「名前といえば、何故偽名を名乗った?」

 ここは口裏を合わせるためにも、確認が必要だと感じて不躾だが訊ねる。

「正当性……からですかね。重傷の人間を赤の他人が連れていると、痛くもない腹を探られそうな気がして」

 なんか、煙に巻かれている気もするが、レイノシュがそうしたいなら任せよう。

「で、レイノシュは俺の弟なのか?兄なのか?」

「従兄弟ぐらいでいいですよ。今更、兄弟とか無理でしょう?」

「え?お兄様って言おうか?」

「却下」

 そう言うと、レイノシュは漸く声を出して笑った。


 一頻り笑った後、レイノシュは真面目な顔に戻り話し始める。

「念のため建物内を探索してみたのですよ」

「お、動いていたのか。どうだった?」


「この建物、インスラと言うらしいのですが、三千人ほどのエデノの者全員、この中で生活しているようです。皆、一階にある食堂で食事をとり、部屋には台所が個別に備え付けられていないように見受けられます」

「随分と非合理的じゃないか?三千人の毎食を賄うのは」


「部屋も殆どが一人部屋のようです」

「一つの建物に三千部屋有るのか?」

 レイノシュは頷いた。


「一階部分はほぼ食堂と浴場ですが、二階以上に比べ大きめの部屋がいくつかあるようです。中にまでは入れないので、扉の数で判断するほかないのですが。二階以上には小さめの部屋が一五〇前後あり、建端は二十階建です。恐らくは増設に次ぐ増設が行われたのでしょう。巧妙に入り組んだ造りをしています」


「そうまでして、一ヶ所に住まわせる意味が分からんな」

「共同生活に重きを置くか」

「何かあった時に一気に潰す、かだな。」

 俺は自分で言ったことだが、恐ろしくなった。何者かが手を加えなくても、直下型の地震なんぞ起これば一気に崩れるだろう。


「それはさておき、エレベーターがあります。電動でした。この部屋にはコンセントは一つも無いですけど。あと、天井の明かりも電気ですね。LEDライトです。熱を持ちませんから」

 俺はレイノシュ言葉に頭を抱える。

「何なんだ、一体」


 レイノシュが俺にリストバンド型の携帯を差し出す。俺の物だ。

「充電は、太陽電池でしておきました。想像つかれるかと思いますが、電波は入りません」

「これは衛星通信機器だぞ?」

 レイノシュは無言で頷く。

「中のデータは使えます。あと、映写機の方は使用可能でした。こちらも充電してあります」

 指輪型で石部分を映写端末として使える機器を渡された。

「ああ、ありがとう。しかし中のデータだけじゃ、ろくなことは分からんな」

「ですね。ネット社会の弊害です」

 レイノシュと目を合わせたら、何だか笑いが込み上げてきた。分からん同士が幾ら頭を合わせたところで、解決の糸口さえ見付けられない。


「あーもー。風呂いこうぜ、風呂。浴場があるんだろ?」

「ええ、一階に。タオルは貸してもらえるようでした」

「行ってみたのか?」

「はい。朝の八時から二十三時まで入浴可能のようでした。彼らの服も貸して貰えそうでした」

「?風呂に入る前に、誰かに声をかけるのか?」

「いえ、浴場に洗濯済みの服が置いてあり自由に取れるようです。着ていたものは浴場の所定の場所に置いておけば、洗濯してもらえそうですが。ぼくは前回、服だけ借りて、着ていたものは、そこで洗いました」

 レイノシュが指を指した場所に洗面台があった。

「洗面台は有るのか。しかし、どこまでも学校の寮か、牢獄だな」


「グレコ様は浴場まで、ぼくが前回お借りした服を着ましょうか。ここに来ていたときに着ていたものは、腹が裂けていて、血液は洗っても取れませんでしたから」

 あ、そいうや包帯でぐるぐる巻きにされていたから気にしてなかったが、下着姿じゃないか。こんな格好で、お嬢さんの相手をしていたとはとんだ変態だ。


「下着の替えは?」

「それが見当たらなかったんですよね。聞こうにも誰もいない時間帯――昼間を狙って行ったので」

 皆が、働きに出てる時間を狙ったというわけか。まあ、知ってはいても公衆浴場の敷居が高いのは納得する。


「考えても仕方ない。お、袖無しの貫頭衣じゃないか。これならなんとか……」

「ベストですね。下着がボクサータイプでよかったです」

 俺たちは人目につかぬよう、こそこそと部屋を出た。


「レイさんじゃないですか」

 浴場まで人目につかず来られたのも束の間、声をかけられた。

「パートロさん。お久しぶりです」レイノシュが答えた。メイペスの前の代の……役職は聞いてないな。ん。


「こっちのお兄さんも目が醒めてよかったです。おれはパートロ。メイペスの前の……まあ、世話役みたいな感じです」

 世話役なのか。にしては、メイペスはえらく刺があったよな、言わんけど。

 パートロは四十代半ばと云った処だろうか。

 優しげな面持ちで、どことなくメイペスの面影がある男性だ。


「わたしはグラスコ・グレコといいます」

 俺は取り敢えず、よそいきの体で答える。

 初対面だからな。

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