時は動き出す
窓から差す西日の下、重ねた掌の温かさを楽しみながら、俺はひとつの提案を思いついた。
山積みのギモーヴを前に、目を細めつつ言ってみる。
「こいつら、功のあった市民に配ってみるのはどうだろうか。『不死鳥王様の大好物』って触れ込みで」
「良案だな。私としても、疫病と戦ってくれた医師や看護者たち、身命を賭してくれた兵士たちには報いたい」
「よろしいのですか?」
控えていたジャックが、不意に口を挟んできた。
「なんだ、異論があるのか?」
「いえ、良いことだとは私も思うのですが……殿下がギモーヴをお好きなこと、広く公表してしまってよろしいのですか?」
「どこに問題があるのか、私にはわからないが」
エティエンヌが首を傾げれば、ジャックは視線を泳がせながらうつむいた。
「その……ギモーヴを召し上がるおふたりが、あまりにも仲睦まじいご様子ですので」
少し驚いた後、俺は大笑いした。
それほどまでに、俺たちは余人が立ち入れない雰囲気を出していたのか。だが問題はない。
「分けたところで、俺たちの愉しみが減るもんじゃねえしな。それに――」
頭の中、菓子が次々に浮かんでくる。アップルパイ、林檎のコンポート、タルト……冬にかけて林檎の供給は増える。林檎ひとつあれば、作れる菓子はたくさんある。
そして、季節が変われば食材も変わる。作れるものはさらに増える。
「――いちばんの好物がギモーヴだと、まだ決まったわけじゃねえしな」
「ギモーヴよりも美味しいものが、この世にあるのか」
「さあな、それはあんたの好み次第だ。だが、食べてみなきゃ口に合うかもわからねえ」
心中、俺はつぶやく。
――さあ、どんどん作ってやるぜ。あんたが食べたことのない菓子を、料理を。
――一緒に食おうぜ。広く市民に喜ばれるのも嬉しいが、あんたとの食事は格別だ。マナがあろうがなかろうが。
――俺の寿命が尽きるまでに、何度の食事を作れるかはわからねえ。だが一食でも多く、あんたのために作りたい。
「この世にはたくさん、あんたの知らねえ美味がある。できるかぎりは作ってやるから、だから――」
重ねた手に、少しばかり力を籠める。
「俺より先に、逝くんじゃねえぞ。料理人には食べさせる相手が要るんだよ」
「ならば、私からも」
エティエンヌが薄く笑った。やわらかな陽光の中、整った目鼻立ちがくっきりと陰影を描いている。
「別れの時は、なるべく先延ばしにしてくれ。できればあなたを見送りたくはない」
「そればっかりは、冥王様の機嫌次第だからなんとも言えねえが――」
俺も、笑いを返す。
「できうるかぎりは踏みとどまってやるぜ。残りの時間は使えるかぎり使ってやる」
姿見の中、茶髪に混じる白い筋が、いやにきらきらと光っている。
動き始めた時の中、自然の摂理に抗う術はない。だが、定められた刻限の中でできることをやる――人間は、本来そういうものだ。
守り育てていくべき若人。肩を預け合う相棒。飯をうまそうに食ってくれる友人。人間にとって、他に何が必要だというのか。
もういちど、掌に力を籠める。
エティエンヌ・ド・ヴァロワ、この手はおまえのためのものだ。好きなだけ使い倒せ。いつかこの手が干からび、皺だらけになったとしても。
そして、言いたいことはもうひとつある。あえて口には出さないが。
見たいんだよ。
俺が王と選んだ男が、本物の「王」になるところを。
金色に輝く髪の上に、本物の「王冠」が載るところを。
貧民あがりの料理人じゃなく、黄金と宝玉で造られた煌びやかな細工物が、身を飾るところを。
そして王の口から、あまたの勅令が発せられるところを。発せられた言葉が、この国を覆う冷たい支配を解き放っていくところを。止まっていた時が、動き始めるところを。
目を閉じれば浮かんでくる。城の広間に集う貴族たち、将軍たち。満場の視線を一身に集める、高貴なガウン姿の「不死鳥王」。
聖教会の司教が、ゆっくりと黄金の冠を載せる。一筋の乱れもなく整えられた、金色の髪の上に。
微笑みと共に絨毯を歩く、新たなる王。城門を出れば、迎えるは万雷の拍手と歓喜の声、祝福の頌歌――
「何を考えている」
不意の声に、思考が引き戻された。空想の中で冠を戴いていた顔が、目の前で笑っている。
「なんでもねえよ」
「そうか。なにやら、とても幸せそうだったが」
幸せ、か。そういえば、かつては思いもしなかった。山の外に幸せがあるなどとは。
いちど「死んだ」あの日、人の世に在るのは、ただ苦しみと悔いばかりと思っていた。だからこそ仮の名を「
今も悔いは消えてはいない。だが、償う道もあるのだとは知った。前途ある若人に己が力を捧げたいと、その結果をできるかぎり見届けたいと、いまは確かに願っている。
きっとそれこそが、我が身に残された「幸せ」なのだ――
無言で笑えば、エティエンヌは少し寂しそうな笑みを返した。
「それほどに楽しいことなら、せめて話は聞きたかった」
「心配ねえよ。いずれわかる」
「……ならば」
笑みから寂寥の色が消えた。ふたたび、手が強く握られる。
「その時は、共に楽しもう。手を繋ぎ、並び立って」
俺は思わず、声を上げて笑った。
――戴冠の王と並び立つ、か。
空想の景色に自分を描き加える。面映ゆいが、望まれるなら一緒に行こう。勝利を約す神の一皿と共に。
不死鳥王の戴冠に、治世に、立ち会えるのならば。不老の身など、捨てたところで何も惜しくない。
今はただ願う。来たるべき時まで、この身が持ちこたえることを。
【完】
-----
以上にて本作は完結です。
ルネ(アメール)とエティエンヌの旅路を最後まで見届けていただき、心より感謝いたします。
本作は、カクヨムコン10ライト文芸部門に参加中です。
どこかしらお気に召しましたら、★・レビューコメント等でご支援いただけますと大変うれしいです。
最後にひとつ宣伝を。
現在、ライト文芸部門向けにもう1作の連載をしております。
「双子妖狐の珈琲処 ~珈琲、ケーキ、タロット、ときどき恋心~」
https://kakuyomu.jp/works/16818093090947588774
本作とは大きく傾向が異なりますが(現代ファンタジー・あやかし・男女恋愛もの)相変わらずご飯要素もありますので、もしよろしければ、覗いてみていただければとても幸いです。
あらためまして。
この物語を最後まで見届けてくださり、ありがとうございました!!
【新版】神の一皿は勝利を約す 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます