33
キャティーレとリザイデンツが退出するのを待って、ナミレチカが溜息を吐いた。
「言い訳が巧いのにも困りものですよ、ジュリモネアさま」
どうやらキャティーレの『面倒と言ったのは部屋への出入り』を、言い訳だと思っているらしい。
「あら、どうして? さっきのはきっと言い訳じゃないし、もし言い訳だとしても、わたしを傷つけないのためのものだわ」
「そんなこと仰って……もし浮気して言い訳を並べ立てられても、同じことを言ってられるんですか?」
「傷つけたくないなら浮気しなきゃいいんだわ」
「でしょう? 言い訳なんてダメです」
「ナミレチカ、わたしが傷つくって判ってたら、キャティーレさまは浮気なんかしないわ」
「ジュリモネアさま!」
ナミレチカが言い募ろうとする。が、後ろにいたエングニスがそっとナミレチカの肩に手を置いた。ハッとしたナミレチカ、振り向くがエングニスはソッポを向いているし、もちろん肩に置かれた手もすでにない。
「そうね、こんなこと、言ったらダメよね」
ボソッと呟いて、ナミレチカが黙った。
ジュリモネアはと見てみると、マーマレードの瓶を眺めてニマニマしている。ナミレチカが自分を見ているのに気付くと
「またプレゼント、貰っちゃった」
と嬉しそうだ。
「ドルクルト侯爵家は裕福と聞いています。どうせなら、もっと高価なプレゼントをくださってもいいんじゃないでしょうか?」
ナミレチカは不満そうだ。
「なに言ってるのよ、ナミレチカ。これ、キャティーレさまの手作りなのよ? それにあの花束、キャティーレさまが自分で束ねてくれたものよ」
「マーマレードはともかく、なんで花束を作ったのがキャティーレさまだと判るんですか?」
「あの時、キャティーレさまの手、傷だらけだったの。わたし、うっかり傷に触っちゃったのね。だから落っことしちゃったんだわ」
「そうだったんですか?」
「きっとね……傷だらけなのは、この目で見たから確かよ」
それでもナミレチカは納得できないらしい。
「つまり、ジュリモネアさまにお金をかける気はないってことですね」
だけどジュリモネアは意に介さない。
「お金を掛ければいいってもんじゃないわよ? これがさ、召使に作らせたとかって言うならナミレチカの言う通りかもしれないけどね。キャティーレさまが作ったってことに価値があるの」
「そんなこと言って……もし婚約指輪が、そのあたりの花を編んだ物だったりしても許せるんですか?」
「お花はダメね、枯れちゃうから。永遠の愛を誓うのには
「ジュリモネアさまって欲がないって言うか、なんて言うか……」
「だって、指輪なんかどうでもいいのよ。欲しけりゃ自分で選んで買うか、買って貰うかするわ」
「それじゃあジュリモネアさまは、婚約指輪も結婚指輪も要らないんですか?」
うふふ、と笑ったジュリモネアがニヤッとナミレチカを見る。
「判ってないなぁ……物はしょせん物なのよ。肝心なのは、どんな思いが込められているか。わたしはそう思うわよ」
「物は物ってのは判ります。だから要らないって言うなら、貰ったらわたしにください。売って何かの足しにしろって、実家に送りますから」
「あら、それはダメよ。思いが込められているものを手放せるわけないじゃない」
「なんだ……やっぱり欲しいんですね」
「あのね、ナミレチカ」
いつになくジュリモネアが真剣な顔でナミレチカを見た。
「ナミレチカは高価な指輪をくれる人と結婚したいの? まぁ、そりゃあ、指輪も買えないほど貧乏な人よりも、高価な指輪を買える人のほうが結婚後の生活は楽かもしれない。だけどわたしはお金持ちかどうかより、わたしを好きでいてくれる人と結婚したいわ」
「では、キャティーレさまとのご婚約は破棄されるのですね? お金持ちなのに安っぽいプレゼントしかくれないなんて、キャティーレさまはジュリモネアさまをお好きじゃないとしか思えませんよ」
「そうなのかしら?」
「だってそうでしょう? ジュリモネアさまの気を引きたいなら、もっと高価なものをくださるはずだわ」
どうやらナミレチカはかなり悔しかったらしい。見ると涙ぐんでいる。気が引けたのか、ジュリモネアがそれを見て、
「泣かないで、ナミレチカ」
と優しい声で言った。
「ナミレチカがわたしを心配してくれてるのは判っているのよ。キャティーレさまがわたしを大切にしてくれるのか、それが不安なのでしょう?――ナミレチカもキャティーレさまが、花束もマーマレードも無言で差し出したのを見ていたでしょ? あのかたはきっと照れ屋で不器用、具合はどうだって訊きたくても訊けなかった。自分が作ったマーマレードを食べてくれたら嬉しいって言いたくても言えなかったの。だけどね、それってわたしを好きじゃなきゃ思わないことだわ」
「本当にそんなこと思ってたんでしょうか? わたしには面倒がっているようにしか見えませんでしたが?」
ナミレチカのこの意見には、ジュリモネアも少し考えるような素振りを見せた。キャティーレが面倒臭がりなのは間違いなさそうだ。
「ま、まだ決めなくたっていいでしょ? どっちにしろプロポーズしてくれなきゃ結婚しないもん」
マーマレードの小瓶を見ながらジュリモネアがほんのり笑む。またそれですか、とナミレチカが呆れる。
「約束した相手はキャティーレさまではないのでしょう? だったら、そこに拘らなくてもいいのでは?」
「そうね、誰とした約束かなんて判らない。でもいいの。わたしがそう決めてるんだから――それよりナミレチカ、紅茶を淹れて。マーマレードの味見をしましょ」
控室のミニキッチンでお湯を沸かそうと振り返ったナミレチカ、後ろに立っていたエングニスと目が合ったが、エングニスはさっと目を逸らした。エングニスの目は悲し気だった――
自室に戻るのかと思っていたら、キャティーレが向かったのは『夕焼けの小部屋』と名付けられた部屋だった。ジュリモネアを迎えての晩餐に使った部屋、昼間ネルロが本をドアに投げつけたあの部屋だ。
部屋に入るなりキャティーレが振り返り、
「わたしの本は?」
とリザイデンツに訊いた。
「あぁ、置き去りになさっていた本ですね――お預かりしております」
ネルロがぶん投げたとは言えない。
「そう、ならいいや。片付けるのを忘れてた。ネルロに見付かったら本を八つ裂きにされるところだった」
「そのう……差し出がましいことを窺いますが、なぜそんなにキャティーレさまとネルロさまは仲がお悪いのでしょう?」
リザイデンツが恐る恐る聞いた。二人は互いの存在は知っているはずだが、実際に会ったことはない。会えるはずもない。何が原因で互いを嫌うのだろう?
「さあ? ネルロに会ったことはない。もちろん話をしたこともない」
「でも、どんなかたかはご存知ですよね?」
「ふむ……」
面倒そうにカウチに座ると、やっぱり面倒そうにリザイデンツを見上げ、もっと面倒そうにキャティーレが言った。
「子どものころからわたしの夢に出てくる、それがネルロだ」
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