火曜日の2限目


 あの人―― 高良たから先生に初めて会ったのは、高校2年の4月。古典の授業だった。


 高良先生は、私のクラスの古典と現代文の授業を担当している。私のクラスは文系なので、毎日必ず古典か現代文がある。月曜日と木曜日に限っては、古典と現代文のどちらもある。


 火曜日の今日は、2限に古典の授業がある。1限が終わった後、トイレに向かうと、同じクラスの山口さん、尾花さん、伊藤さんが鏡の前を占領していた。この3人は古典と現文の前の休み時間には、必ずここで前髪の手入れをする。そして、入り待ちのために5分前には教室に戻る。


 2限が始まるまで、あと3分。教室へ戻る途中で、廊下を歩いている高良先生の後ろ姿を見つけた。もう夏服移行期間は終わったのに、相変わらず長袖のワイシャツを着ている。


「せんせぇ~おはよぉ~」


 教室の前で待ち構えていた山口さんたちが、鼻にかかったような声を上げた。友達みたいに高良先生に手を振る。


「おはようございます、だろ」


 女子生徒から好意を向けられても、高良先生はいつも素っ気ない。呆れたように言葉遣いをたしなめる。


「君たちはいつになったら敬語を使うんだ?」


「センセーこそいつになったらウチらの名前覚えんの?」


「そうだよ。キミとかそこの女子とかで誤魔化してんのバレバレだから」


「何言ってるんだ。ちゃんと覚えてるぞ。右から、佐藤、鈴木、高橋」


「全然違うし」


「多い苗字トップ3で成功率上げようとしてんのセコ」


「あ。キミ、瀬古だっけ?」


「伊藤だよ」


「佐藤って惜しかったんじゃねぇか」


「名前に惜しいとかないから。間違いは間違いだから」


「ごちゃごちゃ言ってねぇで授業の準備しろ。現代語訳、指名するぞ」


「わー逃げろー!」


 きゃっきゃと騒ぎながら教室に入っていく山口さんたちは、3人とも頬が紅潮している。私は教室に向かって歩きながら、それをぼんやりと眺めていた。そのとき、


矢野やの


 高良先生が、こちらを向いた。急に目が合って、名前を呼ばれて、心臓が飛び跳ねる。


「早く席に着け。授業始めるぞ」


 私に返事する間も与えず、高良先生は教室に入っていく。一度飛び跳ねた心臓は、なかなか落ち着いてくれない。私は胸のあたりをきゅっと握った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る