第2話 婚約者と竜

 私、エリーゼ・リストンはアウスリング王国にあるリストン伯爵家の次女として生まれた。

 娘たちを溺愛する優しい性格の父、穏やかだけど父を引っ張るしっかり者の母、魔法に優れた頼れる三つ上の姉の四人家族で、伯爵家の娘として教育を受け、ごくごく普通の平和な人生を送っていた。


 そんな私の人生が大きく変化したのは、十三歳の時。──ローギウス侯爵家のフェリクス様と婚約してからだ。

 元々母親同士が親友で、お互いの屋敷をよく往き来していて、その縁でフェリクス様とは小さい頃から顔見知りだった。 


 しかし、一つ想定外だったのは、姉──お姉様とフェリクス様の相性が非常に悪かったことだ。

 正確にはお姉様がフェリクス様のことを嫌っていて、そのため、いつも私が二人の間に入って過ごしていた。


 それでも、お姉様とフェリクス様の板挟みになりながらも婚約するまではそれなりに平穏だった。 

 だけど、それから数年。名家・ローギウス侯爵家の跡継ぎで一人息子であるフェリクス様が十六歳を迎え、侯爵夫人が思い立ったらしい。

 どうやら昔から見てきた親友の娘というのは安心感があるようで、侯爵夫人から我が家に婚約の打診が届いた。

 二人姉妹の私たちはお姉様が伯爵位を継ぐと決まっている。なのでこの場合、嫁ぐのは私の方だ。

 きっと、侯爵夫人からしたら私とフェリクス様は普通に話していたから大丈夫と思ったのだろう。

 母親同士が親友だったこともあり、フェリクス様とは昔から面識がある。格上の侯爵家からの打診、というのもあるけれど世の中には顔も知らない相手と政略結婚することもある中で、昔から顔を知っているフェリクス様と婚約できるのは幸運なことだった。


 ──しかし、それは間違いだった。

 フェリクス様はこの婚約を望んでいない。それは、彼の態度を見ればよく分かる。

 

「はぁ……」


 歩いていると溜め息が零れる。お茶会の間、なんとか我慢していたけど、今はフェリクス様もいないから我慢しなくていいだろう。

 婚約を結んで一年経った頃から、フェリクス様は急に距離を置くようになった。

 ある意味、幼馴染のような感じだったから婚約を結んだ直後も友好的な関係を築いていたと思う。

 だからこそ、彼の変化に驚いた。

 最初は竜騎士の仕事が忙しいのだろうと思っていた。実際、忙しそうにしていたから。

 だけど、竜騎士の仕事に慣れてきても態度は変わらず、相変わらず距離はよそよそしいままで、それがいつの間にか当たり前になってしまった。


「……政略結婚だと思えば考えたらいいのかな」


 何か嫌なことをしてしまったのかもしれない。そう思って以前、勇気を振り絞ってフェリクス様に尋ねたことがある。

 その返答が「エリーゼは何も悪くない」。……それはつまり、婚約者として不足はないけれど好意があるわけではないというだ。

 フェリクス様のことはすごいと思っている。知性の高い竜を従え、竜騎士として王国の国防に貢献するだけではなく、剣技も優れていると有名だから。

 だけど、その気持ちは尊敬のような感じで恋愛小説のような好きではないと言い切れる。

 お互い相手に好意を持っていない婚約。だから冷め切ってしまうのだと思う。

 

「……それでも、ゆくゆくはと思っていたんだけどなぁ」


 侯爵夫人からの打診でも、婚約したからには少しずつ恋愛感情の面で好きになりたいと思っていた。不仲よりも仲良しになりたいから。

 だけど、フェリクス様の態度からそれは難しいと分かってしまった。


「まだ来ていないか」


 侯爵家の正門に到着し、伯爵家の馬車を探すけど見当たらない。

 だけどあと数分したら到着するだろう。それまでここで待っていたらいい。帰ったらすぐに頭と目に焼き付けたガーベラの花を描こう。

 そんなことをのんびり考えて待っていると――頭上に影ができて顔を上げる。

 ゆっくりと見上げた先には──白銀の鱗を持ち、青空のように澄んだ青い瞳を持つ竜が私をじっと捉えていた。


「フリューゲル」

「ギュ!」

 

