観測22 『母の羽音』


 二〇??年?月?日??時??分、共和国辺境パレイド村。


「――母さんが死んだ?」


 もう何もかもが滅茶苦茶になったのは多分、この日だった。

 全てが終わり喪ったあの日から、ボク――ハオンは光のない時間を歩んでいた。

 ボクは『この日』と『あの日』を死ぬまで忘れることはないだろう。


「そうだ。お前が村を出た次の日、牧場の牛を殺して自宅で首を吊って死んでいた」


「そん、な……どう、して……」


 ボクは……いや、正直に言おう。憔悴しきっていた。

 幸せだった過去に頼らなければ、どうにかなりそうなくらいに。

 それでボクの大切なたった一人の家族である母の顔が見たくて故郷に戻ってきた。

 ボクが無責任に救ってしまったアリナを連れて。

 だが、ボクに告げられたのは残酷で信じがたい現実だった。


  ――大丈夫、必ず奇跡はおこるから。


 そう言って送り出してくれたのに、どうして……。


「……ひとつ、話したいことがある。いいだろうか?」


 故郷の村に戻ってきてすぐ、ボクは家に入ることすらできずに、村長の家に連れ込まれた。応接室にあるソファーに座らされ、机を挟んだその対面に村長は座った。

 アリナはボクの横に座り、村長の奥さんがボクの前に置いた今にも割れそうなボロボロのグラスの水をじっと見つめていた。

 ボクは母の死という受け入れがたい事実から目をそらすように頷いた。

 そうしなきゃ、ここにいられなかったから。


「――貴方の母君は本当に素晴らしい御方でした」


「あの方は昔この村の土地を治めていた名家のお嬢様でした。旦那様は人の上に立つに相応しい人格者で、どんな身分や境遇の者であっても平等に受け入れ、瘦せこけた腕に手を差し伸べてくださいました。我々村人にとって、まさに現人神のような存在でした」


「そんな旦那様に似たお嬢様も、天真爛漫で心優しき美しい御方でした。お嬢様が物心つく前に死別された奥様に瓜二つの姿を持ち、私共のような者にも、家族に向けるような笑顔で接して下さいました」


「ですが、お嬢様が十歳の誕生日に家は旧獣の襲撃に遭い、全焼しました。旦那様は腸を引き摺り回され、使用人達も奴らの遊び道具として惨殺されました。たまたまこの村に立ち寄っていた冒険士の方が、お嬢様だけでもお救い下さり、お嬢様はこの村の一員として、その後の人生を歩んでくださいました」


「一夜にして全てを喪ったお嬢様は命を絶たれていても、何も不思議はありませんでした。ですがお嬢様はくじけませんでした。本当に……ご立派な御方でした……」


 そこで村長は枷のような何かが外れたように目尻に涙をこぼした。

 話が始まってからずっとボクの頭にあったのは困惑。理由は単純だ。

 村長はボクにとって不愛想な大人だったから。

 侮蔑と憐憫の混ざった瞳がこんなに思いやりに溢れた瞳を作るのかと思った。


「それからお嬢様は恩人である冒険士様に師事し、冒険士になるためにダイラムへと旅立たれました。お嬢様は冒険士として歴史に名を刻むような武勲を幾つもうち立てられました。こんな辺境にある小さな村にまでその名声は轟いておりました。本当に……極楽におられる旦那様もお嬢様のことを『誇り』に思われているでしょう」


 まるで目の前の男が母さんの父親のようだった。単なる建前で、ただ村長自身の本心を吐露しているだけのようにしか思えなかった。


「そしてしばらくして……お嬢様がこの村に帰郷なされました。あの日のことを、私は死ぬまで忘れないでしょう。お嬢様の隣には一人の男がいました。全身が真っ白で腐敗した枯れ木のような身体に純黒の瞳を持った、人間とは一線を画したバケモノと呼ぶにふさわしい男でした。そう貴方の――お前の父親だ」


「は……?」


 明らかに矛盾した信じられない話に耳を疑う。作り話だと思った。

 だが、村長は口調と声色を変え、顔に憎しみが籠っていた。


「いや、そんなはずは……だって、ボクは旧獣に殺された両親の腕の中から、母さんに拾われたって……」


「……そうだ。それは事実だ。間違いない」


 噛みしめるように言って、村長はまぶたを閉じた。遠い昔の思い出を振り返るように。


「あの男は……お嬢様が冒険士として活動していた時に出会ったそうだ。とても穏やかで礼儀正しく、とても爽やかな性格の男だった。……こんなことを言うのもアレだが、別人であんな根明なヤツも珍しいと思ったよ。最初は村人全員が警戒していたが、次第に絆されていって……私もお嬢様の婚約者に相応しい男だと、思った」


 そういって村長は震えるほど拳を握りしめた。爪が皮膚を破き、血が流れた。


「だが、あの男は突然いなくなったっ! お嬢様の金を持って、夜逃げしやがった!!」


「――――!?」


 顔も名前も知らない本当の父親。ボクは人間という生き物の弱さを告げられた。

 きっと呆然で滑稽な顔をしていたと思う。


「……それからお嬢様はおかしくなった。虚ろな目で日中夜、笑ったり泣いたり叫んだりし続け、何もない虚空に向かって、ずっとあのクズの名前を呟いていた」


 それはボクの知らない母の姿。母は知的で慈愛に溢れた人だった。

 ボクの原点で誰よりも尊敬する理想の母親。そんな人が死ぬまでボクに見せなかった弱さ。


「私は恐怖と憎悪しか沸かなかった。恐怖はお嬢様に対してだ。時間が進むほど、昔の姿を思い出せなくなってしまうくらいおかしくなっていくあの方が怖くて仕方なかった。あの人はもう死んだのだと……そう思わなければ私まで狂いそうだった」


「……」


「そして憎悪……お嬢様を除いた村人の中で、私はあのクズと一番仲がよかったからな。あのクソはいつもお嬢様のことを一番に考えているといった口ぶりだった。『お嬢様のおかげで、残りの余生を彼女のために生きようと思った』とまで言っていた」


「……」


「旦那様を……全てを喪ったあの時でさえ、くじけることなく前を向く強さを持った御方が……どうしてあんなクズなんかのため、に……っ!」


 それは懺悔だ。不甲斐ない自分に対する懺悔の心。

 ボクには痛いくらいによく理解できた、伝わった。


「そしてあの運命の日……私は忘れない。お前がこの村の一員になったあの日だ」


「―――あ」


 ボクはそこで理解してしまった。母が背負った残酷な運命を。


「子供達も寝静まった深い夜、村の近くにあった街へと続く街道に旧獣に襲われ、粉々にされた荷車があった。私は話を聞きつけ、その場所に向かった。……そこには血塗れで強烈な死臭を纏わせたお嬢様の姿があった。近くには上半身が吹き飛んだ別人の死体が二つあって、お嬢様の腕の中には……あのクズと瓜二つの容姿を持ったお前がいた。私はすぐに察したよ」


「…………」


「お前の父親は婚約者だったお嬢様を騙して金銭を奪いとり、どこの誰とも知らぬ別人の女とお前を作り……あろうことか、自分が捨てた女を頼ったのだ。――自分達を助けてくれと。でなければ……捨てた女の村の近くに立ち寄るわけがない」


「…………」


 真っ先に思い浮かんだのは母さんの笑顔だった。

 あの屈託のない優しい笑顔の裏で、母は何を思っていたのだろうか。

 自分を捨てた男と奪った女の息子にどんなことを思ったのだろうか。

 裏も表もない愛情だと信じていたあれは一体何だったのだろうか。


「だが、お嬢様は……お前の母君はお前を育てるといった。自分が捨てた男と全く同じ姿をしたお前を」


「…………」


「正気じゃないと思った。だが、お前の子育てをしていた時の母君は……はは、ぎみは……あの頃の……正気だった頃の、お嬢様その人だった」


「かあ、さん……」


「私はそれまで……人間という存在はどのような姿であっても、尊いものだと思っていた。旦那様がいつもおっしゃっていた『言葉』を信じていた。だが――」


「…………」


「お前の父親は間違いなく邪悪だ。あの世が二つあるのだとすれば、地獄に堕ちて当然のクズ。唾を吐きかけて何の問題もない、報いを受けるべき『埃カス』だ」


「……埃カス」


「だから……私はお前を遠ざけ、無視した。母君を正気に戻し、お嬢様に戻したのは間違いなくお前だ。お前とあのクズは違う。親の罪を子供に押し付けるなんて許されていいわけがない。だが――成長するお前の姿が、私の憎しみを増幅させた!!」


