5
「聞きました。メイペスが失礼したようで申し訳ない」
パートロが頭を下げてきた。
「売り言葉に買い言葉みたいになったので、お互い様です。こちらこそ、お嬢さんには色々、失礼しました」
俺も、主に下着姿で対応したことを詫びて、笑顔で握手を交わす。
「浴場の使い方は分かりますか。外とは勝手が違うことが多いのでお教えしますよ」
と、パートロに背中を押され、浴場に入った。
脱衣場に入ると、広さにも驚かされたが、全体を行き渡る涼やかな風があることが気になった。
「エアコン?」
俺が呟くと、パートロが
「はい、空調です。天井から全体に行き渡るよう常時稼働しています」
と説明した。
電気が通っていることは秘密ではないのだろうか?
「でも、あまり大きな声で言わないでくださいね」
と、口の前に人差し指を立てパートロが答えた。
公然の秘密というわけか。
脱衣場にはロッカーが無く、ベンチだけが幾つか置かれて、湯上がりの人々が涼を取って休んでいる姿が伺える。
壁には畳まれた服とタオル棚があり、脱衣用のリネンワゴンと並んでいる。
「広いですね。清掃が大変そうだ」
「交代でやってます。まあ、色々コツはあるんですよ」
俺の他愛もない質問に、慣れているのだろうパートロが、的確にぼやかしながら答える。
「これだけの人がいると、何だか恥ずかしいです」
とレイノシュは言いながら、俺の背後に隠れている。
「外から来られた方は、皆そう仰いますよ。なので、こちらへどうぞ」
と、パートロに案内された先には小さく区画された浴場があった。
「グラスコ・グレコさんは怪我もあるようですし、こちらを使われてください。掃除は使用後にカランの水で流して頂ければ大丈夫です。湯船を使われるなら、ここの蛇口から温泉が出ます。それと、タオルと着替えはここに置いておきますね。ちゃんとグラスコ・グレコさんのサイズのものです。下着はこれなんですが、付け方は分かりますか?」
と、渡されたのは一枚の布で、俺とレイノシュは首をかしげる。
「ふんどしです。こうやって、こうしてつけます」
パートロは実演して、
「分からないことがあれば声をかけてください」
と、大浴場へ去っていった。
「これが、下着だそうだ」
と、俺が言うとレイノシュは俯いて項垂れて、「今だけ、今だけ」と呪文のように呟いている。
いつも冷静なレイノシュとは思えない言動に、俺は吹き出す。
「グレコ様」と、赤い顔で睨み付けてもなんの迫力も無いのだよ。
あんまり笑っていたせいだろう、べりっと音を立てて包帯を剥がされた。
血液が付着していたのか、結構痛い。
「笑いすぎです」再びレイノシュに睨まれた。
包帯が解かれ、自分の腹が目に入る。
深々と、ナイフが刺さっていた、腹。
「傷口は塞がってるな。どうやったんだ?」
答えてくれるとは思わないが、レイノシュに訊ねる。
「……その内、きちんとお話ししますから、今は勘弁してください」絞り出すような声でレイノシュは答えた。
結局、湯船にお湯を張るのは結構な時間がかかりそうなので、今日はシャワーだけで浴室を出た。次はふんどしチャレンジだな。
レイノシュは体を拭いたタオルに、手早く自分の着ていたものと俺の下着を包むと「行きますよ」と浴場を出ていった。
俺が部屋に戻ると、レイノシュは窓辺で静かに外を眺めていた。
既に陽が落ちかけていて、彼の横顔を朱く縁取っている。
夕暮れ時は、寂しそうに見えてしまう。
そんなことはない、と否定したいのは果たして恣意的だろうか。
「まだ、髪が濡れている」
持っていたタオルで、彼の頭を拭くと、
「ありがとうございます」
と、か細い声がタオルの中から返ってきた。
ヘジム国では見ることの無い、艶やかで真黒な波打つ髪。
彼は、態々オレンジに染めてまで、俺の影となり尽くしてくれていた。
結果は、俺の甘さが招いた嘆かわしい現実。
自業自得の俺など、捨てればよかったのに、我が身を削って助けてくれた。
彼の、斑になった黒とオレンジの髪は、平穏の終わりを告げていて心苦しい。
「髪、色どうする?」
拭きながら、巻き毛を整えていく。
「ここでは染められそうもないし、落ちるのを待ちます。……というか、あなたはぼくの髪を弄るのがほんと好きですね」
されるがままにされているくせに、くすくすと笑いながら、憎まれ口を叩いてくる。
レイノシュの髪を鋤いていると、ふとカトゥの事を思い出さずにはいられない。
革命の前から、何時しか俺の回りを彷徨くようになった黒猫のカトゥ。
結構な老猫だったが、一度餌をやってしまったら味を占められた。
猫特有の気紛れで、稀に撫でさせてもらえる彼女の毛並みは、殺伐とした暮しの中の、一掬の癒しだった。
革命が終わり、僅かにあった平穏の時に彼女を看取ってあげられたことは、唯一の救いだったのかもしれない。
染めない、と言うレイノシュの言葉は、俺に思った以上の欣喜に満ちた感情を浮かび上がらせ、思わず髪を一房取って口付けようとしたら、
「……グレコ様、流石にそれは気持ち悪いから止めてください。ほら、食器も返さなきゃですし食堂に行きますよ」
とするりと逃げられた。
ちっ。
レイノシュが逃げるように食堂へ向かう姿を追いかける。
彼には、いつも緊張感が漂っていて、いつ解放されているのだろう、と思う。
俺は、彼の友人面をしているくせに、その実、彼の深いところには一歩も踏入れていないことを思い知る。
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