File 7 : ガイア 7

 大河が孫を産んで欲しいって言った事を、私は忘れたことはなかった。


「孫はもうちょっと待って欲しいんだ。今、いい相手を探してる」


 なんて大河に言ったけど、それは大嘘だった。私は自分のDNAを残す事が怖かった。大河の事は大好きでDNAだって残してあげたい。


 だけど、私の母親は凶悪な山城風子だ。私は風子のDNAだけは残したくなかった。


 だったら産まなければいい事だろう…そう言われるかもしれない。でも、私は…。大河に私が孫を抱かせてあげたかったんだよ。


 矛盾してる。分かってるよ。



 その頃の私が考えた風子のDNAを残さず子供を産む方法はただひとつ。受精卵の提供を受けて出産する事だった。もちろん、大河には秘密で対象者を探した。


 条件は日本人である事。


 すんなりと提供者が見つかり私の胎内に受精卵を移植したら、何の問題もなく妊娠した。とてもラッキーな事だったと思う。


 妊娠が分かった後、私は勤めていた研究所に2年ほどの休職願いを出して雲隠れしたんだ。


 私が20代中頃の話だ。


 引っ越した先はハワイのある島。ハワイならパスポートはいらないし、私が誰かを知る人もいない。お金に不自由のない私には最高の隠れ場所だった。


 そこで私は初めて女の格好をして暮らした。大河に引き取られてから初めてスカートを履き、口紅を引いた。髪も伸ばし始めた。


 その写真を大河に送ったら、風子かとおもったよ、って大河から返事が来た。私の方が体が大きいはずだ、なんて心の中で風子と張り合った。 


 私は大河に私の姿を見て欲しかった。


 私にとって大河は父親ではなくて1人の男、恋愛の対象になってたんだ。でも、大河との間に子供は作れない。だから、せめて、私の姿を見ていて欲しかった。見守って欲しかった。


 歪んでるよ。自分でもそう思う。

 でも、本当の事だ。



 妊娠したって知らせると、大河はものすごく喜んでくれた。その頃はまだ電話代もものすごく高かったのに、大河は私の体を気遣って、しょっちゅう電話してきた。


「体調は変わらないか?」

「ちゃんと食べてるか?」


 大河はまるで自分の子供が生まれるかの様にはしゃいでいた。そんな大河に、私は少しずつお腹が膨らんでいく様子を写真に撮って送った。


 私、幸せだよって、そういう姿を見せたかったんだ。


 でも、大河は私に会いには来なかった。

 そして、私も来て欲しいとは言わなかった。


 大河と私は会ってはいけない…ってわかってたから。親子だけど、親子以上の感情が私はあったから。


 大河はどうだったんだろう?

 私に女を感じることはあったのだろうか?

 私は男として育てられたから、私が勝手に大河が好きなだけだと思ってた。



 帝王切開で産まれた子供は男の子だった。名前はお前がつけろと大河が言ったから、正人とつけた。


 正しい道を歩む人になってほしい


 そう願いを込めたんだ。


 正人が生まれて3ヶ月が過ぎた頃、私の乳母だったおばあちゃんがハワイまで正人を引き取りに来た。


 私が正人を迎えに来て欲しいって大河に頼んだんだ。正人と長くいると離れられなくなりそうだった。


 何をどうやったのか、正人は日本で生まれた事なっていて、パスポートがあり、日本出国のスタンプまで押してあった。写真の男の子の顔は正人に似ていた。

 

 多分だけど…おばあちゃんが誰かの赤ちゃんを連れて来て正人と入れ替わるのだと私は思った。おばあちゃんは大河に言われた通りに私の所に来ただけなのだろう。


「詳しいことは私にはわからんでね」


 乳母はパスポートを私に見せながら、そう言って笑ってた。そして、正人をしっかりと抱いて日本へと帰って行った。きっと正人の乳母もおばあちゃんがしてくださるのだろう。それなら安心だって思った。