「……どうして、ですか。どうして今になって教えてくれたんですか……?」


 村長の言い分は痛いくらい理解できた。でも同時に納得いかないこともあった。


「村長、ボクは子供時代に感じていた違和感をようやく知ることができました。悍ましくて気持ち悪いものを見るような目をあなたは当時していた。実際、そうだったんでしょう。ボクがあなたの立場でも……きっと同じようにしていたと思います。ボクの存在はまさしく負の遺産だったんでしょう」


 母さんのことを思えば、こんなこと口にしてはいけなかっただろう。

 でも、ボクは腸が煮えくり返りそうなほど、顔も知らぬ父親に怒りを感じていた。

 そして――それでも同じくらいこの村長にも気にくわないこともあった。


「ですが……どうしてこの期に及んで嘘をつくんですか?」


「――なに?」


「私はお前を遠ざけ、無視した……そう言いましたけど、あれのどこが無視だったんですか? 大人からは包丁や植木鉢を投げつけられたり、思いつく限りの罵詈雑言を言われました。同じ年の子供からは殴る蹴るの暴行を受け、唾を吐きかけられた」


 ボクは少年時代を思い浮かべた。最初は屈託のない笑顔を向けてくれていたのに、豹変した友達。みんなで仲良く草場を走り回っていたのにできなくなった。

 ボクと母さんにとって、村のみんな全員が『敵対者』だった。


「……私が憎いのか?」


「いいえ、別に? ははっ……言ったじゃないですか、ボクも同じようにしただろうって。ボクからすれば、ここも外も地獄ですよ。違うのは差別される理由だけです」


「……どういうことだ? 私は絶対に関わるなと……」


「ボクはいいんですよ、ボクはね。ただ――その母さんだけは大事に思っているって言い回しをやめろッ!!」


 ボクは声を荒げ、村長に怒りを向けた。

 その自分は母さんの味方だったと主張する言い草が許せなかった。

 母さんを苦しめたくせに自分の罪を隠すような態度が気にくわなかった。


「アンタの怒りも憎しみも理解はできたッ!! だからボクがされたことはどうでもいい!! 絶対に許せないのはその感情を母さんにまで向けたことだッ!!」


「おじょう、さまに……?」


「そうだ!! もうさすがに、ボクがどうして自分がされたことを言ったか分かるよな? 今言ったことすべて、母さんもされてたんだよッ!! この村の住人になッ!!」


「なんだとッ!?」


 村長は顔色が紅く染まった。

 身に覚えのない侮辱を受けたといったような反応だった。


「そんな……ありえない……私は確かに不干渉を貫けと言った!!」


「アンタ以外のヤツらはみんな母さんもやっかんでた! ボクはずっとアンタのことを自分の手は汚さず、他人を利用するクソ野郎だと思ってたんだ!!」


「ッ……お前のことは今でも憎しみの対象としか見ることができない。だが、母君は違う。母君は村の英雄で、恩人だ!! 母君は狂っただけで何もしていない!! 村の全員がお嬢様に一生を捧げても足りない恩があるっ!! お前のいる生活が幸せだというのなら、その幸せに土足で踏み込むつもりは一度もなかったッ!!」


「……アンタの奥さんだよ」


「は――?」


「ボクたちを排斥して、殺そうとした主犯は……アンタの奥さんだった」


 今度は顔色が青く染まった。

 ボクの告げた言葉を疑い、思考から切り離そうと必死になってるように映った。


「そんなはずはないっ!! だってアイツが一番お前らと関わりたくないと――」


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 突如、言葉とも呼べない絶叫が部屋に響き渡った。

 老婆が般若の顔を浮かべ、包丁を持ってボクに突進してきた。

 すぐさま水の入ったグラスを包丁に向かって投げ、吹き飛ばした。

 グラスが割れ、動揺した隙にそのまま流れる動作でボクはソファーから立ち上がって、老婆を組み伏せた。


「はなせえええええええええええええこのバケモノがあああああああああああッ!!」


 それは村長の奥さんだった。しわまみれの手には投げたグラスの破片が刺さり、大量に血が流れている。見た目とは裏腹に有り余った力で拘束から逃れようとするもボクはそれを封殺した。同時にアリナが神能を使用し、指揮棒を奥さんに突き付けた。


