第5話 夜空の花魁

 送りさんから聞いた話だ。


 送りさんとは嬢を送迎する車の運転手のことをいう。多少育ちのいい子は「運転手さん」や「ドライバーさん」と呼ぶし、そうじゃない子は「運ちゃん」なんて呼んだりもする。名前で呼ぶことはあまりないし、そもそも名前を知らないこともざらにある。トラブル予防のために嬢とはあまり会話をしないよう指導されている店がほとんどだ。


 郊外のラブホテルでのことだった。

 バブル期に乱立したレジャーホテルを改装した古いホテルだ。

 待機所から遠く、いちいち戻ってはいられない。嬢を降ろしたあと、周辺をぐるぐると適当に流す。不経済にみえるかもしれないが、出張料も当然加算されている。


 こんなとき、ホテルの駐車場は使えない。客でもないのに駐車場を勝手に使うなと、いくら空いていてもクレームになる。路上駐車などもってのほか。この業種は警察に睨まれやすいため、一般企業よりもむしろ法令遵守に気を使う。


 一般の駐車場も利用禁止だ。パチンコに夢中になって送迎をすっぽかす者がいたからだとか、車上荒らしに狙われやすいからだとか、理由は色々だがとにかく許されない。


 そのホテルは低い山の麓にあった。

 辺りは田んぼや畑ばかりで見晴らしがいいが、街灯の間隔が広く明かりも弱々しい。農家の夜は早いのか、時折思い出したように建つ民家の窓も真っ暗だ。ライティングされたラブホテルだけが、闇の中にぽっと浮かんでいた。


 そのライティングがなかなか派手だった。

 幾条ものサーチライトが空に向かって伸びており、何キロ先からでも見えるようになっていた。何かの法令に引っかかるのではないかとふと思うが、所詮は他人事だ。心配するようなことではない。


 ぐるぐると同じ場所を周回する。

 景色に代わり映えがなく、やることもないのでサーチライトをぼんやり眺める。観察するうちに気づいたが、数分おきに色が変わっているようだ。

 白、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、八色の光条が順繰りに夜空を照らす。


 その日は曇天で、星ひとつ見えなかった。

 サーチライトが分厚い雲を照らして、夜空に歪な円を描く。


 ぱっと、夜空が明るくなった。

 八色のサーチライトが一斉に点灯したのだ。

 時刻は深夜十一時。どうやら一時間に一度、八色すべてが点くらしい。

 なかなか壮観じゃないかと感心していると、サーチライトが消えた。

 全点灯のあとは数分の全消灯を挟むようだ。


「まだ30分も経ってないのか……」


 思わずぼやいてしまう。

 嬢を送り届けたのが十時半過ぎ。90分の客だからあと一時間以上、こうして無為なドライブを続けなければならない。延長なんてしないでくれよ、と店の人間としてあるまじき考えもよぎる。


 あくびを噛み殺しながら、のろのろ運転を続ける。

 通行人はおろかすれ違う車もない。

 山が悪さをしているのかラジオも入らない。

 運転しながらスマホをいじるわけにもいかない。

 しかたなく、サーチライトを眺めるだけの時間が続く。

 とろとろ、とろとろ車を走らせるうち、零時になった。


 夜空が、ぱっと明るくなった。

 照らされた雲がぐねぐねと蠢いていた。

 布団の下で人がもぞもぞしている様子を連想する。




 ばたん




 耳元でドアが開くような音がして、雲が、丸く外れた。

 一端が蝶番で繋がれているかのように、切り抜かれた雲がぷらぷらと揺れている。真っ黒な穴がぽかりと空に開いていた。


「は?」思わず声が漏れる。


 驚いて見ていると、その穴から巨大な何かがずるりと這い出した。

 巨大な花魁の顔。

 艶やかな柄の襟に縁取られた、胸元まで白く塗られた長い首。

 伊達兵庫に結われた日本髪には、白、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、八色の簪がささっている。

 花魁は紅の塗られた唇をきゅっとすぼめ、生々しい肉色の舌を伸ばす。

 舌は蛇のようにうねりながら地上に向かって伸び続け、ホテルの屋根を舌先でちろりと舐めた。




 ばたん




 夜空が暗くなった。

 サーチライトが消えたのだ。

 瞼をこすって目を凝らすが、そこには墨を流したよりも黒い空が広がっているだけで、巨大な花魁の顔などどこにもなかった。


 スマートフォンが鳴って、嬢を迎えに行った。

 サーチライトは一本に戻って、暗い夜空を照らしている。

 小さく歪な円には雲しか映っていなかった。


「何してんの? 早く出してよ」


 後部座席で煙草を吸い始めた嬢に急かされ、車を発進させた。




 1ヶ月後、その嬢は店を辞めた。

 急性の舌癌が見つかったと聞いた。

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