第7話 一緒に飛ぼう
武士が横向いてるハードカバーの小説本を、日野さんが本棚から出して手に取る。日野さんも俺も持ってる、三品が表紙を描いた歴史小説だ。
違いは、中表紙に絵があるかないか。日野さんのほうにはある。三品が描いた日野さんの横顔だ。
二人で今、それを見ている。開いているのは日野さんで、俺は後ろから日野さんを抱いている。
「なんでいってくれなかったんだよ」
日野さんが俺に顔を向ける。静かな目だ。
「いえないよ。だって俺は、余田さんだけの俺になったんだから」
俺はさらに日野さんを抱きしめる。
日野さんが俺の手に、手をかさねる。
「これを見つけたとき、まずいって思ったんだ。うちには置いとけないって」
「だから沢渡に預けたのか」
「当たり」
納得した。ずっと、日野さんは、俺の前で様子がおかしかった。何かを隠してる。でも、俺にはいわないつもりだ。それがわかるから、俺は問い詰められなかった。問い詰めても日野さんは、俺が確実にダメージを負うことはいわないから。何でも相手のため。相手が痛みを感じないように、全部自分で引き受ける。
俺がいるのに。もうそんなふうに生きなくたっていいのに。
「彼は俺を愛してた。俺の大事なこれを預かってもらうのだから、対価を支払うのは当然でしょ」
「それだけじゃねえだろ」
綺麗なかたちの耳に俺は唇を寄せる。日野さんが目を苦しそうに細めて肩をすくめた。
「そうだよ。俺は、聡が俺にしてくれたことを、誰かにしたかった。余田さんだけの俺でいるために、聡を体の外へ流したかったんだ。健は俺で、俺は聡。そう思うことにしたんだ」
「小難しい理屈こねるなよ。沢渡に好かれたから、あいつを好きになったんだろ」
日野さんが本を閉じて、本棚に戻す。俺のほうに向き直る。
にらまれた。俺、敵認定されたのか?
やべえ。マジな目だ。怖い。胃のあたりが冷える。
俺の口に日野さんが吸いついた。
息継ぎできない。いつになく積極的だ。俺のロンTの裾に手をかける。裾から両手が体を伝って襟首で止まり、力いっぱい握りしめる。日野さんの綺麗な目は完全に怒ってる。
「めちゃくちゃにしろよ」
情けないことに俺はびびって一歩後ろに下がってしまう。日野さんが一歩踏み込んだ。
「できるわけねえだろ」
「やれよ」
鼻同士がくっつきそうな近さでまくしたてる。
「俺は余田さんを裏切った。昔の男が忘れられなかった。さらに、同じ職場の後輩と……。余田さんが傷つかないように全部隠して昔の男を処分しようとしたのにできなかった。さあ、俺をどうにでもしろよ」
昔の俺だったら、勢いに押されて何もいえなくなってた。でも今は違う。沢渡と俺たちはいろいろあって、それをお互い乗り越えた。だからめちゃくちゃになんかしない。めちゃくちゃになんかされない。俺たちがこだわりなく一緒にいられるために、できることはある。
足を日野さんの膝の裏に回した。ベッドに二人で倒れ込む。
あおむけになった日野さんが我に返る。びっくりした顔の両脇に手をついて、俺はわざとドヤ顔であおる。
「口ほどにもねえ。イキってんじゃねえぞ、この野郎」
むきになって日野さんがいい返す。
「うるさい。舐めるな」
襟首をつかまれ、腰を両足で固められる。密着した。お互い勃ってる。すげえ興奮してる。
「余田さん、もっと怒れよ。俺は余田さんに申し訳ないことをしたんだよ」
「怒れるわけがねえだろ。ケンカなんかしたこともねえドシロウトに」
手と足が離れた。日野さんが顔を手のひらで覆う。
いいすぎたかな。俺は日野さんの隣に横になる。
悪かった。そういおうとしたとき、日野さんが俺の上にまたがった。また襟首をつかまれる。見下ろす綺麗な目は、まだ怒ってる。うっすら涙が浮かんでる。
