然なぐらい大きいが)を振りまいて気分がノっている。

「おかしいなー。こんなに声かけてるのに、誰も手伝ってくれないなんて。北の人は冷たいってホントだったんだねー」


(――違う。それは単に君が圧倒的に異質すぎるだけだ!)


空港の人々は心の中でそう思いつつも、誰も声に出そうとはしない。

冷気よりも、彼女の存在が場の温度をいっそう凍りつかせていた。


「────あー。っていうかまず荷物取らなくちゃだ。ちゃんと届いてるかな」

彼女がつぶやきながら歩き出そうとしたその時、背中に軽く叩かれる感触があった。

「ん?」

振り返ると、そこには見知った偉丈夫の姿が。

彼女の視線の先に立っていたのは、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた男だった。

「沙羅、忘れ物だぞ」

男の声は低く、重い。

それだけで彼が少々怒っていることを察するには十分だった。

「うわっ、グラツィアーノ。びっくりした」

彼女、沙羅は驚いたふりをしながらも笑顔を見せる。

だが、その言葉の次には、相手の機嫌をさらに損ねる発言をさらっと口にするのが彼女の悪い癖だ。

「あんた何、イスタンブールで別れたのにわざわざ追ってきたの? 随分早かったわね。忘れ物届けるぐらいだったら船便とかで送ってくれたらよかったのに」

「日本流のジョークか。住所のない根無草(ねなしぐさ)にどうやって送れと」

彼、グラツィアーノは眉間に深い皺を寄せながら答える。

「大体、君のようにトランジットの時間を遊びまくってフライトを一本逃さなければ、僕がこんな面倒なことをする必要もなかったんだよ」

「げげっ、バレてる」

沙羅は一瞬ひるむが、すぐにいつもの調子に戻る。

「ちなみにその間の費用は経費で落ちたり……」

「しないね。僕がそうさせない」

グラツィアーノは軽く鼻で笑った後、表情をさらに険しくした。

「しかも換金率目当てで、トルコリラで支払いなんてせこい真似をするな。おい、ラクを何杯飲んだらこんな金額になるんだ」

「何よー。イタリア人のくせに陰気で酒嫌いな男なんて!」

沙羅は不満そうに叫ぶ。

だが、彼はその言葉を華麗にスルーした。

「ルーツがイタリアなだけで、僕は移民の子だ。ユナイテッドステーツのね」

その冷静な返しに、沙羅は軽く舌打ちをする。

だが、どこか楽しそうなのは、相手がこれ以上怒らないことを知っているからだ。

周囲を行き交う人々の視線も気にせず、彼女たちの掛け合いは続く。

新千歳空港の喧騒の中で、一際異彩を放つ二人だった。


    ◇


沙羅は無事に荷物を受け取った後、ターミナルを歩きながら満足げに伸びをした。

「ふう、やっと再会! さて、何しようかな。あ、グラツィアーノ。ちょっと付き合いなさいよ」

唐突に声をかけられたグラツィアーノは、彼女の自由奔放な振る舞いに辟易しながらも応じる。

「付き合いって……何をするつもりだ?」

「決まってるでしょ、食事よ、食事。せっかく北海道に来たんだもの。北海の冬の味覚ってやつを味わわなきゃ損ってもんでしょ?」

「腹も減ってるし構わないが、いつも提案が急だね」

渋々といった様子で同意したグラツィアーノを引き連れ、沙羅はターミナル内の案内板を見上げた。

「よーし、寿司屋決定! 北海道と言えばお寿司でしょ。文句ないわね?」

「別に文句はないが、無駄にハードルをあげる必要はないと思うぞ。日本本土だろうと、所詮はリトルトーキョーで食べるのと大差ないんだからな」

「何そのイヤミ。ほら、さっさと歩く!」

沙羅は早足で進み始め、グラツィアーノもため息をつきながらその後に続いた。


新千歳空港内、とある寿司バー。


「日本の寿司も中々いける。やはりリトルトーキョーで出てくるのとほとんど大差ないな」

グラツィアーノが淡々と感想を述べながら、目の前の皿からなえた手つきで握り寿司を一貫手に取り、醤油に軽くつける。

「……あんた、それ逆に失礼じゃない?」

沙羅は眉をしかめながらグラツィアーノの言葉に小声で突っ込む。

その一言を聞いて、寿司職人の顔がほんの少し引き攣るのが目に入る。

「本当のことだ。褒めてる」

淡々と答えながら、グラツィアーノは新鮮なホタテの握りを口に運ぶ。

咀嚼するたびに微かに眉が動き、彼なりに味を楽しんでいるのが分かる。

「うん、さすが。悪くないな。特にこのホタテ。甘みがいい」

「ほら、ちゃんと褒めればいいのよ。ったく、粋なセリフ一つ言えないんだから」

沙羅はそう言いながら、自分の皿から大トロの握りを摘まみ上げる。

引き締まった脂がのった光沢にうっとりとしつつも、一口で頬張ると瞳を閉じて小さく唸った。

「んー! これよこれ。やっぱり北の海は良い魚がいっぱいいるわ」

彼女の心底満足そうな声に、寿司職人も少し救われたような顔をする。


「でもさ、残念ね。これからあんたどっか

行くんでしょ?」

沙羅が口を拭いながら尋ねると、グラツィアーノは手を止めずに答えた。

「ケアンズ。オーストラリアの」

「……ケアンズ? 何しに?」

「バカンス。妻と子供が待ってる」

そう言ってポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見せてきた。

「これが僕のファミリーさ」

画面には、日差しの下で眩しい笑顔を浮かべるナイスバディのアジアンビューティーと、愛らしい瞳を持った小さな女の子が写っている。

「あら、奥さん日本人?」

「先祖はそうらしいな。だが、僕と同じで移民三世。軍にいた時に知り合ったんだ」

「へえ、NAVFOREUR(ネイヴフォール)上がり。どうりで……」

沙羅はスマホの写真をじっと見つめたまま、ぼそりと呟く。

写真の女性はレモンイエローのビキニ姿で、白い歯を見せながら笑っている。

健康的な肉体美が際立ち、いかにも海軍出身の人物といった印象だった。

「いいじゃない、グラツィアーノの奥さんっぽいわ」

沙羅がひやかし半分でそう言うと、グラツィアーノは写真をしまいながら寿司に箸を伸ばす。

「……なんだそれ。まあいい。次は何だ? カニか」

彼が迷いなく選んだのは毛ガニの軍艦巻きだった。

卵の甘みと蟹身のほのかな塩気を味わいながら、少しだけ目を細める。

「それで、いつまでこっちにいる気なんだ。君の仕事はいつも面倒だからな」

グラツィアーノの冷ややかな問いに、沙羅はウニの握りを頬張りながら答える。

「さあね、気分次第よ。……あ、次はイクラいこっと」

目の前の寿司を次々に平らげながら、二人の会話は続く。

寿司職人はひそかに早く帰ってほしいと思いつつも、彼らが何者なのか気になって仕方がない。


「それにしても」

グラツィアーノが、ふと箸を止めて沙羅に問いかける。

「何よ?」

沙羅はカウンターの上に置かれたイカを無造作に一つ掴み、口に放り込む。

くちゃくちゃという粗雑な咀嚼音が店内に響く。

「今回はやけに荷物が少ないじゃないか。日本には里帰りしに来たんだろ?」

「おっと。その話突っ込んじゃう感じね」

沙羅は一瞬だけ怪訝そうな顔をしてから、苦笑いを浮かべる。

イカを噛みながら粗雑な咀嚼音を響かせ、彼女は投げやりに言った。

「ヤボ用できちゃって、ちょっと無理そうなの。だから北海道に来たし」

「北海道が故郷じゃないのか?」

グラツィアーノの質問に、沙羅は半笑いを浮かべたまま、また一つ寿司を口に入れる。

「一応、関西……って言っても分かんないよね。大阪の近所、一応ね。まあご存知の通り家はないわけだけど」

「さっき『北海の冬の味覚』云々と言ってたものだから、てっきりここが故郷かと思ってたんだが」

