4
「いつもなら森の時点で選別されるのに…」
と言ったのは、アンスタウトの筈だが、谷の反響か、レイノシュから聞こえた気がした。
小一時間程歩いて、レイノシュは歩みを止めた。
別段なにも変わらない崖の風景。
何を目印にしたかも、俺が見る限りは分からない。
「あ、あれ。足元です」
背中からアンスタウトが答える。
レイノシュが乗り移ったのかと思ったら、
「あまりにも回りを見回しておいでだから。それより、ほら。レ…イノシユさんを見失いますよ」
天然のカーテン、と言うのか、パーティションと言うべきなのか。
正面からは見逃しそうな微妙な岩の重なり。
人工でも、天然でも見事なものだ。
分け入れば、外からの光はない筈なのに、岩がほんのりと光を放っている。
一体どんな仕掛けが施されているのだ?
「何なんです?ここは…」
背中から聞こえるアンスタウトの、驚嘆とも不安とも取れる声がする。
レイノシュはそれに答える気はないらしく、歩みを止めるどころか振り向きもせず前を進む。
「なあ?レイノシュ。厭なら無理するなよ」
そう言うと、漸く足を止めてくれたレイノシュが振り返って、
「ここまで来たらそういうわけには行かないですよ」
と、あの顔をして笑う。
ここに来て初めて、掴み所の無い“不安”が俺にのし掛かる。
レイノシュ?
彼は腕を伸ばし、“岩”に手を触れる。
溶けるように拡がる視界。
東洋の建築物のような、木材が使われている、見慣れない知識でしか知らない内装が拡がる。
「レイノシュさん!?ここは!」
突然、アンスタウトが声を上げる。
いや、耳元で聞こえたからびっくりはしたが、彼の声量は極力、押さえられている。
レイノシュは口の前に人差し指を立て
「しぃー」
と音を立てないように俺達に合図をする。
俺はレイノシュに近寄ってから
「誰の家だ?」
と、俺なりに声を潜めて聞いた。
俺の顔を見たレイノシュは、注射を見た猫みたいな真ん丸な目をして、そして吹き出した。
「全く、あなたって人は…」
褒められてるのだろうか?
そんな俺らの軽口を余所に、俺の首の前で重なっているアンスタウトの腕は、明白に緊張を感じる。
レイノシュは、俺ではなくアンスタウトと顔を合わせる。
それから、ゆっくりと俺を見ると、
「ん~。それはまだ知らなくてもいいかもです」
と、いつもの調子になっている。
あれ?『不安』はもう終わったのか?
それにしても、だ。
辛うじて建物の内部だろうと思われるここは、薄暗く、然程モノが有るわけでもないのに、雑然とした雰囲気がある。
見慣れないだけかも知れないが、不思議な内装に眼を奪われる。
「あ、グラスコさん。ここ、土禁です」
と、アンスタウトが言う。
「それと、大丈夫みたいですので、下ろしてください」
背中からアンスタウトを下ろすと、彼はまず靴を脱いだ。
「掃除はされていますから、きれいですよ。暗いだけです」
見ればレイノシュはとっくに靴を脱いで手に持っている。
いつの間に。
「レイノシュ…」
「気づかない方がいけないんです。注意力散漫ですよ」
はいはい。
俺は不貞腐れた子供のごとく、その場に座り込んで靴を脱いだ。
初めて触れる、草の床。
冷たくもない、暖かくもない、草の匂いが微かに漂う。
見上げれば、なぜか微笑ましい眼差しが俺に向けられている。
何だ?それは。
「さあ、行きましょうか」
ここが何かは教えてくれないんだな、と俺はレイノシュの後ろに、大人しく従った。
紙製の、大凡防御を欠いた扉を通り抜ける。
レイノシュもアンスタウトも勝手知ったるらしく、迷いがない。
俺は扉と天井の間の彫刻が気になりはするのだか、構っては貰えないようだ。
何回か紙製の扉を抜けると、空気が急に軽くなる。
と、云うことは今まで重かったのだろうか。
扉の先には、それまでと打って変わってインスラと同じ、曲線を描く石の壁が天井まで高く続く。
『研究室』のような、雑然とした無機質なそこはアンスタウト部屋の空気に似ていて、紙製の扉で区切られていた今までの部屋と明らかに別物の様相だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます