グラスコ・グレコ

 目を醒ますと、まるで見たことのない様相の部屋に、よく見知った顔のレイノシュが、亡霊でも見たかように真っ青な顔色をしていた。


「グレコ様……」レイノシュは今にも泣き出しそうだ。


 まだ、覚醒しきらない頭で、こうなるまでの経緯に思考を巡らせる。

 その前に、この今にも倒れそうなレイノシュに声の一つでも掛けてやらねば……と、口を動かすも喉が張り付いて音にならない。

 一体、どれくらいこうしていたというのだろう。


 そんな俺の様子に気が付いたレイノシュはテーブルに向かうと、カップとタオルを手に戻ってきた。


「お水です。ゆっくり飲まれてください」

 レイノシュは手にしたカップにタオルを添えると、横になっている俺の口元に当てる。


 その手を一旦制し、上体を起こそうとする。

「ご無理は…」レイノシュの言葉半ばで起き上がり、カップを受けとる。


 中身を一口含み、水であることを確認してゆっくり嚥下する。

 水分を欲していた体は、自分の意思に反して飲み干す勢いに、「急いては駄目です」とレイノシュが言い終わる前には、カップの水は俺の喉に吸い込まれた。

 すると急な水分に驚いた喉が咳き込む。


「大丈夫ですか!申し訳ありません」レイノシュが悪いわけではなかろうと思うのも束の間、タオルで俺の口元を拭ってくれる。


 俺はレイノシュの手を払い、息を整えてる。

「ここはどこだ?助かったのか?」


 レイノシュは、少しだけ躊躇して

「はい。ここはランデフェリコのエデノという土地です。あの日から十日経っております」

「十日…?…それにしたら、裂かれた腹が痛くないのは何でだ?少しだけ引き攣るようにむず痒いだけなんだが。俺、さされたよな?」


 レイノシュは、俯き悔しそうに声を押し出す。

「……はい。ヘジム国にてマルボナ・ユウロに腹部をタクティカルナイフで刺されました。ここ、エデノはヘジム国から二百キロ程離れた土地です」


 ヘジム国は元より内乱が絶えない国だった。

 肥沃な土地に恵まれ、作物は豊作であるにも関わらず、国民は常に飢えに苦しんでいる。

 そんな現状を打破しようと力による内紛が没発して、血で血を洗う。

 幾度ともなく繰り返すいたちごっこを、逆転の獅子と称されたグラスコ・グレコが稀有な手腕を奮い、国主マルボナ・ユウロを捕らえたことで、数多の血を流すことなく、終止符を打った。


 彼は崩壊した国政を再建し、外政を整えると、次第に国民は飢えから解放され始めた。

 束の間の平穏が訪れた、がしかし国主から引き摺り下ろされたマルボナ・ユウロは、面目失墜で嫉妬と怨嗟に駈られ、グラスコ・グレコに刃を向けた。


 俺は、甘かったのだろうな、と思う。

 情になど流されず、マルボナ・ユウロを処刑すべきだったのかもしれない。

 けれど、彼もまたヘジム国を改革しようとしていたのだ。

 幼い頃、俺は彼の立ち上がった姿に、憧れたのだ。

 そう思うと、どうしても命を取る選択が出来なかった。


「処でレイノシュ。エデノって何処だ?ランデフェリコとかいう国名、聞いたことないぞ」グラスコ・グレコが訝しげに尋ねる。


「地図上にはない、理想郷です」レイノシュは真顔で答えた。


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