伯爵令嬢は竜騎士との婚約を解消したい
水瀬
第1話 いつもと変わらない冷えたお茶会
「エリーゼ様、申し訳ございません。フェリクス様ですが先ほど戻られたばかりで……。もう少しお待ちください」
うららかな春の日差しが降り注ぐある日の昼下がり。時間通りに婚約者の家であるローギウス侯爵家へ訪れると、侯爵家に長年仕える家令が頭を下げられた。
「そうですか……。分かりました、ここで待っていますね」
謝罪する家令ににこやかに微笑む。大丈夫、彼が忙しい身であるのは十分知っている。
お茶会の席へと案内し、客人として持て成してくれる家令と侍女にお礼を告げて侯爵家自慢の庭園に目を向ける。さすが侯爵家、いつ訪れてもきれいに整備されている。
優しい春風が頬を撫で、風のせいで花がゆらりゆらりと揺れるのをじっと見つめる。
「……きれい」
ポツリと感想を零れる。春だからか多種多様の花々が咲いている。
どの花も美しい。だけど、その中でも特に力いっぱいに咲くガーベラを凝視する。
鮮やかな紅、愛らしさを感じさせる淡い薄桃色、目が覚めるような黄色。そのどれもが花弁を大きく広げて太陽の光を浴びている。
その生命力あふれる姿にスケッチしたい気持ちが芽生える。ああ、今すぐ絵を描きたい。どうして私はスケッチブックを持って来なかったのだろう。
後悔する気持ちが生まれるけど、すぐに切り替えてこの風景を目はもちろん、脳にも刻み付ける。帰ったらすぐに描くと決める。
そうして婚約者を待ちながらしばらく美しい庭園を見ていると、足音が聞こえて目を向け――立ち上がって挨拶する。
「ごきげんよう、フェリクス様」
「……エリーゼ、ようこそ」
紡がれる言葉に間があったことに気付いても何もなかったように微笑む。大丈夫、いつものことだ。
着席するように促されて再び音を立てずに席に着いて向かいに座る婚約者を見る。うん、今日も見事に発光……、いやキラキラと輝いている。
サラサラとした神秘的な雰囲気な白銀の髪、落ち着いた灰色の瞳、女性が好みような柔らかい顔立ち。
美しいという単語がぴったりの人物はフェリクス・ローギウス。ローギウス侯爵家の嫡男で、私──エリーゼ・リストンの婚約者だ。
年齢は三つ上の二十歳。王族である王太子殿下の友人で、知性の高い竜を使役する竜騎士として王宮に出仕している彼は、その容姿と才能、そして家柄から「完璧な竜騎士」と呼ばれ、令嬢たちに大人気だ。
「失礼します」
お互い着席すると侍女が紅茶と焼き菓子が置かれる。テーブルに置くとふわりと甘い香りがする。
そして用意が終わると侍女が一礼して離れていく。それを少し残念に思いながらもフェリクス様に微笑む。
「昨日は雨だったので不安だったのですが、晴れてよかったですね」
「そうだね」
一瞬で終わった。
低い声音の返答に身体が固まる。その低い声が彼のいつもの声で、機嫌が悪いわけではないと分かっていても、気まずいものは気まずい。
でも、そんな空気を無視して微笑んで次の話を展開する。
「フェリクス様は、昨日も訓練を?」
「ああ」
「それは大変でしたね。焼き菓子でもどうですか?」
侯爵家の侍女が用意してくれた焼き菓子をフェリクス様に近付ける。疲れていると思うから甘いお菓子でも食べて少しは休んでほしい。
しかし、そんな厚意は不要だったようで、灰色の瞳を細めると声を上げる。
「……いいや、いいよ。エリーゼが一人で食べたらいい」
「そうですか。分かりました」
変化しそうな微笑みを必死に維持する。
前言撤回。やっぱり雨だったらよかったのに。それなら今日のお茶会も中止になっていたかもしれないのに。
焼き菓子を私の方へ引き寄せる。あとから食べたいと言っても渡す気ない。
一つ取って口に含む。ふんわりとした食感にバターをたっぷりと使用した味わいに頬を緩んで気分が少しだけよくなる。
続いて別の焼き菓子に手を伸ばす。これもおいしい。おかげでまた頬を緩む。