 大河からはすぐに電話がかかってきた。


「俺のわがままを聞いてくれてありがとう。お前によく似た可愛い男の子だな」


 そう言ってた。それを聞いて、私は涙が止まらなかった。大河は自分の血を分けた孫だと信じて、疑ってもいなかった。


 大河。私は大河が大好きなんだよ。愛してるんだよ。できるなら、大河の子供が産みたかったくらいにね。


 言えない言葉は飲み込んだ。






     ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 






 突然、取調室の機器がピピピと激しい音を立てた。



…バイタル、異常発生 バイタル、異常発生

…パルス停止

…呼吸停止


 久我山が焦って医務官の野沢を見ると、野沢は首を左右に振った。


「解毒の方法は分からないですし、もう解毒しても間に合わないです。

 脳は心拍が停止した後も2、3時間は活動するので、Dr. Gaia の供述はもう少し聞けます」


 久我山は頷いて 'インネル' での捜査を続けた。






     ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢






 ああ…

 時間が迫ってきたみたいだな。少し急ごうか。





 正人がどんな風に大きくなっていったのか、大河が手紙に書いて教えてくれてたよ。


 ハイハイをした。歩いた。じーちゃんて呼んだ。小学校に入った。高校を出て大学に入った。


 1週間に2通は手紙を送ってくれた。そして、それがパソコンでのeメールになり、スマホになって、毎日のショートメッセージになった。正人の動画もこっそり撮って送ってくれてたんだ。


 正人の事は大河と私で大事に見守ってたんだよ。私たちなりにね。

 




 何年か前、私は大河から 'パヤ毒' の改良をしているのか、と聞かれた事がある。だが、私はそんな事はしていない。


 子供の頃、お前に何かあったら生きてはいけない、と大河に言われてから人の命を奪う研究はもうやらないと決め、そうしている。

 

 もし、誰かが改良をしているのだとしたら、それができるのは1人だけだ。わたしが子供の頃に家庭教師として一緒に化学の実験で遊んでいたあの男。あの男は 'パヤ毒' の組成を熟知しているからな。きっと、金に釣られたのだろう。そうでもなければ、あの地位は手に入らないレベルの研究者だよ。


 今は大学教授になっている宮本潤


 たぶん、風子が作ったグループの誰かと繋がってるさ。


 

 

 風子といえば、2年ほど前、大河が沈んだ顔でビデオ通話をしてきた。


「風子が死んだよ。もうダメだと思ったんだろうな。昔渡した薬を飲んだらしい」


 大河は本当に風子を愛してたんだな、ってその時思った。あんなに沈み込んで悲しい顔をしている大河は初めてだった。

 その頃には正人もとっくに家を出て一人暮らしをしていたからね。大河は寂しくなったのかもしれない。

 

