第20話

「はぁ……。アイネちゃんが捕まってからどれくらい経ったっけ?」

「今日でちょうど5日目だね。大丈夫かな、アイネくん……」

「恐い人たちにイジメられてないかなぁ……。心配だよぉ」

「アイネくん自体にもちょっと恐いところはあったけどさ、彼女は純粋な貧民じゃないからね……。短い間とはいえ、あそこの環境に耐えられるかどうか……」


 エリは沙知乃といつもの裏路地で会話をしていた。

 しかしそこにアイネの姿はない。

 それだけでなんだか妙に落ち着かなかった。

 空間がスカスカしているような気がしてしまうのだ。

 そして、そういう時は自然とテンションも低くなる。


「はぁ。いなくなって改めて気がついたよ。わたし達、もうすっかり3人組だったんだよね……」

「うん……」

「あ、でも、」


 唐突に、沙知乃がなにかを思いついたように言った。


「収容所って腐っても国の管轄でしょ。わたし達と違ってアイネくんにはちゃんとした両親がいる可能性が高いわけだから……もしかしたら、そっちに送り返されてるって事もあるかもしれない」

「あ、そっか。お母さんお父さんの顔でも見ればさすがに記憶も戻るだろうし……。そうなってたらいいね!」

「まぁ、そうだね……」

「どうしたの? ……さっちゃん?」


 コンクリの壁に背をもたれた沙知乃は、普段よりずっと寂しそうだった

 体育座りの脚を抱えて彼女は語る。


「もしそうなってたとしたらさ……。アイネくんにとって、もうわたし達は必要ないってことでしょ……」

「あ……」

「……」

「で、でも、アイネちゃんあの時言ってたじゃない、あたし達のこと、妹(きょうだい)みたいに思ってるって」

「うん、それはわたしもそう思うよ。あの時のアイネくんの言葉に嘘はないって信じられる。……でもさ、やっぱり違うんだよ。彼女とわたし達は」

「なにが……なにが違うっていうの?」

「……彼女には、アイネくんには帰るべき場所があるってこと」

「ッ……」

「……アイネくんは、いつか必ず元の生活を取り戻さなくちゃいけない。元いた世界に帰らなくちゃいけない。そうなった時、わたし達みたいな貧乏人がそこに入り込む余地なんて……あると思う?」


 何も言葉が出てこなかった。

 どうしてこんな簡単なことに今まで気がつかなかったのだろう。

 いいや、気がつかないフリをしていたのかもしれない。


 エリは思った。

 この3人での路上生活には遠からず終わりが来る。

 だってアイネは記憶喪失で、一時的にホームレスへと身を堕としているにすぎないのだから。


 彼女にはきっと住む家があって、

 家族がいて、

 通っていた学校があって、

 そこから繋がる未来があって……。


 その全ての事物にエリと沙知乃は必要ないのだ。

 もちろん、記憶が戻ったからといっていきなり無下な扱いをされることはないと信じたい。

 けれどもその先はどうだろう。


 まともな世界でまともに人生を歩めるであろうアイネと、明日どうなっているかもわからないような境遇のエリと沙知乃。

 その差は瞬く間に開いていって、最後には――。


「いや……いやだよっ。そんなのってないよ! ずっと、友達でいたいよ……!」


 エリは叫んだ。

 じんわりと、瞳の中に熱いものがこみ上げてくる。


「でも、それがアイネくんにとっての本来あるべき姿なんだから。受け入れなきゃ。わたし達と彼女は、最初から住む世界が違ったんだって」

「簡単に言うけど、沙知乃は本当にそれでいいの!? 寂しくないのっ?」

「わたしだって寂しいよっ! でも……、綺麗なお洋服着て、元々の友達と一緒に登下校とかしてるアイネくんを見かけたとして……そこに入り込んで友達だなんて、エリは言える?」


 そう呟いて、沙知乃は自身のみすぼらしい装いに視線を落とした。足元を見れば汚れきった素足が直接地面に触れている。


「あ、うぅ……。そ、そうだよね……。そんなことしたら、アイネちゃんだって恥ずかしいかもしれ――」



「あーもう! 黙って聞いてりゃ、さっきからなに辛気臭いことばっか言ってんのよッ!」



 涙が零れそうになった時、突然背後から声が聞こえた。

 エリは咄嗟に振り返る。

 そこには彼女がいた。

 華麗に輝く金髪に、ちょっと派手目の緑なドレス……、それを完璧に着こなす正真正銘のお嬢様。

 夕緋がそこに佇んでいた。


「ネガティブな方向ばかりに全力で妄想掘り下げた挙句に泣きそうになってるとか馬ッ鹿じゃないの!? いつもの能天気はどうしたのよ! それになに? 相手が金持ちだと“友達”と言えないですって? よくもそんな事が言えたもんだわね! ……エリッ! アンタ何回アタシのことを“友達”呼ばわりしてくれたのよッ! それとも、またお得意の嫌味ってやつ? アンタらの中ではアタシはお嬢様のカテゴリに入ってないとでも? はぁ? アタシ、思いっきり金持ちなんですけど! アンタ達とは格の違うお嬢様なんですけど! それでもアタシは……こうして毎回アンタ達に付き合ってあげてるでしょうがッ!!」

