グラスコ・グレコ
1
目を醒ますと、まるで見たことのない様相の部屋に、よく見知った顔のレイノシュが、亡霊でも見たかように真っ青な顔色をしていた。
「グレコ様……」レイノシュは今にも泣き出しそうだ。
まだ、覚醒しきらない頭で、こうなるまでの経緯に思考を巡らせる。
その前に、この今にも倒れそうなレイノシュに声の一つでも掛けてやらねば……と、口を動かすも喉が張り付いて音にならない。
一体、どれくらいこうしていたというのだろう。
そんな俺の様子に気が付いたレイノシュはテーブルに向かうと、カップとタオルを手に戻ってきた。
「お水です。ゆっくり飲まれてください」
レイノシュは手にしたカップにタオルを添えると、横になっている俺の口元に当てる。
その手を一旦制し、上体を起こそうとする。
「ご無理は…」レイノシュの言葉半ばで起き上がり、カップを受けとる。
中身を一口含み、水であることを確認してゆっくり嚥下する。
水分を欲していた体は、自分の意思に反して飲み干す勢いに、「急いては駄目です」とレイノシュが言い終わる前には、カップの水は俺の喉に吸い込まれた。
すると急な水分に驚いた喉が咳き込む。
「大丈夫ですか!申し訳ありません」レイノシュが悪いわけではなかろうと思うのも束の間、タオルで俺の口元を拭ってくれる。
俺はレイノシュの手を払い、息を整えてる。
「ここはどこだ?助かったのか?」
レイノシュは、少しだけ躊躇して
「はい。ここはランデフェリコのエデノという土地です。あの日から十日経っております」
「十日…?…それにしたら、裂かれた腹が痛くないのは何でだ?少しだけ引き攣るようにむず痒いだけなんだが。俺、さされたよな?」
レイノシュは、俯き悔しそうに声を押し出す。
「……はい。ヘジム国にてマルボナ・ユウロに腹部をタクティカルナイフで刺されました。ここ、エデノはヘジム国から二百キロ程離れた土地です」
ヘジム国は元より内乱が絶えない国だった。
肥沃な土地に恵まれ、作物は豊作であるにも関わらず、国民は常に飢えに苦しんでいる。
そんな現状を打破しようと力による内紛が没発して、血で血を洗う。
幾度ともなく繰り返すいたちごっこを、逆転の獅子と称されたグラスコ・グレコが稀有な手腕を奮い、国主マルボナ・ユウロを捕らえたことで、数多の血を流すことなく、終止符を打った。
彼は崩壊した国政を再建し、外政を整えると、次第に国民は飢えから解放され始めた。
束の間の平穏が訪れた、がしかし国主から引き摺り下ろされたマルボナ・ユウロは、面目失墜で嫉妬と怨嗟に駈られ、グラスコ・グレコに刃を向けた。
俺は、甘かったのだろうな、と思う。
情になど流されず、マルボナ・ユウロを処刑すべきだったのかもしれない。
けれど、彼もまたヘジム国を改革しようとしていたのだ。
幼い頃、俺は彼の立ち上がった姿に、憧れたのだ。
そう思うと、どうしても命を取る選択が出来なかった。
「処でレイノシュ。エデノって何処だ?ランデフェリコとかいう国名、聞いたことないぞ」グラスコ・グレコが訝しげに尋ねる。
「地図上にはない、理想郷です」レイノシュは真顔で答えた。
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