35
メイドのマリネがジュリモネアを迎えに来たのは思ったよりも早い時刻だった。
「先日と同じお部屋でキャティーレさまがお待ちです――ナミレチカさまとエングニスさまの分はお持ちいたしました」
マリネはワゴンを押してきていた。応対に出たエングニスがワゴンを受け取りドアを閉める。次にドアが開いた時、出てきたのはジュリモネアだった。
「参りましょう」
マリネが何か言う前に出てきて、ずんずん歩いて行ってしまう。先導するはずだったのに、後を追うのはマリネになった。しかもジュリモネア、けっこう足が速い。
「あの、お嬢さま……?」
遠慮がちに声をかけるマリネ、するとジュリモネア、
「なぁに? 急いでるの、あとじゃダメ?」
後ろを見もせずに答える。
早くキャティーレさまに会いたいんだわ……ほっこりするマリネ、ところが
「やっぱりお菓子じゃダメね。もう、お腹がぺこぺこ」
ジュリモネアの呟きにがっかりすると同時に、込み上げる笑いを噛み殺す。。
「いい匂いがしてたけど、ビーフシチューかなにか?」
前を向いて早足で歩きながらジュリモネアが尋ねる。
「そうでございますよ、お嬢さま」
「キャティーレさまの好物?」
「はい。たくさんございますから、思う存分召し上がってくださいませ」
「他には何があるの?」
「エビとブロッコリーの卵サラダ、焼き野菜の盛り合わせ、茹でアスパラとトマトのクリームチーズ和え、などでございます――お嬢さまは、マッシュルームはお好きでございますか? 今日のビーフシチューに入っているんですが」
「えぇ、結構好きかも。わたし、嫌いな食べ物ってないかもしれない」
「それはようございました……ネルロさまはマッシュルームがお嫌いで、入らないようにしてるんです。苦手なものがございましたら、遠慮なく仰ってくださいませ」
と、急にジュリモネアの足が止まり、危うくマリネがぶつかりそうになる。
「ひょっとして、ネルロも一緒なの?」
「一緒と申しますと、ご夕食に、ですか?」
「うん、キャティーレとネルロの三人で摂るのかしら?」
「いいえ、キャティーレさまとお嬢さま、お二人でございますよ」
「あら、そう……今度ネルロとも一緒に食事がしたいわ。キャティーレさまと三人でならいいでしょう?」
「わたしからはなんとも……でも、難しいのではと存じます。キャティーレさまとネルロさまがご一緒に食事なさることはございませんし」
「あら、どうして? 従兄弟だって聞いてるけど? ネルロもこのお屋敷に住んでいるんでしょう?」
「はい、ネルロさまはキャティーレさまのお従弟、でも、お二人は生活パターンが全く違っているんです。マリネが存じ上げる限り、お食事はおろか、お茶すらご一緒に召しあがったことがございません」
「生活パターン?」
「えぇ、簡単に申し上げますと、キャティーレさまは完全な夜型、反対にネルロさまは夜にはお部屋に籠ってしまわれます」
「早寝早起き?」
「どうなのでしょう? 何しろネルロさまのお部屋は魔法の研究をなさっているとかで入室禁止、お掃除さえもリザイデンツがしております。本とベッドしかないから大した手間ではないと、リザイデンツが申しておりました」
「あぁ、ネルロは魔法使いだったわね」
と、ジュリモネアのお腹がギュウと鳴る。
「こうしてる場合じゃなかったわ」
クルリと前に向き直り、すたすた歩き始めたジュリモネア、マリネが追いながら
「ネルロさまとお知り合いなのですか?」
と尋ねる。
「えぇ、ベッタン村で会ったし、コンチク村の牧草地でわたしを見つけてくれたのはネルロよ」
「ベッタン村? コンチク村? どこですか、それ?」
「何よ、マリネ。領主さまのお屋敷でお仕えしてるなら、領内の地理くらい知ってなくっちゃ駄目じゃないの」
「あ、はい。申し訳ありません――あっ! お嬢さま、そこは曲がらず真っ直ぐお進みくださいませ」
釈然としないマリネ、だが口答えもできない。
そうこうするうちに夕焼けの小部屋についた。ドアの前で立ち止まるジュリモネア、慌ててマリネが前に回りドアを開け
「ジュリモネアさまがおいでです」
と室内に告げてから大きくドアを開け、中に入ると横を向いて深々と頭を下げた。
キャティーレの時は二人だった……とジュリモネアが思う。
でもまぁ、わたしはまだただのお客だもん、差をつけられるのは当り前よ。あ、でも、いい匂い。ますますお腹が空いてきたわ。
座っていたキャティーレが立ち上がる。控えていたリザイデンツがキャティーレの対面の椅子を引く。ジュリモネアが微笑んでキャティーレに会釈し、リザイデンツが引いてくれた椅子に腰を下ろすとキャティーレも座り直した――
夕食が遅かったのもあり、翌日は昼近くまで寝ていたジュリモネアだ。朝食はどうするのかナミレチカに訊かれ、
「お昼と一緒でいいわ。って二食いっぺんに食べるって意味じゃないわよ」
と答えている。
「お腹空いたんじゃない? ナミレチカは早くから起きてたんでしょう?」
「お気遣いありがとうございます。実はこっそりサンドイッチをいただきました――エングニスが厨房で貰ってきてくれたんです」
「まぁ!」
ニコニコ顔のジュリモネア、
「昨夜は二人で食べたんでしょう? どんなお話をしたの?」
揶揄いも含めて訊くが
「いいえ、それが……エングニスったら自分の分を持って寝室に行ってしまって。仕方ないのでわたし、控室でいただきました」
ちょっと拗ねたように答えるナミレチカだ。
エングニスの遠慮し過ぎにも困ったものね、と呟くジュリモネア、
「キャティーレさまはどんなご様子でしたか?」
ナミレチカに訊かれてニンマリ笑う。
「ごく普通よ。わたしが部屋に入ったら、立ち上がって出迎えてくれたわ。相変わらず口数は少ないけど、わたしが質問すると返事はしてくれたし」
「どんな質問をなさったのですか?」
「食事中だからね、食べ物の話よ。好きな食べ物を聞いたら困ってたから、わたしが一つ一つ言ってみたら、好き、嫌い、って答えてくれたわ」
「あ……それはようございました」
ジュリモネアの機嫌の良さから、てっきり話が弾んだのだと思っていた。でもどうやらそうでもないらしい。が、わざわざ水を差すようなことはしないナミレチカだ。
「キャティーレさまはね、どうやら果物がお好きみたい。コンポートもお好きで、ピーチとリンゴは毎年を作ってるらしいわ。季節が終わってから、それを食べるのが楽しみなんですって」
「あら、思ったよりもキャティーレさま、いろいろお話しくださったんですね」
「キャティーレが言ったのは好きか嫌いかだけ。理由とかはリザイデンツから聞いたの」
なるほど納得。
「コンポートもキャティーレさまがお作りに?」
「マーマレードを思い出して、そう思っちゃうよね。わたしも気になって聞いてみたけど、コンポートはドルクルト侯爵領の特産品なんですって――最初はリンゴだけだったみたいよ。五年前、リンゴが大豊作で、キャティーレさまが侯爵さまに提言なさったんですって。一昨年から他領にも売り捌いてるとかでスイスイトンのリンゴのコンポートって、聞いたことないかってリザイデンツに訊かれたわ」
「あぁ、スイスイトン! 聞いたことあります。姉が美味しいって言ってました」
ナミレチカが嬉しそうにそう言った。
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