「お、お前……どうして……」


「どうして……? どうしてもくそもないでしょうがッ!!」


 長年寄り添ったパートナーの突然の豹変に村長は困惑するが、奥さんはそんな夫を見て、狂気に染まったドス黒い虚ろな目で恫喝した。


「貴方がそこのバケモノに殺されそうだったから、殺られる前に、殺ろうとしただけよッ!! だからイヤだったのよッ!! そんなバケモノを家に入れるなんてッ!!」


「お前……今まで話を聞いて――」


「今度はどんな災いをこの村に呼び込むつもりだったんだッ!! 私が神に変わってお前らを皆殺しにしてやる地獄に堕ちろ!! 人間に化けたバケモノめッ!!」


 押さえつけられてなお、奥さんは狂乱しながらボクに罵声を浴びせる。

 それは余りにも履き違えた筋違いの敵意だ。


「……奥さん、アンタだったのか? アンタが母さんを追い出そうと――」


「母さんですって!? バケモノの分際で悍ましい家族ごっこを口に出すなッ! そもそも世の中は狂ってるのよ!! オマエみたいな産まれた価値のないバケモノを人扱いするだなんてッ!! 別人なんて言葉、オマエには贅沢の極みよッ!!」


 それは典型的な別人を差別する人間の言葉だった。

 普段は口にされることのない人間の隠された根底に備わる拒絶の心。

 心を持つが故に生じてしまうむき出しの敵意だった。


「なぜだッ、なぜお嬢様達に手を出した!! 二人のことは放っておこうと――」


「放置なんてできるわけないでしょ!? いつこのバケモノがワタシたちに襲い掛かってくるか気が気じゃなかったわよッ!! アンタ以外みんなそう!! だからワタシが村の害虫駆除を引き受けてあげただけよ!! 『玉なし』のアンタの代わりにねッ!!」


「――っ!?」


「旦那様お嬢様、旦那様お嬢様ってうっとおしいのよ!! たまたま外に買い出しに出てたから生き延びた使用人ってだけのくせに、あんなバケモノ趣味の一族のことを誇りみたいに大切にするなんて悍ましいにもほどがあるわよ!!」


「バケモノ趣味だと……?」


「それ以外のなんだっていうのよ!? 父親は人間様から逃げてきたバケモノを屋敷に匿い、娘はバケモノに悍ましい恋をする――これをそれ以外どう例えるのよッ!?」


『―――!?』


 もう誰も言葉の使い方が分からなくなった。絶句だった。

 人間の悍ましさが全面出ている姿を目の当たりにしたとしか表現できない。


「あんなバケモノと一緒に寝ようだなんて、股が緩いを通り越して、気持ち悪いだけよッ!! バケモノにオカされるのが趣味だなんて、見ただけで吐き気がするッ!! せっかくバケモノを一度は追い出したのに、ガキをこさえて戻ってくるなんて!! どれだけ繁殖したら気が済むのよって思ったわよ!!」


「は――? 追い出した?」


「ハンッ、アバズレの金を餞別にくれてやっただけよ! 遠い場所で死ねってねッ!!」


 部屋中に雪がなだれこんできたように誰もが感じた。文字通り空気が凍った。

 ボクもアリナも村長も悪魔を見るような目で奥さんに絶句した。


「お前ッ!? なんてことを――ッ!?」


「ハンッ、そうやって真実を知ったらワタシを責め立てるのね、玉なしさんは!! 自分だって一緒に憎んでたくせして、ずいぶんとまあ、浅ましい男。こんな人でなしに捕まったワタシって、とことん不幸よね、笑えてくるわ!!」


「…………狂ってる」


 ここまで見当違いの侮蔑と憎悪。その理不尽さに感じたのは怒りではなく恐怖。

 差別された憤りなんて感じなかった。ただただ、目の前の人間が恐ろしくて怖いという感情だけが脳裏を焼きつけた。


「ハンッ!! どの口が言うんだか!! ワタシの父と母そして妹を目の前で遊び殺したヤツらに言われたくないわよッ!!」


「は……?」


「父を脳みそをにぐちゃぐちゃにして、母を杭打ちみたいに何度も地面に叩きつけ、妹の臓物で縄跳びをしたことはねッ!! 忘れてやるもんですかッ!!」


「――え、あ、え……? そ、れは……」


 ボクはその話にとてつもない既視感を感じた。もう戻れない、戻りたい過去を振り返るには十分すぎる話だった。


 ――あああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 ――ハ、オッさ……い、ギッデッ!? ド! ギャ! ド!

