『煙草』『春子』『翼』『花火』
小説読んだあとに読了ツイート……いまはポストか、いやまあそんなことどうでもいいか、とにかく備忘録&これ面白かった宣伝としてツイッター……いまはエックスか、いやまあそんなことどうでもいいか、とにかく『真夏の死』初読後に私が抱いた感想を見返してみると、こうだ。
真夏の死、面白かった。三島由紀夫、想像以上にバリエーション豊かな作家だ……。『煙草』『春子』はイメージ通りなんだけど、それ以降はなんか想像してた三島由紀夫と全然違くて驚きの連続。そのうえでどれも印象深く。参りました、といった感想。『翼』『花火』が特に好き。満足
五月十八日に読了している。
『真夏の死』という本への感想は今振り返ってみても概ねこれと同じだ。
収録作全てを振り返るのは大変なので、とりあえずこの感想ツイートで取り上げている『煙草』『春子』『翼』『花火』について話していきたい。
煙草について
「『煙草』(一九四六年)は、戦後に書いた短編小説でもっとも古いものだ。戦争直後のあの未曾有の混乱時代に、こんな悠長なスタティックな小説を書いたのは、反時代的情熱というよりも、単に、自分がこれまで所有していたメチエの再確認のためであった。正直のところ、私の筆も思想も、戦争直後のあの時代を直下に分析して描破しうるほどには熟していなかった。」
私の、三島の好きなところの一つとして、正直のところ〜のような、自分を冷静に振り返り、あれダメだったなと反省するところがある。私は芥見下々『呪術廻戦』(集英社)が大好きで、で作者の芥見下々はあれダメだったとかの反省をすごいするんだけど、でそういう創作スタイルの権化みたいな登場人物の羂索に至っては自分の制作物に「失敗作」、自分の仕組んだ騒乱に「盛り上がらない」、自分が覚醒させた能力者に「期待してない」なんて言ってのけるキャラクターで。そしてキャラが勝手に動いた結果大成功したという芥見下々にとっての東堂葵が、羂索にとっての髙羽史彦なんだろう。なんて思うんだよね。やっててよかった、死滅回遊! 好き。羂索。過去の術師の肉体を乗り移りその力を行使できるのはパロディとオマージュと誓約と誓約に満ちた『呪術廻戦』の作風の化身じみてるんだよな。虎杖を産み出したこととか、五条悟への対応に苦慮してたところとか、作者の姿と重なるように造形されてると思う。アバター、というと言いすぎかもだが。脱線し過ぎかな。とにかく反省を己の武器とする作者であり作劇であり作品だったと思う。宿儺もボーっとしている。
けど同じ反省でも三島のはなんだろう、ちょっと雰囲気が違う。三島の反省は分析と言い換えても良い。気恥ずかしさがなく、透徹した視線で衒いなくかつての自分と自作を批評している。
さて、三島が『煙草』をどう思ってるのかは確認できた。では『煙草』とはどういう作品なのか。
物語の山場は二つある。
まず、上級生二人の喫煙の現場を目撃する場面だ。語り部──長崎に目撃された上級生は彼を呼び、名前を聞く。
次が学校の中でこの二人の先輩の片割れ、伊村と会う場面だ。伊村はラグビー部の仲間と一緒に廊下を歩いてきて、語り部を見て長崎じゃないかと声を掛ける。周りに「お稚児さん」と囃し立てられながら部室に連れて行かれた長崎は、伊村に煙草を求め、伊村は「本当に吸えるのか」と言って渡すのだが、この返答に語り部は失望する。
簡単に言えばマッスルな陽キャの先輩に悪い遊びへ誘われる病弱な陰キャと言ったところの話。そこに同性愛的なモチーフが見えたり、筋肉質な先輩に惹かれていたりと、三島のパブリックイメージはだいたいこんな感じって短編。
伊村が名前覚えてたところとかいいなぁと思う。軽蔑しながらも憧憬していた陽の人間から声掛けられて、しかも覚えられていたってのは、なんかこう、嬉しさがあるし、私自身そういう体験に覚えもある。
そんな伊村に失望させられた長崎は無理に煙草を吸う事で彼を傷付け、それが長崎の心を満たす。この一連の流れ、正直言ってよく分からない純文学あるあるのあれに思えるんだけど、でも同時に読んでいてスカッとするところもあって、それは何かといえばやはり、伊村初めとするラグビー部の彼ら、ひいては彼らが属する領域は人間関係において上位に位置しているから、なんだろうなと。そして私はそういうヒエラルキーの下位に生きてきたと思っている。少なくとも、『彼ら』と比べて相対的に下位にある。それは長崎と同じだ。仲良くしてもらって、名前覚えてもらって──『もらって』。いつからこっちが下なんだよ。なんでこっちが、友情を恵んでもらう立場なんだ? 下だって誰が決めたんだ。それは多分社会規範で、だから『彼ら』を憎むのは筋違いかもしれないけど、けどやっぱり恨みやすいのは『彼ら』なので、長崎が煙草を吸い『彼ら』の世界に入り、それでいて『彼ら』の世界に属すことなく、『彼ら』を傷つけるのは、ひとつの勝利の図式だ。しかも自己犠牲的な──美しい勝利。そういうところに惹かれてしまう一作だった。
