7章 王者讃頌
王と王冠
王都包囲戦にて、ヴァロワ王家軍が貴族連合に勝利をおさめてから、一ヶ月ほどが経った。
季節は冬に向かっていた。ブリアンティス平原の沃野には麦が蒔かれ、春の芽吹きへ向けて地中で眠っている。王都の整備計画も再開され、今は第三区画が集中工事に入っている。冷え込みが厳しくなる前に、可能なかぎり修復を進めようと、役人も人足も共に力を尽くしている。現場には、病から回復したエティエンヌも時折姿を現し、働く者たちを労っていた。
貴族連合の勢力は大きく減じていた。支配地域はいまや、フレリエール北西部にわずかに残るだけになっている。最後の追討作戦は近日中に、西海岸の同盟諸侯と共同で行われる予定だ。作戦には、ヴァロワ王家古参の諸将を多数招集するとエティエンヌから聞かされた。
「そいつらで大丈夫かよ?」
非協力的な従来の態度を思い出し、俺は首を傾げた。
「最後くらいは花を持たせなければ、論功行賞が困難なのだ。彼らは王都で目立った活躍がなかった。だが古参の将を蔑ろにもできない。だからせめて、残敵追討で帳尻を合わせねばならない。彼らも立場は理解しているだろう、相応の奮戦はしてくれるはずだ」
「そういうものなのかね」
政治なるものは、とかく面倒そうだ。俺は、それ以上首を突っ込まないことにした。
街で必要な食材を買い込む。包囲が解かれた後は、市場にも多くの品が並ぶようになった。かつて俺が「死ぬ」前に暮らした、古い王都の賑わいが戻ってきている。
だが、すべてが古いままではない。
青果店で籠いっぱいに果物を買い込むと、店主のご婦人が満面の笑みで訊いてきた。
「『不死鳥王』様の御用達ですの?」
苦笑いしながら頷く。エティエンヌはまだ戴冠していない。派手な典礼は事態が落ち着くまで控えたい、との意向から、立場は依然王子のままだ。だが既に、王としての二つ名が市中に広まっている。「不死鳥王」――いちど死んで蘇った経緯と、大いなる
ともあれ、ご婦人は目尻を下げて頷くと、赤味が鮮やかな林檎をひとつおまけしてくれた。
作った菓子を手に自室へ戻ると、エティエンヌが椅子でくつろいでいた。机に置かれたポットの茶は、横に控えるジャックが淹れたのだろう。カミツレの甘い香りがかすかに漂っている。
「呼びに行く手間が省けたぜ。ほれ、ギモーヴだ」
「本当に気に入ったんだな、そいつ。今回はオレンジと林檎で作ってみた、好きなだけ食え」
市中の敬意を集める不死鳥王様も、こうしていると子供のようだ。机の向かいから、軽く頬杖をつきつつ眺める。やわらかな笑顔が、甘味を口にしてさらに蕩けていく様子は、いくら見ていても飽きない。
ふと見ると、机の端に髪の毛が落ちている。少しばかり違和感があった。癖毛は俺の髪のはずだが、色がない。茶色はどこいった――と考えかけて、俺はひとつの可能性に思い当たった。
部屋の端、姿見の前に立ってみる。
「やはりな」
前髪に幾筋か、白いものが混じっていた。
霊山を離れて数か月経つ。もともと俺の身体は、霊山の豊かなマナを毎日摂ることで若返っていた。山から離れた今、人並の老いが戻りつつあるらしい。
覗きに来たエティエンヌも、状況を飲み込んだ様子だ。彼は俺の正体を知っている。この先に何が待つのかを、持ち前の聡明さで察したのだろう。
彼は少し考え込んだ後、俺の肩に手を置いた。
「アメール、霊山に戻れ。いままでよく働いてくれた」
湧いたかすかな胸の痛みに、俺は自ら驚いた。
「それで、あんたは大丈夫なのかよ」
「『神の料理人』の力、惜しくないと言えば嘘になるが……王都回復が成った今、これ以上頼りきるわけにもいかない。それに――」
一度言葉を切り、エティエンヌは窓の方を見遣った。
「――今は知っている。王の権威は『王冠』によって得るものではない。民の信頼によって託されるものだと、な。王冠がなくとも私は王となる。あなたの平穏と安息を、奪わずともよいのだ」
ほう、と、溜息が出た。
エティエンヌもずいぶん変わったものだと、俺は感嘆した。なにもかも「神の料理人」に頼りきりだった、悪評だらけの王子様と同じ人物とは思えない。
だとすれば俺、すなわち「王冠」のなすべき使命――貶められた「王」の泥を払い、磨き上げて、まばゆく輝かせること――は、既に果たされた。その意味では確かに、「王冠」はもう不要なのかもしれない。
だが俺の側にも、言いたいことがある。
「ほう、そうか。じゃあ、ギモーヴはもういらねえんだな?」
心底驚いた風に目を丸くするのが、可愛い。
「なんで驚く。俺がいなくなるってことは、そういうことだぞ」
「い、いや。しかし。それは――」
顔を真っ赤にする王子、いや不死鳥王様の肩を、俺は笑いながら叩いた。
王冠の使命は果たされた。だが料理人の使命は終わっていない。己が料理を、菓子を、欲しがる相手に作ってやること、美味い食べ物で笑顔にしてやること――それはどこまでも続くのだ、料理を欲する相手がいるかぎり。これに関してだけは、俺がエティエンヌに最初の魔法料理を供した日から、なにも変わっていない。
そしてもうひとつ、他の理由もある。
「あんた、やっぱり青いぜ。そんだけ青けりゃ、これから先、手に余ることも色々出てくんだろ」
叩くのをやめ、肉の薄い肩をゆっくりと撫でる。
「あんたに何かあった時、俺が側にいなかったら……あんたの苦しみに気付かねえまま、山でのうのうと暮らしてたとしたら。間違いねえ、俺は悔やむだろうよ。一生の間、ずっと」
冗談めかして俺は笑った。
だが、口にした言葉は真剣なものだ。霊山に逃げ込んで以降、いや、自分の所業に気付いてからずっと、俺は尽きない悔いの中で生きてきた。だから知っている。大きな悔いをいちど抱えれば、逃れることは二度とできないのだと。霊山の大いなる自然の中で、十数年平穏に生き続けてさえも。
だから謹んで返上する。悔いの重荷を、さらに積み増す未来など。
「あんた、俺にこれ以上しょい込ませるつもりか。死ぬまで続く後悔を」
「……では」
エティエンヌの声音が、心なしか明るい。
「ついてってやるよ、ついていけるかぎりはな。この身体が、どこまで持つかはわからねえがな」
エティエンヌの手が、俺の右手を上から包んだ。握り締めてくる掌に、俺はさらに左手を被せた。
掌が三つ、重なる。
「悔いに圧し潰されながら、永らえたくはねえんだよ。もう絶対に、な」
窓の外から、やわらかな西日が差し込んでくる。あたたかな光が机を照らし、宝石のようなギモーヴの山を、静かに輝かせていた。
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