 ――すんません先輩、ここまでお供ができて光栄でした!! アンタは俺の光っす!!


「おえぇぇぇ―――!!」


 吐き気に耐え切れず、口から大量の吐瀉物が吐き出た。

 過去の記憶に耐えられなかった。みんなの死に様を思い出してしまった。

 みんな――誰もが報われるべき善人だったのに。

 恵まれない環境で産まれてなお、気高かった彼らは幸せになるべきだったのに。


「――やめてくれ…………」


「アァ!? バケモノがなにをほざ――」


「もうやめてくれええええええええええええええええええええええええええええ!!」


 この時、ようやくボクは今まで溜め込んだ本心を口にできたんだと思う。


「なんだよッ!! ボクはこの世界の理不尽に適応できないバカとして産まれてきたんっ!! 許容できなかったんだよッ!!」


 "おいおい、今時こんなバカがフタリもいるなんざ思わなかッたぜ! オレも混ぜろや!!"


「もう耐えられない……どうしてこんな……ッ!!」


 "どうかうつむかないでください。お二人は前を向いてこそ、輝くんですから。"


「わかってたさ……ッ! 自分がどれだけ無謀な夢物語をほざいてたかなんてッ!!」


 "アハハッ! 先輩達ってほんとバカっすね! でも主人公みたいで憧れるっす!!"


「子供染みた幼稚な夢だったさ!! でも、みんながいれば叶えられるって思ったんだよ!!」


 "ハオン、一緒に作ろうよ!! ハオンの言う、みんなが笑顔でいられる世界を!!"


「でも、みんないなくなった!! ボクの……ボクのッ……思いあがった独善のせいでっ!!」


 "オマエらのせいだッ!! オマエらふたりが余計なことさえしなければっ!!"


 押しこめてきた感情が決壊し、ずらずらと羽音が吐き出される。

 涙が滝のように流れて、自分自身を抑えきれなかった。


「もう何も見たくないッ! 死にたいよ!! でも……そんなの許されるわけない――」


 ボクはいくつもの無意味な犠牲を出した。もう、この命はボクのものじゃない。

 ボクは苦しみぬいて死なないといけない。でなければ、報われない魂が多すぎる。


「だから、だから最後くらい――っ」


 嗚呼――言っちゃダメなのに。その瞬間すべてが終わるのに。


「最後くらいっ!! "オレ"をどうしようもないクズにさせてくれよォォォォォ!!」


 もうどんな感情を持って、誰に何を思い、どうすればいいのか分からない。

 言葉なんて記号で言い表せない。ボクはもう無理だ。終わりなんだ。


「――シルカ、バケモノガッ!!」

「――」


 だが、どれほど駄々をこねても、この世界はその手を緩めてなんてくれない。


「ソレガッオまぇのづみッ! 生涯クルじめッ!! があああああアアアアアアア!!」


 その時、奥さんの上半身が肥大化し、爆散した。


「へ――?」


 飛び散った肉片が肌にこびりつく。理解しがたい何の脈絡のもなかった展開に呆然とした。


「う、そだろ……」


 残った下半身から黒い何かが蠢き、誕生した。

 まず数えるのも嫌になるくらい大量の目だった。負の感情に集合体になったと思えるほどドス黒く、粘ついた粘液のような姿だった。


「あれは……あの死に方と死体はあの二人と同じ……!」


「えっ―――!?」


 村長の言葉にボクは驚愕した。だが、確かに村長はボクを産んだ両親が上半身が吹き飛んだと言っていた。なんで気づかなかったんだろう。もっと詳しく聞いておけばよかったのに。それはこの明確な恐怖が誕生した瞬間だったのだ。


