「聞きました。メイペスが失礼したようで申し訳ない」

 パートロが頭を下げてきた。

「売り言葉に買い言葉みたいになったので、お互い様です。こちらこそ、お嬢さんには色々、失礼しました」

 俺も、主に下着姿で対応したことを詫びて、笑顔で握手を交わす。


「浴場の使い方は分かりますか。外とは勝手が違うことが多いのでお教えしますよ」

 と、パートロに背中を押され、浴場に入った。


 脱衣場に入ると、広さにも驚かされたが、全体を行き渡る涼やかな風があることが気になった。

「エアコン?」

 俺が呟くと、パートロが

「はい、空調です。天井から全体に行き渡るよう常時稼働しています」

 と説明した。

 電気が通っていることは秘密ではないのだろうか?

「でも、あまり大きな声で言わないでくださいね」

 と、口の前に人差し指を立てパートロが答えた。

 公然の秘密というわけか。


 脱衣場にはロッカーが無く、ベンチだけが幾つか置かれて、湯上がりの人々が涼を取って休んでいる姿が伺える。

 壁には畳まれた服とタオル棚があり、脱衣用のリネンワゴンと並んでいる。


「広いですね。清掃が大変そうだ」

「交代でやってます。まあ、色々コツはあるんですよ」

 俺の他愛もない質問に、慣れているのだろうパートロが、的確にぼやかしながら答える。


「これだけの人がいると、何だか恥ずかしいです」

 とレイノシュは言いながら、俺の背後に隠れている。

「外から来られた方は、皆そう仰いますよ。なので、こちらへどうぞ」

 と、パートロに案内された先には小さく区画された浴場があった。


「グラスコ・グレコさんは怪我もあるようですし、こちらを使われてください。掃除は使用後にカランの水で流して頂ければ大丈夫です。湯船を使われるなら、ここの蛇口から温泉が出ます。それと、タオルと着替えはここに置いておきますね。ちゃんとグラスコ・グレコさんのサイズのものです。下着はこれなんですが、付け方は分かりますか?」

 と、渡されたのは一枚の布で、俺とレイノシュは首をかしげる。

「ふんどしです。こうやって、こうしてつけます」

 パートロは実演して、

「分からないことがあれば声をかけてください」

 と、大浴場へ去っていった。


「これが、下着だそうだ」

 と、俺が言うとレイノシュは俯いて項垂れて、「今だけ、今だけ」と呪文のように呟いている。

 いつも冷静なレイノシュとは思えない言動に、俺は吹き出す。

「グレコ様」と、赤い顔で睨み付けてもなんの迫力も無いのだよ。

 あんまり笑っていたせいだろう、べりっと音を立てて包帯を剥がされた。

 血液が付着していたのか、結構痛い。

「笑いすぎです」再びレイノシュに睨まれた。


 包帯が解かれ、自分の腹が目に入る。

 深々と、ナイフが刺さっていた、腹。

「傷口は塞がってるな。どうやったんだ?」

 答えてくれるとは思わないが、レイノシュに訊ねる。

「……その内、きちんとお話ししますから、今は勘弁してください」絞り出すような声でレイノシュは答えた。


 結局、湯船にお湯を張るのは結構な時間がかかりそうなので、今日はシャワーだけで浴室を出た。次はふんどしチャレンジだな。


 レイノシュは体を拭いたタオルに、手早く自分の着ていたものと俺の下着を包むと「行きますよ」と浴場を出ていった。


 俺が部屋に戻ると、レイノシュは窓辺で静かに外を眺めていた。

 既に陽が落ちかけていて、彼の横顔を朱く縁取っている。

 夕暮れ時は、寂しそうに見えてしまう。

 そんなことはない、と否定したいのは果たして恣意的だろうか。


「まだ、髪が濡れている」

 持っていたタオルで、彼の頭を拭くと、

「ありがとうございます」

 と、か細い声がタオルの中から返ってきた。


 ヘジム国では見ることの無い、艶やかで真黒な波打つ髪。

 彼は、態々オレンジに染めてまで、俺の影となり尽くしてくれていた。

 結果は、俺の甘さが招いた嘆かわしい現実。

 自業自得の俺など、捨てればよかったのに、我が身を削って助けてくれた。

 彼の、斑になった黒とオレンジの髪は、平穏の終わりを告げていて心苦しい。


「髪、色どうする?」

 拭きながら、巻き毛を整えていく。


「ここでは染められそうもないし、落ちるのを待ちます。……というか、あなたはぼくの髪を弄るのがほんと好きですね」

 されるがままにされているくせに、くすくすと笑いながら、憎まれ口を叩いてくる。


 レイノシュの髪を鋤いていると、ふとカトゥの事を思い出さずにはいられない。

 革命の前から、何時しか俺の回りを彷徨くようになった黒猫のカトゥ。

 結構な老猫だったが、一度餌をやってしまったら味を占められた。

 猫特有の気紛れで、稀に撫でさせてもらえる彼女の毛並みは、殺伐とした暮しの中の、一掬の癒しだった。

 革命が終わり、僅かにあった平穏の時に彼女を看取ってあげられたことは、唯一の救いだったのかもしれない。


 染めない、と言うレイノシュの言葉は、俺に思った以上の欣喜に満ちた感情を浮かび上がらせ、思わず髪を一房取って口付けようとしたら、

「……グレコ様、流石にそれは気持ち悪いから止めてください。ほら、食器も返さなきゃですし食堂に行きますよ」

 とするりと逃げられた。

 ちっ。


 レイノシュが逃げるように食堂へ向かう姿を追いかける。

 彼には、いつも緊張感が漂っていて、いつ解放されているのだろう、と思う。


 俺は、彼の友人面をしているくせに、その実、彼の深いところには一歩も踏入れていないことを思い知る。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る