「ゆ、夕緋ちゃんっ……!」

「まったく……、って、ちょっ、なんで抱きついてくるのよ! 離れなさいってばこの馬鹿!」

「あたし達、どうしたらいいんだろう……」

「そんなこと知らないわよッ!」

「そ、そうだよね、ごめんなさい……」

「はぁ……? そこで素直にしょんぼりするとか、本当にどうしたのよアンタ。……ったく、調子狂うわねぇ」


 夕緋は大きくため息をつき、右手で頭を掻きながら言った。


「アンタらの事情はよく知らないけど、ここでグズグズ悩んでるくらいなら本人に直接聞いてきたほうが早いんじゃない?」

「ん、やっぱりそう思うよね……」


 エリは沙知乃をチラリと見やった。

 彼女は彼女で複雑そうな表情を浮かべている。


「わたしもそうは思うよ。……でも、自ら進んであそこに行くのは身代わりで捕まった夕緋くんの好意を無にすることでもあるから」

「それは、そうだけどさ……」

「――悩んでいるのならその必要はない」


 突然、背後から声が聞こえた。

 声の主は制服を着た男だった。

 つまりはエリたちのような少年少女を捕まえるために街中を散策している警官のひとりということだ。


「だいたいの事情は今の会話で察した。要は、先に“保護”された連中の安否が気になっているということだろ? 安心しろ、今から俺がそのお友達のもとへ連れていってやる」

「ッ……!」

「なにを怖がっているんだ? お前たちは友達に再会したい。俺はお前たちを“保護”したい。目的は一致しているじゃないか」

「で、でも、まだ色々と心の準備が……」

「準備? どのみちお前たちに選択の余地はないぞ」


 男が言うと、別の方向からも制服を来た人間が現れた。

 必然、挟み撃ちのような状態になってしまう。

 逃げられない。


「訪問の日取りも近いんでな。警備を強化しているんだ。さすがに一人残らずってわけにはいかないが……“保護”の対象者は可能な限り適切な場所へ送り届けたい。協力してくれるな?」

「あんなところに閉じ込めておくことがあなた達の言う“保護”なの? ほんと最ッ低……」


 沙知乃が小さく漏らしたが、制服の男はそれを無視してどんどんこちらに近づいてくる。

 夕緋はポカンとした顔でそれを見ていた。


「ど、どうしよさっちゃん……?」

「どうするもなにも――」


 沙知乃が男の顔を見上げると、彼は「わかっているじゃないか」とでも言いたげな様子で言葉を発した。


「そう、お前たちに選択の余地は……ない」



        ◆◇◆



「結局捕まっちゃったね……」

「うん……。ああ、数年前のトラウマが蘇ってきそうだよ……」


 男に連れられ、エリと沙知乃は収容所の門をくぐった。

 素足で廊下をぺたぺたと進んでいく。


 歩きながらエリは思う。

 なんというか、相変わらずここは空気が悪い。

 物理的な臭さは無視するとしても、ガチ犯罪者のお兄さん達が醸し出すひりつくような雰囲気が苦手なのだ。不良のたまり場になっている暗い照明のゲームセンターを100倍ヒドくした感じというか。