「――アクア・クゼツ・ボウパ・レイド・リアアアアアアアアアアアア!!!!」


 徐々に肥大化し形を成そうする旧獣はその場から動けなくなる程の叫び声を上げた。

 だが、何も起こらない。そのまま旧獣は気が済むまで叫び続けた。


「―――!!」


 アリナが剣を具現化させ、叫び続ける旧獣を黙らせた。悲鳴のような雄叫びがやみ、静寂が訪れる。


「っ……あれはレビクランの王女だッ!! 王女は他の生物に寄生して、負の感情を餌に成長する。王女はやがて寄生した生物を媒介にその群れの者全てに子供を産みつける。今の叫びは恐らく子供を目覚めさせる合図だ!! 村人に今すぐ―――あ」


 ボクはこの瞬間ほど、自分の経験によって培われた冴えを呪ったことはなかった。

 知らなければよかった。気づかなければよかった。

 今まで村長に聞いた話が、ボクの脳みそに悍ましい真実へと導いた。


「……? 今すぐなんだ!?」


「村長……ひとつ聞かせてください。――あなたは二人が死んだ所を見なかったんですよね?」


「は……二人ってお前の両親の事か? ああ、母君が最後を看取って死体しか見ていないが……それが今なんだっていうんだ?」


「――牛乳なんだ」


「牛乳?」


 村長はいきなり出てきたこの状況に関連しない単語に困惑した。


「このレビクランの王女は牛乳を摂取することで死滅できるんです。レビクランはいうなれば、他者に寄生しなければ自分で成長もできない弱い旧獣。成長して今みたいに苗床からでてくるまで、最低でも……二十年はかかるんです」


「二十年――――あ」


 どうやら村長も気づいてしまったらしい。狂気に侵された母の真実に。


「ボクは今二十四です」


「……あいつはあの二人と同じように死んで……」


「ボク、母さんからよくシチューとか牛乳を使う料理を作ってもらってました……」


「……あの人は死ぬ直前、牧場で飼ってた牛を皆殺しにした……村の者はあの人を恐れて牛を飼わなくなった……」


『…………』


 その場にいる全員が察してしまった。特にアリナは口を手で隠して絶句していた。

 母さんはただ狂っていたわけじゃなかった。もっと恐ろしいものをこの村に残したのだ。


「――ああ、よかった」


 ふいに、上を見上げ、村長がそう納得した声で呟いた。


「母君は……お嬢様は狂ってなどいなかった。おかしくなっていたのは、私共の方だったのですね……」

 それはただひたすらな安堵だった。大切な人を慈しみ思いやる感情だった。

 だが、そんなこと知るかというように村長の身体は奥さんのように肥大化していった。


「――はやくここから消えろ、ハオン」


 上を見ていた村長がボクに視線を移しそう言った。


「なにをっ……!?」


「もうこの村は終わりだ。最後の最後でやってくれたな。お前と母君にはまんまとしてやられたよ」


「おい、なに結びみたいにしてんだ!! 今すぐ牛乳を探せば助かるじゃないか!! なに諦め――」


「お前の母君は奇跡を信じたんだ。その奇跡が実現した。もうこれ以上の奇跡は起こせないし起こらない」


「――っ」


 村長は目でボクに訴えた。その目はまさしく裁きを受ける罪人のようだった。

 そうだ、この余りにできすぎた事柄を言い表すにはそんな正の言葉しかありえない。

 これは完全に破綻した歪な悪意だ。

 準備したけど、まあ成功すれば御の字程度の計画性。

 村人が母に怯えず牛を飼っていれば破綻しただろうし、レビクランの王女が成長するよう程の負の感情がなければ破綻しただろう。

 そもそもボクが村に帰ってこなければ――起爆スイッチなければ成立すらしない。


 ――大丈夫、必ず奇跡はおこるから。


「なんでだよ母さん……っ!! こんなの……奇跡……なんかじゃないだろっ!!」


 ――ダイジョウブ、カナラズキセキハオコルカラ。


『オガぁザぁん……ドゴでぃイづのォ~~~~!!』


 家の外から身の毛もよだつ恐ろしい鳴き声が聞こえてくる。

 レビクランの王女を探す子供達が、村中に溢れかえっているのだ。

 今すぐここを離れなければ、間違いなく殺される。


「そんな……うそ、だろ……」


「言っただろう。もう、手遅デッ!! ダ、ド……ッ!!」


 村長が苦悶に満ちた声を上げ、その場にうずくまった。

 今にも破裂しそうな肉体は、もう間に合わない事実をボクの脳内に叩きつけた。


「ざあ!! ハヤック、ギエッ、ドッ!! 目ザワり、なんダヨッ!!」


「っ……!! アリナぁ!! 飛んでくれ!! 空から援護おねがいっ!!」


「―――――!!」


 アリナが頷いたのを確認してから刀を抜き、ボクはすぐさま窓から飛び出した。


『――オガぁザぁんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!』


 襲ってくる子供を切り倒し、アリナに援護されながら、ボクは必死に走った。

 後ろを振り返ることはできない。ボクはこの旧獣に侵された故郷を捨てたのだ。


「……お嬢様、申し訳ございません。私はご子息に今、許しを請おうとしました」

「貴方様を最後まで信じることができなかったのに、浅ましくも懺悔しようとしました」

「ですが、私は最後までご子息の敵でいられました。貴方様の復讐は完成したのです」

「パレイム様、フラーネお嬢様……天国でどうか安らかに。我ら一同、この罪を地獄で償わせて頂きます」


★ ★ ★ ★


 結局、ボクに何ができたんだろう。

 この世に生まれてすぐに忌み嫌われ、世界から排斥された。

 誰にも必要とされず、居場所なんて存在しない。

 いや、ボクはきっと作ることはできたんだろう。


"ハオン、一緒に作ろうよ!! ハオンの言う、みんなが笑顔でいられる世界を!!"


 ピックが……みんながいたあの頃がボクにとっての居場所だったんだ。


"おいおい、今時こんなバカがフタリもいるなんざ思わなかッたぜ! オレも混ぜろや!!"

"どうかうつむかないでください。お二人は前を向いてこそ、輝くんですから"

"アハハッ! 先輩達ってほんとバカっすね! でも主人公みたいで憧れるっす!!"


 ダート先輩、アグリちゃん、カーレンちゃんごめん。

 ボクはみんなの人生を台無しにしただけだったよ。


『この世界を幸せで満たすのは、ハオンとピックだ』


 少なくとも、ボクにはそんな世迷言は不可能だったんだ。


"もう、どうでもよくなった。なんで生きる価値のない雑魚を救わなきゃいけないの?"


 ボクらは大人になった。初めて出会った頃と違って、夢には生きれなくなった。

 ボクとピックで……いや、ボクが始めた歪な夢は出会ったときから破綻していた。


"わたしはもう弱者は救わない。強者だけの世界がいい。今度はわたしについてきて"


 『あの日』ピックはボクより先に大人になった。それだけのことだ。

 そこにはボクが一目惚れした笑顔はなくなっていた。

 ボクが彼女を殺した。一番の親友をボク自身で殺した。

 今の彼女はもうボクを見てくれはしない。

 バカだよね……ほんと。卑しいにも程がある。


『ごめん……アリナ!! ほんとにごめん……っ!!』


 故郷の村を出て、最初にしたのはアリナへの謝罪だった。


『君に見せちゃいけなかったのに、ボクの都合で見せてしまった! この世界のイヤな部分を!!』


 ボクの独善によって救われてしまった人間。彼女は最後の被害者だ。


『ボクは信じたかったんだ!! この世界は最悪だけど、いいところだって必ずあるんだって!! 君に見せたかったんだ!! この世界にだって希望はあるんだって!!』


 そう思わなきゃ、やっていけなかった。自分に都合のいい解釈を信じるしかなかった。


『でも、やっぱりこの世界はクソだった!! 死ぬことでしか救われない!! 死こそが救済だったんだ!!』


 今すぐ死んだ方がマシなんだ、この世界は。生きていても何も変わらない。残酷で苦しいだけの日々が延々と螺旋状に繰り返されていくだけなんだ。


【――嫌だ。本当は違うって証明したい。みんなに認められたい。それが本音】


『ほんとにごめん……情けないヤツでごめん……!! ボクはただ、君に幸せになってほしかっただけなのに……!!』


 いや、違う。ボクはこの時、この期に及んで自分に言い訳したんだ。

 アリナを理由に、醜い自分を正当化しようとしたんだ。ボクは本当に最低の嘘つきだ。自分の身勝手な都合で彼女をこの地獄に縛りつけてしまった。


【――ただ、自分が一人ぼっちになりたくなかった。それが本音】

 