日野さんが声の限りに怒鳴った。
「殴れ。気が済むまで俺を罵倒しろ。できねえのか。もとワルの分際で聖人君子気取ってんじゃねえよ」
難しい単語でいわれても、俺のすかすかの脳ミソじゃ受け止めきれないんですけど。いわれた単語全部が超高速で耳を素通りする。それにしても日野さん、怒り顔も綺麗だ。見とれてしまう。ああ、俺、マジで日野さんにハマってる。三品も沢渡も、今はどうでもいい。日野さんともっと本音をぶつけあって、ぐちゃぐちゃにからみたい。でも、今は、無理かな。まずは落ち着かせよう。からむのはそれからでも遅くない。
俺は日野さんに両腕を伸ばして抱きしめた。日野さんがびくりと震える。日野さんの背中を、ぽん、ぽん、と叩く。
日野さんの顔が俺の顔の横にある。背中を叩いてあげているうちに、日野さんも俺を、そっと抱きしめてくれた。
「ごめん」
いつもの優しい声がした。だから俺も優しい声を出す。
「なあ、話してくれよ。三品があの似顔絵を描いたときの話」
はあっ、と息を吐いて、日野さんが俺の耳に顔を寄せる。
「あの本が本屋さんに並んですぐに買ったんだ。聡は入院してた」
(貸してごらん)
三品が日野さんに笑いかける。日野さんが本を差し出すと、鉛筆を出して中表紙に何か描き始めた。
(何を描いているの)
(できあがってからのお楽しみだよ)
ものの十分で鉛筆が止まった。三品が日野さんに、開いたままの本を返す。
(俺じゃん)
(そっくりだろ? サインもつけたぜ。俺が死んだらフリマアプリででも売れば。高値で売れるかもよ)
(聡! 縁起でもないこと、いわないで!)
三品は日野さんを、かわいいなあ、っていう目で見て、笑ったんだそうだ。
(冗談だよ。すぐ真に受けるんだから)
(いつ退院できるの)
(あと数日だって。そしたらまた、マンションに戻れるよ。二人で過ごせる)
(でも、仕事、あるんでしょ。そしたら二人でいちゃいちゃしてる暇ないじゃん)
(絵の仕事はもう断ってる。でも、番宣動画の撮影だけは続けるつもりだよ)
(俺、毎週見てるよ。視聴率もいいんだって。日本史に興味のない人たちにも人気だって、ネットのニュースで読んだよ)
(それはよかった。誠司がモデルになってくれたから、あの武士も人気が出たのじゃないか)
(そんなことはないよ。もともと有名だし、ファンも多い武士だから)
(国営放送の時代劇の公式動画チャンネルも登録者が増えてるそうだ。俺のファンも増えるかな)
(聡はイケオジだからね)
(イケオジじゃなくて、普通にイケメンっていえよ)
(だって、おじさんじゃん)
(こら、誠司。退院したら真っ先にお仕置きだな)
(そんなこといっていいの。聡の好きなもの、もう作ってあげないから)
(それは困るな。誠司が作る料理が恋しいよ。病院の食事はもう飽きた)
(じゃあ、退院したら、聡の食べたいもの、全部作ってあげる!)
(ありがとう。まずは目玉焼きだな。誠司の目玉焼きは、黄身の半熟具合がちょうどいい)
(うん! 一緒に食べようね!)
俺は日野さんを抱き寄せた。日野さんも俺を抱きしめる。
「愛されてんだな、日野さん」
「なんでだろうね。俺、特別なこと、何もしてないのに」
「優しいんだよ。真剣なんだよ。だからそうされた俺らはみんな、日野さんを好きになるんだ」
温かい。お互いの気持ちが混じりあう。
「もう、日野さんしか見えねえ」
「俺も、余田さんしか見えない」
急に体が軽くなる。二人で手を握った。
「羽が生えたみたいだった。余田さんは?」
「俺も。飛んだな。一緒に」
これからは俺たちはきっと一緒にいる。心の底から俺は、信じることができた。
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