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 いや、ネルロは実在します……そう言いたいリザイデンツ、だけど実在と言っていいのか迷う。


 キャティーレが面倒そうに前髪を掻き上げて言った。

「前髪がうざったい。明日、理髪師を呼んで、ネルロの髪を切らせておけ」

「畏まりました」

夢に出てきたとは言ったが、は認識しているらしい。


 夜中に理髪師は来てくれない。キャティーレの髪はリザイデンツが切っていることになっている。巧いもんだと褒められるたび、後ろめたくなるが仕方ない。


 もっとも、キャティーレの髪をセットするのはリザイデンツの役目だ。面倒臭がりのキャティーレが自分でするはずもない。そしてネルロはブラッシング程度しかしない。だから同じ髪型だと、今のところ誰にも気づかれていない。


「いつも通り、スタイルはネルロ任せでよろしいのですね?」

「フン! そんな面倒事を引き受けるためにアイツは居るんだ。ま、ヤツのことだからどうせ理髪師任せだろうが」

散髪も面倒事なのですね? って言うか、理髪師任せなら面倒でもないのでは?


 キャティーレとネルロの好みは同じ、以前は服も共有していた。もちろんサイズは同じなのだし、見た目も髪の色以外は同じ、キャティーレに似合えばネルロにも似合う。だが、ある領民に『キャティーレさまのお下がりですか?』と言われてから、ネルロは自分の服を欲しがるようになった。まぁ、十歳を少し過ぎたくらい、個性を気にし始める年頃でもあった。


 だからキャティーレの寝室にはキャティーレ用とネルロ用、二つのクローゼットがある。時どきキャティーレがネルロのクローゼットの中を見ているが、ざっと見渡して『これはもう古い。捨てて新しいのを買ってやれ』と言ったりする。かと思うと、『またアイツ、服を新しくしたのか』なんて怒ったりする。


 キャティーレの服を新調する時は屋敷にテーラー仕立屋を呼ぶが、こちらは夜でも来てくれる。キャティーレさまはお忙しい、と言えばテーラーは納得した。子どもの頃は忙しいとも言えなかった。ネルロの服を頼む時に侯爵夫人がスタイルブックを見て『キャティーレにはこれが似合いそう』と注文していた。家庭教師が来て勉強中だと言えば怪しまれることもなかった。サイズは『ネルロと同じでいい』で済んだ。


 成人してからも時おり、採寸中にテーラーが『今もお二人はまるきり同じサイズですね』とこっそりリザイデンツに言うが、従兄弟だから体型も似るんだろうと答えている。


「夢の中で喧嘩でもなさって、それでネルロを嫌うのですか?」

リザイデンツが話を戻す。するとチラッとキャティーレがリザイデンツを見た。


「ネルロが誰かと喧嘩したのか?」

「そうではありません。なぜお二人は仲が悪いかお尋ねしたところ、ネルロさまが夢に出てきたと仰ったので、夢の中で喧嘩なさったのかと思ったのです」

「ふぅん……二人は仲違いしてるんだ?」

なんで他人事なんだよっ!? イラつくが、怒るわけにもいかないリザイデンツだ。


「わたしにそのつもりはない」

キャティーレがカウチに横たわって言った。かったるそうな仕草、まだ眠いのかもしれない。

「子どもの頃、夢に出てくるネルロはわたしの慰めだった」


「慰め?」

「そっと抱き締めて頭を撫でてくれる。それだけで、不安が解消された。そんな夢しか見なかった」

「子どもの頃と仰るってことは、今はそんな夢は見ないと?」

「最近は、ネルロが出てくる夢にはわたし自身が出てこない。そうなったのは、十を過ぎたころだったんじゃないかな」


「ご自身が出てこない夢ですか……」

「うん、あれはきっと夢じゃない。ネルロが実際体験していることだ。最初は気付かなかった。リザイデンツの話から、そうなのだなと判った」


「それは……ネルロが覚醒している間、キャティーレさまの意識もはっきりしているということでしょうか?」

するとキャティーレがジロリとリザイデンツを見た。


「何を聞いている? わたしは眠っているんだ。意識がはっきりしてるはずがない」

うーん……微妙だ。だが、そう言うことならキャティーレが知っているネルロの行動が途切れ途切れだったり、曖昧なのも頷ける。


 ネルロにも同じことを訊いてみようか? だがキャティーレと違い、ネルロはキャティーレの名を聞いただけで不機嫌になる。下手なことを訊けば怒って癇癪を起こすだろう。


 黙り込んだリザイデンツ、カウチでボーっとしていたキャティーレがポツリと言った。

「アイツ、わたしを嫌っているのか?」

少しばかり不安そうだ。


「えぇ、まぁ……その、なんと申しましょうか、キャティーレさまを話題になさることはありません」

チラリとリザイデンツを見てキャティーレが苦笑する。

「遠慮しなくていい。おまえの様子で判る――口籠るほどわたしを嫌っているってことだな。名を訊くのも忌々しいと言ったところか?」

キャティーレの鋭さに、何も言えないリザイデンツだ。そして、やはりキャティーレに消えて貰っては困ると思う。


 キャティーレが爵位を継ぎ領主となれば、ますますドルクルト侯爵家は繁栄し、領民は豊かに暮らしていけるようになる。そう感じていた。


 ネルロではダメと言うことではない。ネルロも領民に慕われている。信頼され頼りにされている。状況を的確に判断し、適正な対処法を考え出し、無理のない指示を出す。領内の農産・酪農の安定にネルロが貢献していることは無視できない。もしもネルロが爵位と領地を受け継いだとしても、今と変わらぬ安定が続くだろう。


 では、なぜそんなネルロではなくキャティーレにとリザイデンツは思うのか? それはキャティーレの森への考え方にあった。今、キャティーレは森の開墾を考えている。領民に命じて伐採させ、跡地を畑や牧草地にする。畑や牧草地は収入に直結するものだ。開墾地は領民に与える気でいる。


 だが、それをネルロが反対する。森に手をつければ均衡が崩れ、いずれしっぺ返しが来るというのがその理由だ。この問題については、夜間にしか動けないキャティーレよりもネルロの方が有利、この計画はなかなか進捗を見ない。


 キャティーレはまだ爵位も領地も正式には受け継いでいない。正式な侯爵となり領主となれば、領主令を発令することだってできる。そうなればネルロも逆らえない。領主の命令書があるとリザイデンツが領民を動かすことが可能になる。その時がくるをリザイデンツは待っていた。だがそれは、敬愛する侯爵の死を待っていると同義、複雑なリザイデンツだ。


『強大な魔獣は我が領内の森からいなくなった。それを生かさない手はない』

新規開拓の考えがあるとリザイデンツに初めて打ち明けた時、キャティーレが言った。


 前侯爵ととリザイデンツの父親が命を懸けて守った森を、どうして放っておけるんだ?――そう言われた気がしたリザイデンツだった。

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