君は運命の虜①
彼女と再会したのは——どうせ同じクラスなのだから顔は合わせることになるのだけど——翌日のことだった。
しかも朝一で。
「
席に座ろうと椅子を引いたとき、教室内の雑踏からふいに聞こえた単語の羅列が自分の苗字なのだと認識するまでには少し時間がかかった。朝一番だから、というより明朗快活に名前を呼ばれたからだろうか、まるで友達に朝の挨拶をするかのように。
おかしいな、友達なんていたっけな。
「やっぱり。見覚えあったから同じクラスだとは思ったんだけど。昨日はまだ顔と名前が一致してなくてさ」
「……逆になんで今、名字を知っているのか気になるな」
「ほら、あたし以外はもともと名簿順の座席になってただろ。席替えもしないから、名簿をたどれば一発だよ」
私立だからか、我が校は丸一年席替えというものがないらしい。だからどうということはないのだけど、隣で居心地が悪そうに授業を受けているクラスメイトの運命が今後一年決まったことは気の毒に思う。今現在も他の友人の席に避難している。そもそも休み時間で姿を見かけたことすらない。
クラスの大半が遠巻きでこちらを伺っているようだった。彼女は気づいていないようだけど。
「前の席が
驚いたことに、私以外の人間に関しては名簿の情報だけでなく実際に交流がありそうな話の仕方だった。およそ転校生とは思えない馴染みっぷり、むしろ私のほうが誰の名前にも聞き馴染みがないのだけど。
「で、名字は読めたんだけど錆崎さんの名前が読めなくて。あたしたちまだ中学生なんだからさ、名簿にふりがなぐらい載せといてほしいよな」
「別に名字でいいよ。読みにくいから」
「あたし以上に読みにくい名前はなかなかいないよ?ちょっとこてつって言ってみて。
こてつ、こてつ。確かに言いにくい。ラフに駆け抜ければむしろ言いやすい部類なのに、『つ』までしっかり発音しようとすると滑り落ちていく。なるほど、前の学校でこてっちゃんという愛称がついていたのも案外理にかなった傾向なのかもしれない。
「『つ』も言いにくいね——私は『せ』なんだ」
「『せ』?てっきり『よ』って読むのかと思ったけど」
確かに名前の漢字だけ見れば、いちよ、いよ、などとよく間違えられる。それらはまだいいほうで、学外に出ればかなりの高確率で男子の名前と間違えられる。
まあ、それは真藤こてつも一緒か。
「数えの一つに世界の世でひととせって読むの。読めやしないんだけど、強引に読んで。
お互い名前がね。名字はそうでもないんだけど。
「ひと……とせ。ひと、とせ。ひとと、せ、ちゃん」
彼女は何度も名前を言いにくそうに反芻し、噛み砕き、イントネーションを探り、最終的には、
「うん。ひととせ。よろしくな」
敬称をつけることを諦めた。
「初っ端からフレンドリーだね。ちゃん付けはしてくれないのかな」
「めちゃくちゃいい名前だけど、めちゃくちゃ読みにくい!ちゃんを付けるとことさら……ひととせ、が嫌だったら止めるけど」
「呼称なんて気にしないよ。判別できるなら何だっていい」
実際なんて呼ばれようと知ったことではない——名前で呼ばれたのは初めてだったけれど。
真藤こてつはにこやかに笑った。太陽のような笑顔だった。陽気なキャラクターを略して陽キャと言うものの、こと彼女においては由来が太陽にあるのではなかろうかと錯覚する。太陽キャ。
そうして太陽は静かに左手を差し出していた。握手でもされるのかと思ったけれど、スポ根漫画でもあるまいし、その手に握られていたのは昨日のハンカチだった。
「昨日うっかり返しそびれた。ごめん。洗ってあるけど、汚れてたら言ってくれ」
しかし汚れはおろか、……これはシトラス系かな、ほのかに柔軟剤のいい匂いが漂ってくる上に、角を揃えてアイロンまでかけられている。ハンカチ一つで随分律儀なことで。
もちろん涙のシミ一つなかったけれど——なんだろう。たとえ残っていたとしても、さほど嫌な気にはならなかったんじゃないか。
現に、ハンカチの行方なんて頭から抜けていたし。
「ありがとう。ひととせ」
目が合う。色素の薄い瞳は、濡れていなくてもヘーゼル色に反射している。
ヘーゼルの中に、自分の長い髪を見つける。長い、長い黒髪。
彼女から、瞳の中の私から、ハンカチを受け取った。人肌の温もりがあった。
「ご丁寧にどうも。ハンカチ、机に置いといてくれればよかったのに。きみのお友達を待たせてしまって悪いね」
「んなこと気にすんなよ。礼儀はちゃんとしとかねーと。それにここ、なんだか居心地がいいんだ」
ひととせが穏やかだからかな、なんて言ってのける。
そうかい。穏やかかい。
穏やかだと評された私からしてみれば、きみのほうがはるかに穏やかで、穏やかというよりのどかな、まるっきり人のいい面しか見ないような、そんなお人好しの人間に見えるけどね。
だからほら。
私を見る周囲の目も気づかないんだよ。
「だからまた——」
「ッ、こてっちゃん!」
教室の端——掃除用具の辺りにたむろっていたグループが、こてつの名前を叫んだ。見やると噂のお友達が、勇気を出して声を出したらしい。呼ばれてようやく、真藤こてつは自分の周囲に人がいなくなっていることに気づいたらしい。転校初日とは全く真逆の構図になったわけだけど、どのみち自身が注目の対象に変わってることに変わりはない。
わずかに、彼女の顔色が変わった。
……ように思えた。白すぎる肌には、青ざめる余地がさほどなかったから。
「ごめん、呼ばれたから行ってくる」
「いってらっしゃい」
真藤こてつが背を向けたと同時に、HRの開始を告げるチャイムが鳴り響く。足早に駆けていく後ろ姿を眺めながら、私はこの状況にふさわしい言葉を理系脳の片隅で並べていた。
短い間だったけど——
楽しかったよ、きみとの友達だった瞬間は。
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