『煙草』は川端康成が絶賛している。その理由は知らないのでいつか知りたい。というか意外だよね。美しい日本の私、の川端が、これに惹かれるんだという意外性。そういうところも奥深い一作だと思う。
『春子』について
冒頭の一文読んでブルアカを連想したのでブルアカプレイヤーは読んでみるといい。別に青春がどうこうとかそういうわけではないけど。
『春子』はレズビアニズムを扱っていて、日本の近代文学においてレズビアニズム小説の先駆であると三島は自認している。ちなみに三島の先駆けたこのレズビアニズムが『豊饒の海(三)・暁の寺』で本多に牙を剥くのを踏まえるとなかなか面白い。
叔母である春子が夫の死を経て義妹と一緒にやってきたところから物語は動き出す。語り部にとって現在の春子は失望を覚える存在となっていた。一方春子が連れてきた彼女の義妹・路子に語り部は惹かれていく。紆余曲折あり二人の住む部屋を知った語り部は会いに行くのだが、そこで見たのは睦み合う二人の姿だった。
睦み合いの描写が大変官能的。春子の描写もいちいちエロチックである。実際の行為は描かれないが、にもかかわらずかなりエロい。文学ってドスケベなんだよなあ。
語り部が睦み合う二人を目撃する場面や、春子・路子・語り部の関係性は、前述の『豊饒の海』の慶子・ジン=ジャン・本多を思わせるところがある。
初読時の私が惹かれたのはやはりその官能的な描写と、描かれる背徳からだろう。路子は最終盤で部屋に語り部を迎え入れ、「(大好きである)姉にあなたを好きになれと言われたから好きになる」と告げる。この俗世の倫理を超えたところで成り立つ関係性。人としての在り方を、外れつつある背徳さ。読んでいて実に恍惚としてしまう。
さて。『煙草』『春子』はパブリックイメージの三島らしい作品だと、五月の私は思った。同性愛と美意識と、失望したり惹かれたりする繊細な語り部の情緒。特に『煙草』からはそれが強く感じられた。
ふーん、三島ってこんな感じね。オーケーオーケーわかったぜ。そう思った。ところがだ。
『翼』で私は驚くこととなった。
『翼』について。
戦時中を舞台に、従兄弟同士でありながら惹かれ合う葉子と杉男の物語が描かれる。二人は同時に思っている。相手の背中には翼がある、と。
プラトニックなラブストーリーで、淫靡さや官能的な様は薄く、それでいて単なるロマンスとは一線を画すのが、互いが互いに、相手の背中に翼を感じているという点だ。
この翼が意味するものが何なのか、なんのメタファーなのか、その辺は色々想像できるかもしれない。ただ私としては、相手の背中に見出す翼は憧れそのものなのではないかと思う。
忘れ難いのは電車のシーンで、混み合う電車の中で杉男と葉子は偶然、背中合わせだが前後の位置になる。すると二人は、互いに背後に相手がいると察する。制服と、セーラー服の、背中合わせでありながら。
このシーンが何故か凄く印象的だ。三島の描くロマンス、ラブストーリーにおいて、最大級に好きなシーンかもしれない。『豊饒の海』で春の雪の中恋人同士笑いながら人力車で街を駆けていく場面があるが、あれに匹敵するほどの、純愛の局面だと思う。
この『翼』、これに私は驚いた。
パブリックイメージの三島と全く違う。プラトニックな純愛物語。こんなものも書けるのかと本気で驚いたのである。
ちなみに三島はこの『翼』の中で、「ある種の告白」をしようとしたらしいが、それがどんな告白なのかは私にゃ分からなかったです。誰か教えて。
で。次に衝撃を受けたのは、『花火』だ。
この話どんな話なのかというと、アルバイトを探している青年が居酒屋で自分そっくりな男に出会い、「花火見物のバイトに参加し、花火見物に来る運輸大臣の顔を見ると金が貰えるから山分けしよう」と提案されるというもの。三島はこの小説で「ごく簡単な恐怖小説の技巧」を用いている。
そう、この短編、ホラージャンルなのだ。
怪異や最悪人間が出るわけではないが、奇妙な存在から受けた不可思議な依頼と、その実行にあたって発生した出来事、そしてそれが起きた理由の不明瞭さ不条理さ。そういった要素が、ライトなホラーの読み味を展開しつつ、ターゲットが運輸大臣という政治家であることが、物語に何やら深みを与えてくる。
三島はホラーもやれるのか。
たいそう驚かされた。いや本当に、驚いた。
『煙草』で描かれる筋肉的男性原理と男色志向。
『春子』で描かれるレズビアニズムの官能と背徳的恋愛。
『翼』で描かれる純粋極まる二人の恋愛。
『花火』で描かれる何もかも不明瞭なホラー。
この四編は当時の私に、三島由紀夫という作家の射程の限りない広さを突きつけてきた。
筋肉や憂国だけではない。
耽美や美意識のみではない。
三島の筆は広範に及び、ジャンルというジャンルを横断しながら、その装飾的な文体を以てあらゆる物語を記そうとする。
三島由紀夫は、広い。
その広さを、ある意味最大級に発揮した代表作がある。
その作品の名を、『潮騒』という。
私が『真夏の死』の次に読んだ小説だ。
次回はこれについて触れていこうと思う。
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