 名前を呼ぶと嬉しそうに鳴き声を上げ、私の手が届く高さまで頭を下げる。


「ふふ、よしよし」

「ギュ」


 首元を優しく撫でると嬉しそうな声を上げて目を閉じる。この表情は生まれた時から変わらないなと思う。

 撫でられている白銀の竜の名前はフリューゲル。──フェリクス様が使役する竜だ。

 竜を使役する才を持ち、竜騎士を目指す人は竜舎へ向かい、まだ人と契約と結んでいない幼竜と顔合わせをする。

 そこで幼竜に気に入られ、契約を結ぶと自分の魔力を幼竜に提供して絆を深めながら竜騎士になるために訓練に勤しむ。

 幼少期の大半をパートナーを過ごすため、竜と竜騎士の絆は深いと有名な話だ。


「……フリューゲルは変わらないね」

「ギュ?」

「ううん、私のひとりごと」


 不思議そうにこちらを見るフリューゲルを再度優しく撫でる。……フェリクス様は変わってしまったけど、この子は今も昔も変わらずにいてくれている。

 フリューゲルはフェリクス様が八歳から契約して育てている竜で、風の魔法を扱える。

 そして、初めて出会った頃から私のこと慕って懐いてくれる子だ。


「久しぶり。元気だった?」

「ギュ!」


 尋ねると元気な返事が返ってくる。フリューゲルの言葉は分からないけど、元気そうで何よりだ。

 見上げているとフリューゲルが私と正門の方を交互に見てこてん、と首を傾げる。  


「ああ、馬車がまだ来ていないみたい。でももう少ししたら来ると思うわ」

「ギュ」

「だからもう少し撫でてもいい?」

「ギュ! ギュ!」


 頷き、撫でていいかと尋ねると首を縦に振って答える。撫でていいようでよかった。

 撫でると気持ちよさそうに目を細める。


 竜は知性が高く、同時に気位が高いと聞く。そのため、契約を結んでいる主人以外で懐くのは珍しい。

 もちろん何度も顔を合わせたり、世話をしていると少しずつ心を開く竜もいる。

 だけど、同時にいくら世話をしても主人以外には冷たい竜もいる。


 そう考えると元々フリューゲルは人懐っこい性格なのだろう。主人でもないのにこうして私が触るのを許しているのだから。

 むしろ、臆病な子だと思う。私には懐いてくれるのにお姉様を見ると涙目になって、私より何倍も大きいのに私の後ろに隠れるから。

 フリューゲルの性格を思いながら古い記憶を思い出す。

 私がフリューゲルと初めて出会ったのは五歳の頃。生まれたばかりのフリューゲルは五歳の私でも抱きかかえられるくらい小さい竜だった。


「生まれたばかりはすごく小さかったのに、あっという間にこんなに大きくなって。昨日は雨の中で訓練して偉いね」

「ギュ! ギュッ!」


 私の言っている意味が分かるのか、嬉しそうに鳴く。私が育てたわけじゃないけど、フェリクス様を通して十二年間フリューゲルの成長を見て来たからか感慨深くなる。

 そうして話しながら馬車を待っていると、遠くから馬車の音が聞こえてくる。実家のリストン伯爵家の馬車かもしれない。


「ギュゥ……」


 同じく音に気付いたフリューゲルが悲しそうに鳴き声を上げて見上げる。気のせいだろうか、悲しそうにこちらを見ている。

 そんなフリューゲルに苦笑して腕を上げると、フリューゲルが頭をさらに低くする。


「ごめんね。でも、フリューゲルとこうして過ごせて楽しかったわ。疲れているのに来てくれてありがとう」

「ギュ。ギュッ!」


 頭部を優しく撫でながら伝えるとフリューゲルも声を上げる。相変わらず何を言っているのかは分からない。

 でも、こうして私に会いに来てくれて、竜の弱点である首や頭部を撫でるのを許してくれているということから、フリューゲルには嫌われていないのが読み取れる。


 そして予想通り、実家のリストン伯爵家の馬車が到着してフリューゲルとお別れの挨拶をして馬車に乗ったのだった。

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伯爵令嬢は竜騎士との婚約を解消したい 水瀬 @minase0817

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