「すいませーん。そろそろいいですかあ?」

 と、若干顔色を取り戻したアンスタウトが声を掛けてくる。

 レイノシュが、ちらっと俺の顔を見てアンスタウトに近寄り、顔に手を翳している。

「あれ?あれ?」

 みるみる良くなっていくアンスタウトの顔色。

「…あなたは?レイ・グレコ…?何故、この力を使えるのです?」

 ああ、そういえばそんな偽名を使うつもりだったな、すまん、レイノシュ。

 ずっとレイノシュと呼んでいたな。

 それにしても、レイノシュにしては力の大盤振舞だ。

 いつもは、俺以外の前でこんなに発揮することはまず無いのに、どういう風の吹き回しだろう?

 

「そうするつもりだったんですけどね、あの方はすっかり忘れていたようで、僕の思惑は丸潰れですよ」

 レイノシュと出会ってもう十年以上たつんだぞ、呼び慣れた名前になるのは当然だろう、と悪びれもせず立っていたら、

「本当に仕様もない方なんだから」

 言葉と表情がまるであってないぞ?レイノシュ。

 何でそんなに優しく微笑んでいるんだ?

 アンスタウトも何か一緒になって笑ってるし。

 解せぬ。


「僕の本当の名前はレノシュです」

 と、レイノシュは澄ました顔でアンスタウトに言った。

「レイノシュ?レノシュ?なんだそれ?」

 俺は初めて聞くその名に動揺が隠せない。

 レノシュって…

「ぼくの、本物…」

 アンスタウトがそう言った。


 本物とは聞き捨てなら無い単語だが、レイノシュは何食わぬ顔を見せていて、その表情はアンスタウトの飄々とした顔と重なる。

「グラスコ様、彼を背負ってください。面倒なので移動しながら話します」

 “様”付けで有りながらも、態度は不遜で全くレイノシュらしい。

「そんな…」

 と遠慮するアンスタウトの前に屈み、背中に促す。

「アイツがこう言うなら、結構な距離を歩かせるつもりだぞ。遠慮するな」

 

「何処に行くのです?」

 出会ってからまだ3日足らずだが、常日頃湛えていた嘲るような笑みは成りを潜めて、親とはぐれた子犬みたいな不安気な顔を覗かせている。

「何処に行くんだ?」

 目の前にいるから充分聞こえているのだけど、俺にも聞かせろという意味も込めて、アンスタウトの言葉をレイノシュに中継する。

 

「…着いてからのお楽しみです」

 レイノシュは嘲るように微笑んだ。

 レイノシュの言いにくいことを言う時の癖。

 無理に作る笑み。

 これが見たくなくて、俺はやつの秘密には踏み込めないでいる。

「そんな顔、しないで下さい。大丈夫。多分、頃合いです」

 レイノシュは俺の頬を指先で触れて、そう言った。


 レイノシュを先頭にして、聳える崖に沿って歩く。

 意外にも道は歩きやすく、人一人背負っていると言うのに苦にはならなかった。

 まあ、成人男性にしてはアンスタウトが軽いのもあるのだろう。

 身長はそこそこあるのに、重さを感じない…のも当然で、どうやらレイノシュが、重力操作をしているらしい。

 俺の考えていることを察したレイノシュは

「当たり前でしょう?あなたは十日前に膓が飛び出してたんですよ。そんな無理をさせるわけないですよ」

 全く、出来た嫁…じゃない出来た部下だ。

 すっ…と、レイノシュから冷えた視線を感じる。

 まさかこいつには、テレパスもあるんだろうか?

「ありませんよ」

 本当か?!

 

 つんつんと肩を叩かれ、背負われているアンスタウトが会話に加わる。

「どういうことです?」

 ま、そうだよな。

「レイノシュは物を軽く出来るらしいんだけど、詳しくは聞かんでくれ。こいつは秘密主義なんだ。この崖を俺を背負って登れたのもこの力あってのものだな。メイペスには悪いけど」

 アンスタウトとメイペスに初めて会った時の、正義感溢れる彼女の台詞を思い出しながら言う。

「…あ。すいません。こう言う事情なら言えませんよね。それに、メイペスは知っても理解は出来ないだろうし。えっと、有り難うございます。上手く誤魔化して頂いて」

 

 とはいえ、この崖は一人で登るのも容易ではないのは事実だ。

 レイノシュの蒼白だった顔を思い出していた。


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