「で、でも、考えようによっては良かったよね。アイネちゃんと合流できるかもしれないわけだし」

「まぁそうだね」


 彼女が今どんな状態でいるのかはわからないが、きっと苦しんでいることだろう。

 もちろん、さっき予想していたように本来の両親の元へ送り返されているという線もなくはないが……、いずれにせよ、ここでアイネと再会したならその時は、


「あたし達が支えてあげなきゃ」

「うん」


 そんなことを話していると、どうやら収容される部屋の前についたらしい。

 そこそこの大部屋のようだ。

 制服の男は扉の鍵をはずして「入れ」とふたりに促した。

 エリと沙知乃はお互いの顔を見てうなずきあうと、錆びついた鉄格子の扉に手をかける。

 そして踏み出す。

 牢屋の中へと小さな一歩を。


「ッ……!」


 瞬間、ふたりの視界にとんでもなく異様な光景が飛び込んできた。


 まず、部屋の中にいる全ての人間が綺麗に整列して直立している。

 そのメンバーの多くはいかにもな強面のお兄さん達で、全員がこちらを見つめていた。

 それだけで泣きそうになるくらいの威圧感なのだが、しかし、その集団の最前列、中央に立っているのは――、


「アイネ、ちゃん……!」


 エリは思わずそう呟いた。

 アイネが確かにそこにいた。

 集団の中心に立っていた。

 ……いいや、これは“立っていた”というより“君臨していた”とでも表現したほうがいいかもしれない。

 後ろの強面連中が全てアイネの手下に見えた。

 まるで、ここでの王は彼女であるかのような……。


「お疲れ様です。エリさん、沙知乃さん」


 アイネが深々と礼をすると、バックの連中もそれに続いて頭を下げた。「お疲れさまですッ!」という野太い声が部屋中に響く。


「……!」

「……!」


 良くも悪くも絶句した。

 ふたりとも返す言葉が見つからずにぽかんと口を開けていると、頭を上げたアイネが困ったような笑みを浮かべる。


「あ、あれ? 逆に恐がらせちゃいましたかね? ついさっきおふたりがここに来ると小耳に挟んだので、このような形をとらせていただいたのですが……。と、とにかく、私は全てを思い出したのです。だからというわけではありませんが、おふたりがこの収容所で過ごす残りの期間……それを少しでも快適なものにするべく、私、頑張らせていただきますっ! ……よろしいですね? 皆様方」


 アイネが言うと、再び「ハイッ!」と野太い声が反響した。



        ◆◇◆



 事実、アイネの言葉に嘘はなかった。

 収容所で過ごした何日かの期間はそれなりに快適だったように思う。


 エリと沙知乃に嫌がらせをしてくる人間は誰もおらず、それどころか皆すごく親切に接してくれた。

 出てくる食事はエリ基準で見てもまったく酷い代物だったが、その中でもマシな部分を集めて食べさせてくれたし、寝る時だって僅かな数しか支給されないマットレスを優先的に使わせてもらえた。


 でも。

 けれども。

 この収容所にいる期間、ふたりの心が本当の意味で晴れることはなかった。


 その理由ははっきりしている。

 アイネが沈黙していたからだ。

 もちろん、普段通りのくだらない雑談には付き合ってくれた。

 しかし、もっとも重要な事について触れようとするとアイネは決まってこう答えた。


「私の正体について、私達の今後について……、それは、ここを出た時に改めてお伝えします」


 そして、このセリフを口にする時のアイネは必ず、一瞬だけ虚無的な笑みを浮かべるのだ。

 エリはそれを見逃さなかった。



 そのようにして、エリたちは収容所での時間を過ごした。

 アイネの腹の中は気になるけれど、それでも彼女と一緒の時間は楽しかった。

 夜遅くまでおしゃべりできたし、またこの3人で笑い合えた。

 そのことがなにより嬉しかった。

 収容所で過ごす最後の夜に、3人はこんな会話をした。


「アイネちゃん。はじめてあたし達と会った時のこと、覚えてる?」

「もちろん覚えていますよ」

「あたしね、あの時思ったんだよ。前々から思ってたんだけど、あたしってほんと運にだけは恵まれてるんだな~って」

「え……」

「ん? なにその顔」

「エリさんが運に恵まれてたら人類の半数以上は超豪運の持ち主ってことになりますよっ!」

「え、なんで? 信じないならあたしのラッキーなエピソード教えてあげよっか? 

 えっとね~、まず、生まれた瞬間からすごいんだよ。いきなり捨てられちゃったっぽいのにありえない天運で施設の人に拾ってもらえて学校にも行けた。

 で、お勉強も退屈だな~、なにか刺激的なこと起きないかな~、とか思ってたら施設が潰れて色々と自由になれましたっと。

 まぁこの時は良いことばかりでもなかったんだけど、これがきっかけでさっちゃんと出会えたから悪い部分は全部帳消しってやつだね!

 その後はさっちゃんとすごく仲良くなれて~、でもふたりきりってちょっと物足りない部分もあったんだよ。

 もちろんたまに合う友達はいるんだけど、そうじゃなくて、とっても仲いい親友みたいなポジションの娘がもうひとりくらい欲しいなぁ、できればちょっと変わってるような、今まであたしが知り合えなかったタイプの友達が……、

 な~んて思ってたら物凄く唐突にアイネちゃんが登場したってわけ。

 これはもう、持って生まれた自分の強運を信じないわけにはいかなかったね!」

「う、う~ん……。なんというか、相変わらずスゴイですねエリさんは。ねぇ沙知乃さん?」

「まぁ本人がこう言っているんだから良いんじゃないかな、……ああ、エリの楽観がドを越してるところがあるのは認めるけど、それでも最近はすごい沈んでたんだよ」

「エリさんでも鬱っぽくなることがあるんですか」

「そ! アイネちゃんのことが心配で気分も落ち込んでたんだけどさ~、結局こうやって元通り、楽しくお話できてるわけじゃん、しかも快適な収容所生活のおまけ付きで! ほんとラッキーだよ。……だから、だからね、信じてもいい……よね? アイネちゃん」

「なにがです?」

「あたし達、このままずっと友達でいられるよね!?」


 その問いに、やはりアイネは答えなかった。

 ただ薄く微笑み、変わりの言葉を口にする。


「明日、ここを出たら私は一度家に戻ります。その後……そうですね。お昼あたりにいつもの路地裏で落ち合いましょう。……良いですね?」

「う、うん。それはぜんぜん良いけど……」

「では、おやすみなさい」

「……」


 最後の夜はふけていく。

 ゆっくりと。

 時が暗闇へ溶けだすように……。


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