侯爵家の使用人は優秀で、私の好きなお茶とお菓子を用意してくれていて素晴らしいと思う。
「おいしい?」
「はい、とても」
「それはよかった」
頷くとフェリクス様が小さく首を振ってお茶を口に含む。よかった、やっぱりほしいと言われなくて。
ふと、ほんのり温かいお茶に映る自分を見る。
薄茶色の髪に新緑の瞳。その色は、どこにでもある色合いだ。
自分の色合いを確認して、ちらりと目線を上げて向かいに座るフェリクス様を眺める。
灰色の瞳は理知的な印象を与える。そして、太陽の光に反射する白銀の髪はいつ見ても美しく、羨ましくなる。
「……どうしたの?」
「え」
「ずっと、こちらを見ているけど」
「い、いえ。何もありません」
灰色の瞳がこちらを見て急いで首を振って否定する。じっと見るつもりはなかったけど、見過ぎていたようだ。
フェリクス様から目を逸らして再び焼き菓子を口に含む。……おいしいけど、指摘されて少し居心地が悪い。
「…………」
「…………」
お互いに黙り込んでピチチ、と小鳥の囀る音が静寂な空間に響き渡る。……何か話題を。
会話が続かないお茶会ほど、息苦しさはないと思う。
なので必死に話題について考える。だけど──どうせ、という諦観の気持ちが宿ってしまう。
きっと、話題を見つけてもすぐ会話は終わってしまうだろう。もう、三年くらいずっとその状態なのだから。
お茶に映る自分を再度見る。
婚約を結んだのは四年前。そして、三年前から私たちは冷めきっている。
周囲の婚約者のように仲良くもない。一緒に外出もしない。月に一度のお茶会は殆ど会話がなくて居心地も悪い。夜会では義務的にエスコートとダンスをしてくれるけどそれだけ。……冷め切っているのは分かっている。
それなのに婚約関係は続いていて、時折溜め息が零れそうになる。
「――エリーゼ、明後日の夜会は参加するの?」
「? そうですが……」
溜め息を堪えていると向かいに座るフェリクス様から問いかけられる。なので不思議に思いながら肯定する。
明後日は父の友人が主催する夜会に出席する予定となっている。同じ夜会に参加する時は装飾品の色を合わせる必要があるので、参加が決まったらお互いに報告するようにしている。
「フェリクス様は確かお仕事で不参加でしたよね」
「ああ。……参加をとりやめる気はないの?」
まっすぐとこちらを見る灰色の瞳にきょとんとする。どうしてそんなことを聞くのだろう。
「何か不都合なことが?」
「……いや。ただ、エリーゼは夜会が好きじゃないだろう?」
「それは、そうですが……」
指摘されて言葉が詰まる。
確かに私は夜会が好きじゃない。煌びやかな会場は素敵だけど、可能ならずっと屋敷に籠って絵を描いていたいくらいだ。
でも、身体が弱いわけでもないのにずっと屋敷にいるのもよくないので少しくらいは夜会に参加しないといけない。
「夜会は行きますがダンスは踊らないので大丈夫です。それに、お姉様もいるので」
なのでフェリクス様が安心するように報告する。婚約者がいない夜会で兄弟や親戚以外の男性と一曲目を踊るのはご法度だからだ。
今回の夜会には親戚は参加しない。なので踊ることはない。
踊らないと報告すると、フェリクス様が小さく息を吐いて頷く。
「……そう、分かった」
「はい。……そろそろお暇させていただきます」
立ち上がるとフェリクス様が僅かに目を見開く。
「もうそんな時間? 見送るよ」
「いいえ、お疲れでしょうし大丈夫です。正門への道も分かっているので」
提案されるけどさりげなくそれを断る。雨の中で昨日は訓練をしていたのだから身体を休めてほしい。
そうしていつも通り、冷え切ったお茶会は終了し、フェリクス様に一礼して侯爵家の正門の方向へ歩き出した。
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