沙羅は大げさに手を振って否定する。

「バカねえ。北海道ってのは日本のグルメが集まるとこよ。美味しいものがたくさんあるの」

「そういうものか?」

グラツィアーノは半信半疑でカウンターのメニューに視線を落とす。

「まあ、あんたの母国でいうとオレゴン州みたいなもんなの。美味しい魚介類もあるし、牧場から牛もやってくるし、ついでに酔っ払いもいるしね」

沙羅はニヤリと笑いながらウニの軍艦を手に取り、一気に口へ運ぶ。


「……その例え、どうなんだ?」

グラツィアーノは呆れたように言いながらも、目の前のトロをつまみ、静かに味わった。

「しかし、北海道にわざわざ来たのはそのヤボ用だろ。教えてくれよ」

グラツィアーノはカウンター越しに沙羅をじっと見据え、軽くため息をつきながら問いかけた。

「だめ。秘密」

沙羅は肩をすくめて、どうでもいいとでも言うような軽い調子で答える。

「秘密、か。どうせまた何か危ないことだろ?」

グラツィアーノは眉をひそめ、彼女の表情を読み取ろうとする。

沙羅は笑いながら、再び手を伸ばしてイクラの軍艦巻きを取る。

「危なくないわよ。ただの個人的な用事。それ以上でも以下でもないわ」

「その『個人的』って言葉がすでに怪しい。君がまともな理由で動くことを見たことがない」

「うっそ、ひどい。私ってクリーンでピュアだし、ついでにイイオンナだもん」

沙羅はおどけながら、口いっぱいにイクラを放り込む。

「イイオンナはイクラを一口で食べたりはしないさ。トルコで飲んだくれたりも」

「げげっ、それをむし返すのやめてよ! 反省してるんだから」

彼女は喉を詰まらせたようにむせながら、慌てて湯呑みを手に取る。

「それで、結局どこに行くんだ?」

「秘密よ」

沙羅は涼しい顔で答えると、サーモンを追加注文する。

「何かを追ってるんじゃないのか」

「さあねー」

沙羅は半分真剣、半分冗談交じりの口調で、グラツィアーノの目をかわすように笑った。

「なんでもいいや。とにかく無茶だけはするなよ。折角のバカンスに仕事仲間の安否を心配したくないし」

グラツィアーノは軽く頭を振る。

カウンターに置かれた寿司を最後に一貫つまみながら、財布からクレジットカードを取り出した。

沙羅が驚いた顔をして彼の手元を見つめる。

「なによ。奢ってくれるの?」

「餞別代わりさ。どうせ君の用事なんて戦闘絡みだろ」

グラツィアーノは皮肉を込めて言いながら、無表情を装った。

沙羅はその言葉に反応するように、ニヤリと笑みを浮かべる。

「なんだ。分かってるじゃない」

「目的だけさ」

彼は目を細め、沙羅をじっと見据えた。

沙羅はその視線にひるむどころか、むしろ得意げに寿司をひとつ摘まむ。

「じゃあ、ありがたくいただいとくわ。そうだ、せっかくだからこれも追加しよ」

そう言って彼女はメニュー表を指差し、特上盛りの欄をポンと叩く。

「……本当に遠慮って言葉を知らないんだな」

グラツィアーノは呆れた顔を見せつつ、店員に向かって追加のオーダーを声高に告げた。


沙羅は目を輝かせながら寿司を口に運ぶ。

「奥さんと子供によろしく! なんか土産買ってきてあげるわ」

「そりゃどうも。そっちも死ぬなよ。イスタンブールでの支払いは保険が効かないんだ」

グラツィアーノは皮肉めいた口調でそう言うと、店員に支払いを済ませたカードを受け取った。

沙羅は立ち上がりながら伸びをして、彼を見上げる。

「じゃあ、またね。オーストラリアでサメにでも噛まれないように」

「君こそ。サメよりもヤバい手合いとやり合いそうだし」

グラツィアーノは軽く肩をすくめ、彼女の背中に視線を送った。


沙羅はそのまま手を振って、エナメルのヒールを響かせて店を後にした。

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