『ボクはそんな都合よく世界をどうこうできる主人公にはなれなかったんだ!!』


 ボクは物語の主人公でも、ましてや登場人物ですらない。

 世界観を読者に伝えるためだけに産み出されたような愚か者。

 身の丈にあった人生を送ればよかったのにと嘲笑されるのが関の山の存在。

 子供のころ憧れたみんなを笑顔に、幸せにできる存在にはなれない。


【――子供のころ憧れた勇者だとか英雄になりたかった。それが本音】


『ごめん……ごめんなさい……っ!! ごめんよぉ……!!』


 ピック、母さん……ごめんなさい。ボクの存在が二人の人生を狂わせてしまった。

 ダート先輩、アグリ、カーレンちゃん……ボクがいなければ、苦しくてもまだ生きていてくれたはずなのに……ごめんなさい。

 アリナ……こんなくだらない男の人生に最後まで付き合わせてごめんなさい。

 イヤだったよね、こんな男の死に場所探しに付き合わされるのは。


【――ボクは世界で一番自分がだいっきらいだ。ボクはボクを死んでも許さない】


 ……やっと死ねるんだ。嗚呼、本当によかった。ユイありがとう。

 カンキニョスやシムハナ、この『色彩薬』は役に立ったよ。

 『色彩』の世界がどんなものかは知らないけど、ボクが苦しめる世界であることを祈るよ。


【――結局、自分の心の中ですら、ボクは本音も本心も言えない臆病者だったな】


 ―――――――な!!


【――みんなと出会えて、ボクは幸せだった!!】


 ―――――けるな!!


★ ★ ★ ★


「ふざけるなああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 ハイトはすぐさま『泥』を注射器に向かって吐き出し、同時に今まで周囲にまき散らしてた『泥』を操作して、ハオンを拘束した。

 吐き出された『泥』は注射器を打ち砕き、その中にあった液体を燃焼させた。

 やはり推測通り、異能絡みのものだったらしい。

 すぐさま『泥』を出したのは正解だった。


「僕の神能は『苦痛を糧にして肉体から『泥』を生成し、神能や法式を無効化する』んだ。『泥』はどれだけ強大な力でも絶対に無効化できて、逆を言えば、強い方がこの神能は効力を発揮し、降りかかる神秘を燃やし尽くす。これは人間に『泥』をかけても燃えることはなく、旧獣だけ肉体が燃えるから、僕が勝手にそう解釈した!!」


 それは混沌であり調和の体現。秩序はなく無限の可能性を秘めた混乱であるにも関わらず、矛盾や衝突なく全体が纏まった奇跡。

 カオスとハーモニーによって現実離れし、理解不能な成立した世界(シュール)。


「正直分からないことだらけで、多分この説明は間違ってる。でも確実に言えることは、これは僕が自分の土俵に持っていくための力なんだ。力の差がどれだけ離れていても、シンプルな話し合いに持っていくための力。クソなお前を人間だと証明する力だ!!」


「……そうか、苦痛を糧か……世の中ッて、ホントクソだな」


 噛みしめながらハオンは呟いた。最後の足掻きに失敗した獣。処刑人の行う断罪を今か今かと待っている罪人だった。


「お前、今更逃げれるとでも思ってんのか? 調子に乗るなよ!! 最後に自分で全部台無しにしたくせに、今更被害者ぶってんじゃねぇぞ!!」


「お前の過去がどれだけ悲惨だろうが、それを聞いてお前が大勢から同情されようが、僕は絶対にお前のしたことから目を背けたりしない!!」


「誰よりも奪われることの苦しさが理解できるくせに、当然のごとく人の命を奪いやがって!! お前は踏み越えちゃいけないラインを超えたんだよ!!」


「お前はこれからなんだよ。これから償っていくんだ!! 僕が死ぬまでお前を見てやる!!」


「僕の神能は『救世主の油(パレメーシア)』!! 包み隠さず、お前の罪を悔い改めろ!!」


 ハイトの拳がハオンの頬を貫く。それは話し合わなければ、成しえなかった拳。

 あらゆる感情が混ざり合い、様々な背景が溶け合って一つに混ざり合っていく。

 意識の下に閉じ込められている無意識の欲望の解放。

 それはまさしく調和と混沌のシュルレアリスム。





「―――――嗚呼、ありがと…………う」

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