きらきら星変奏曲

 落ちていた彼女は階段を昇ってきた私に見向きもせず、顔を抑えてうずくまっていた。気づいていないのか。どことなく気まずくて息を潜める細い指の隙間から見えるその頬が、わずかに艶んでいる。

 まあ十中八九、泣いていた。

 正直に言おうか、頭の中を覗かれているわけでもあるまいし。「面倒だな」と思った。女同士の慰め合いがこの世でトップクラスに非生産的なことには違いない。甘ったるい声音で「大丈夫ぅ?」と聞かれた暁には、「たった今大丈夫じゃなくなったよ」とつい口を滑らせてしまいそうだった。まず心配された経験もないんだけど。かくも美しきかな友情王国建設のためには必要な資材かもしれないのはさておき、あいにく候補不在の身としてはガラクタに等しかった。嫌いというより、どうして扱っていいかわからない。だから面倒くさい。




「あの、ハンカチ。……——使う?」


 どうかしていた。

 この現状のために気の迷いって言葉は生まれたんじゃなかろうか。

 そう、今日持ってきたハンカチは買ったばかりの新品だった。薄くて、端に刺繍の意匠なんかもこさえてあるデザインの。おろしたてのハンカチって端を揃えて折り畳んだり、ファーストタッチのタイミングにこだわったり、普段なら取らない行動をとるものでしょ?もしくは新品を誰かに見せびらかしたくなったのかもしれない。要は浮かれていたのだ。どんな気まぐれにしろ自分の中にもそういう可愛らしい部分が存在していたんだなあと、手を差し伸べた体勢にも関わらず自分への感慨に浸っている。本質はそんな自分勝手な人間なんだよ。


 だから初めてに近かった。

 他人に思いを馳せるのは。



 たっぷりの光を浴びて反射する白くて短い髪。

 それがはらりと落ちると、茶色よりも薄い、ほのかに黄色さえ含んだ大きな瞳がまっすぐこちらを見つめていた。西日が照らすと琥珀にも似た。他の部位に漏れず色素の薄い目だからかはっきりと瞳孔が認識でき、その眼差しで凝らされると嘘や誤魔化しをする気にもならなさそうで。

 前髪で隠れていた瞳は、その周囲が褒め称える髪よりも綺麗だと思った。


 髪の毛と同じくらい先まで真っ白なまつげを二度三度はためかせると、たちまち液体が溢れる。白よりも透き通って、ブリリアントカットされた宝石が如く瞳の光を乱反射して何倍にも輝く涙は、まるでこの世のありとあらゆるものから祝福を授かったような煌めきをしている。

 小さな光の粒は、その燦然とした大きな瞳よりも綺麗だと思った。


 髪——瞳——涙——。遠くから見ていたときはわからなかった。転校初日に隙間越しから見たときも、人海の輪の中心にいたときも、気づけやしなかった。見ようとしなかったの間違いかもしれない。麗しい人形が、よく見てみれば実はマトリョーシカの機構になっていて、開けていくごとに小さくなっていくのに対し輝きは倍々に増していく、そんな感触があった。



 美しいものほど、奥にあって見えにくいのだとしたら——……

 この子の一番綺麗なところは、もっと目に見えない場所にあるんじゃない?




「え、おぅ……ありがとう」

 差し出されて宙に浮いていたハンカチがひとまず受け取られる。無言で眺めてしまっていたらしい、少し困惑気味だった。ただ動揺こそすれしゃくりあげての言い淀みはない。よってより無音で、ハンカチで目を押さえている間の沈黙が気まずかった。

「……西日が綺麗だから泣いてたの?」

 なんて馬鹿みたいな質問をしたのか。そもそもなぜとどまって会話することを選択したのか。仮にこの転校生が西日に感動して一人したたり泣くような類稀なる感受性だったとしよう、まったくもって扱いに困る。

「泣く?」

 やっぱり。意表を突かれた顔でこっちを見ている——泣く?って?

「うーん、半分そうかも。階段登ったらちょうど窓から西日が差し込んできてさ。初めて旧校舎棟こっちのほう来たけど場所とタイミングが悪ィよな」

 ほら目が病気コレだからさ。とにこやかに笑われた。確か光もよけい眩しく感じるんだっけか。担任が並べていたなかで耳にした記憶がある。

「まともに見ちゃったからもう染みて染みて。防衛本能?で涙止まんなくなるじゃん。とどのつまり涙は涙でも悲しいわけでも感動したわけでもないっつーか、だからその、なんだろう……気遣わせてごめんな?」

「謝らなくてもいいよ別に……」

 余計に恥ずかしい。



 いたたまれない空気を気遣ってか、

「じゃあひとつ聞いてもいい?旧理科二類準備室がどこか教えてほしくて。ワンダーフォーゲル同好会の部室になってるらしいんだよ」

 ポケットから学校案内のコピーを取り出し、マーカーでいくつか丸が打ってあるうちのひとつを指さしてくる。ゴシックフォントの『部活紹介』がやけにまばゆい、縁がなさすぎて。しかしつるんでいる人間もこういうときにそばにいてやればいいのにと思わなくもないので、案内はやぶさかではなかった。日ごろそんな機会こそないだけで、いざ声をかけられたら、まあ……善処はするさ。

「いいよ。旧理科二類準備室ニジュンなら誰よりも詳しい自負があるからね。ワンダホーかなんだか知らないけど。やけに弾けた名前だね」

「ワンダホーじゃなくてワンダーフォーゲルだろ。一周回ったベンチャー企業の名前みたいじゃん。もしかしてそこの掃除担当だったりする?」

「担当している覚えはないけれど掃除はしてる」

「自主的に掃除してんだ。尊敬するな」

「机なんかは丹念に磨いてあるから是非見ていってほしいものだけど——アドバイスとして。訪問はおすすめしない」

 なんなら反射するから鏡としても利用可能である。それはそれとして。


「無駄足だったね。帰ったほうがいいんじゃない?」

 予想外の返答に、さすがの転校生も怒りを露わにする。といっても半歩繰り出して、涙の引いた目を至近距離に近づけるだけの軽度なスキンシップに過ぎない。尖らせた口に強さは全くなく、むしろキュートだった。

「なんでだよ!意地悪しないで教えてくれよ、あたし今海派か山派か聞かれたら迷わず山派って答えるくらいには気分はマウンテンなんだよ!」

「海派?山派?」

「マウンテン!」

 山派って答えないじゃん。

 こっちだって何も意地悪で教えないわけじゃない。男子小学生じゃないからね。


「ワンダーフォーゲル同好会は去年入部希望者がゼロだから自動消滅したらしい。事実上の廃部だよ。元顧問に聞いたから間違いない。案内なんて同好会ひとつ潰れたくらいで刷新しないだろうし」

「——え」

「空き教室を有効活用してるだけの人間である私は、当然亡きワンダーフォーゲル同好会のメンバーでもなんでもないし、よって君が望むものはここにはないよ。二度手間になるから帰ったほうがいい」



 つまるところ。

 うん。

 無断使用というやつだ。

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