若い先生らしからぬ


「おーい黒板消えてないぞー。誰だ日直? 君か?」


「俺じゃねぇっすよ!」


「誰でもいいから早く消せー。開始遅れてもきっちり50分授業するからなー」


 えー!? というブーイングを受けながらも、高良先生は平然としている。日直の下田しもだくんが慌てて黒板を消し始める。私は騒ぎに紛れて後ろのドアから教室に入り、自席に着いた。


「先生! 次、体育なんで延長したらやばいです!」


「そうそう! 着替え間に合いません!」


「黒板消してないのが悪い。言っておくが、これは日直だけの責任じゃないぞ。黒板が消えていないことを日直に教えなかった、全員の責任だ。よって、きっちり50分やる」


 若い先生は往々にして、多数決に弱い。学級内で権力のある(つまり陽キャ)数名に懇願されたり、その場にいる生徒の7割が同意見だったりすると、よく言えば生徒の意見を尊重、悪く言えば圧力に屈することが多い。高良先生は27歳だから若い先生のうちに入るが、そんなに甘くない。この間は、生徒が授業中にいじっていたスマホを没収していた。しかも、授業が終わっても返してもらえず、放課後、職員室に呼び出され、5分程の小言を言われてからやっと返してもらえたらしい。他の若い先生なら、気付かないフリをするか、鞄にしまっておくよう軽く注意するだけだ。


「じゃ、黒板消し終わるまで、教科書39ページの黙読」


 取り合ってくれそうにない高良先生の態度に、みんな諦めて、渋々教科書を取り出した。しばらくして、黒板を消し終わった下田くんが、席に戻りながら「起立」と号令をかけると、本格的に授業が始まった。


 古典又は現文の授業中、隣の人とお喋りしたり居眠りしたりする生徒はいない。高良先生は予習していることを前提に授業をする上に、生徒をランダムで指名し、本文を音読させたり、現代語訳をさせたりするからだ。間違っても咎められないが、全く予習していないことがバレると、静かに淡々と叱かれる。


 さて、至って真面目な高良先生の授業だが、稀に、その雰囲気が消し飛ぶことがある。


「高良先生、後頭部白くなってますよ」


 授業の序盤、高良先生が枕草子の本文を黒板に写しているときだった。最前列で授業を受けていた岸野きしのくんの一言に、教室の空気が凍りついた。同時に、全員がこっそりと教科書から顔を上げ、高良先生の後頭部に注目した。岸野くんの言った通り、髪に白い粉が付いている。チョークで汚れた手で触ったのかもしれない。


「岸野、この空気の中よく言ったなぁ……」


 岸野くんの斜め後ろの席の渡辺くんが、驚きと呆れの混じった声で呟いた。岸野くんの他にも、高良先生の後頭部に気付いていた生徒はいたようだが、高良先生が枕草子の本文をものすごい勢いで板書しながら、清少納言について力説しているのを遮ってまで言うことではないと、誰もが判断したのだろう。それでも岸野くんは、高良先生が接続詞と名詞の合間に息を吸ったタイミングで、みんなが言わんとしていたことを、言った。


 高良先生はチョークを持つ手をピタリと止めると、ゆっくりと岸野くんを振り返った。そして、言い放った。


「若白髪が生える人は将来金持ちになるんだ」


 稀に高良先生の授業から真面目な空気が消し飛ぶと前述したが、それは高良先生のちょっとズレた発言が炸裂した場合に起こる。高良先生は噂によると、名門国立大を首席で卒業した超エリートらしい。頭がいい人というのは様々なところに考えが及ぶからか、高良先生はぶっ飛んだ解釈をしたり、常人には理解できない思考回路で語り出したりすることがある。


「いや、白髪じゃなくて……」


 岸野くんが弁明しようとしたのと同時に、誰かがクスッと笑った。それを皮切りに、他の生徒も笑い出した。みるみるうちに教室の空気が緩んでいく。



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