第7話

「映画、とは言ったものの・・・」

由衣は頭を抱えそうだった。初めての映画体験ともなれば、これから先「映画」というもののファンになってもらえるような鮮烈なものをプレゼントしたい。が、一人で、あるいは祖父との映画鑑賞しか体験のなかった彼にとり、リザほどの年代がどういうジャンルを見れば喜ぶのかがわからなかった。


そして彼の思考は、煩雑なスパイラルに陥っていた。


どうしよう。

ドキュメンタリーは重すぎる。彼女の心を彼方にやり、夢を見させるようなフィクションがいいだろう。

だが、スリリングなアクション映画がいいのか?

それとも、夢見ごちになれる恋愛ものがいいのか?

恋人のいなかった彼には、わからない。


結局、彼は逃げに走った。

「こういうのはまずは感覚なんじゃないかな。好きなのを選べよ」

由衣が問いかけると、リザは腕を組み、少し考え込むような仕草を見せた。

映画館のエントランスには液晶パネルに無数の広告が並び、SF、ホラー、アクションと様々なジャンルが彼らを見つめている。


「好きなタイトルを選べばいいって言ったわよね?」

「ああ。初めての映画なんだから、好きなのを見ればいい」

「そうね…じゃあこれにするわ」


リザが指差したのは「夢中」というタイトルのポスターだった。

暖かい色彩の写真が入った電子ポスターは、静かな水面に映る2人の黒い影を映し出している。


「落ち着いたタイトルだな。内容は?」

「タイトルに惹かれただけよ。内容は知らない」

「えぇ・・・適当すぎやしないか?」

「いいでしょ。こういうのはノリと勢いよ」

「お前、結構お気楽なんだな」


リザは肩をすくめ、二人はスクリーンに向かった。

室内が暗くなり、スクリーンに映像が映し出される。

「夢中」は、夢の中で出会う時も場所も違った男女が、出会うために泥臭く足掻くという恋愛劇だった。


(恋愛ものか・・・見たことなかったな、そういや)

ふと隣を見ると彼女は淡々と画面を見つめている。しかしその表情はいつもの強気なものではなく、どこか幼心を秘めた雰囲気が漂っていた。


映画が進むにつれ、リザの相好は深く感情を内包していった。最初はただ興味一本だったのが、だんだんと登場人物に共鳴していくかのように、微妙に変化しているのが横からでもわかる。

その感情を一人では抱えきれなくなったらしく、彼女は手帳に何やら走り書きし、ゆいに見せてきた。


『男の方、鈍すぎない?』

『もっと素直に言えばいいのに、あの二人』

楽しめているようだな、と、由衣は貴族にとっての「悪い遊び」・・・庶民的な遊びを楽しませることができて満足だった。


「夢中」は四時間かかる大作なので、途中で15分の休憩時間があった。その間、彼女は堰を切った如く感想を語り出した。

「ああいうもどっかしいの嫌いなのよね、しかも何よあの夢。甘すぎない?」

「夢だからいいんだろ。夢ってのは、現実にできない本当に『夢のような』ことをするんだからな」

「じゃあ、あんたの夢ってどんなの?」

「夢、か・・・いろんなことを見るな。家族と幸せに暮らす夢とか、自分一人で生きていく夢とか・・・」

リザは気まずくなった。およそ彼のバックボーンがいかなるものかは推測できていたが、まさかこうもなっているとは・・・


「さ・・・さぁ、もう休憩時間終わるわよ」

彼にはなぜ彼女がこう焦っているのかがわからなかった。


「夢中」のラストシーン。過去に生きる男が刻んだ木の傷を見て、女が涙を流す。

感動はしたが彼は泣かなかった、いや泣けなかった。彼はそういう、共感力に欠けるわけではないが、こと「悲しみ」だとか「感動」といったタイプの精神の動きが身体を通して表象されにくい人間だった。

特に今回は、初体験のリザのことが気になって映画本編に大した集中ができていなかった。楽しんでもらえただろうか?彼女の方が気になって左を見ると、頬に光るものが見えた。

(こいつも、泣くんだな)

人間としては当たり前の反応を前にして、しかし彼は勝気な女性が涙を流すところを想像できていなかった。

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