 私は…。やはり、私では風子の代わりはできないんだ…って思って悲しくなった。自分の母親が亡くなったという事実に関しては何とも思わなかったのになぁ。


 それから後、あんなにかっこよくて素敵な男だった大河は、歳をとったおじいさんのようになり沈みがちになっていった。少し鬱になってたんだ。

 そして、気がついたら、私の事をガイアと呼ぶ様になっていった。



 ある日、正人の結婚を認めたよって大河が言ったんだよ。ずっと反対していたのに。


「俺は意地を張ってしまった。余計な事まで言って、正人と相手の女性を苦しめてしまったよ。俺はさ、正人が結婚する事に嫉妬したんだよ。情けないな…。

 正人の相手は素晴らしい女性なんだ。だから、ガイア、祝福してやって欲しい」


「父さんが認めた相手だ。私が反対する理由もないさ。正人には普通の幸せを手にしてもらいたいと思ってる。愛している相手と結ばれるのは、普通の事なんだろう?」


「そうだよ。俺には叶わなかったけど…」




 そして、別の日にはこんな事を言った。


「なあ、ガイア。俺は何だか疲れてしまってさ、生きているのも辛いよ。

 もしかして、ガイアをこの手で抱きしめたら、そうしたら…俺は少しは元気になれるかな?」


 そう言ってあの強い男が泣くんだよ。


 それを見た私は、大河が楽になりたいなら一緒に…って思った。置いて逝かれて1人になるなんて耐えられない。大河がいないなんて、私には考えられなかったから。


 だから、私は大河に言ったんだ。


「父さん、辛いね。

 私もだよ。私も疲れて辛い。

 だからさ、2人で楽になろうか?」


 その時、ビデオ通話の画面の向こう側で、そうだな、そうしようかって、大河が力無く笑ったんだ。 


 それから私も大河もやりかけの仕事をきちんと片付けた。周りの人達にかける迷惑をなるべく少なくしたかったからね。わがままだけど。


 私は正人に伝えておかなければならない事をちゃんと書いて、弁護士に預けておいた。大河も正人が困らない様に身の回りの整理をして、自分の事を告白する文書と遺言を残したはずだ。


 そして、大河と私は2人で日にちを決めて一緒に薬を飲む事にした。


 その日、大河と私はビデオ通話で最後の話をした。


 私は大河の名前を呼んで、愛してるよって言った。


「大河。あのね、私はね、お父さんとしてじゃなくて、大河を男として愛してたんだよ。本当だよ。子供の時迎えに来てくれた時から、ずっとずっと、大好きだった。愛してた。

 大河、今も愛してる」


「俺もガイアが俺の娘じゃなかったら、って思った事が何度もあるよ…だからお前をアメリカに送ったのは正しかったんだ」

 

 そして、2人で何だかくすくすと笑ってしまった。イタズラがバレた子供みたいな気分だった。


 それから2人で一緒に薬を飲んだ。


 私は画面の向こうで笑う大河に手を伸ばした。大河もその手を取る様に画面の向こうで手を伸ばした。


「大河、愛してる」


「ガイア、わかってるさ」


 そして、そのまま画面を消した。

 私の報われない愛の相手、大河は画面の向こうに消えた。



 飲んだ薬は1日ぐらいで昏睡状態になるはずだ。そして、緩やかに死がおとずれる。苦しむ事もない。


 それまでにお別れしなくてはいけない人に、きちんと挨拶をしておくというのが大河との約束だ。


 私の相手は、私が産んだ息子の正人。


 正人は警視庁に入庁して、自力で私にまで辿り着いた。大河の事も調べ上げているに違いない。


 正人は名前の通り、正義感の強い男だと大河から聞いている。だから、きっと私を日本に連れ帰り、大河や風子の罪を暴こうとするだろう。


 正人。

 大河も私も全てを書き残している。それを読めば正人の知りたいことはわかるはずだ。


 私がわざと薬を飲む日に正人を呼んだのは、長い時間、正人と面と向かって話をする自信がなかったから。


 自分の息子に、泣いたり、言い訳したり…そんな姿は見せたくないじゃないか。


 情けない母親だな、本当に。


 やって来た正人は立派になっていた。さすが、大河に育てられただけのことはある、と思った。


 そして、血は全く繋がっていないのに、何故か若い頃の大河と正人が重なって見えた。


「私が山城だいちだ。

 立派になったな、正人」


 私と正人がお互いの顔を見つめた所で、私の意識が薄れてきた。正人の焦る顔を見て、私は声をかけた。


「正人。大丈夫だ。何も心配はない」






 もう、終わりが来た。

 この話を正人も聞いているのだろう?


 正人。

 これが私の記憶の全てだよ。

 私の遺書は弁護士に渡してある。信頼できる弁護士だから大丈夫だ。


 しょうもない祖父さんと母親で申し訳なかったな。


 正人は自分に山城大河と山城風子の血が入っているのかと悩んでいるのだろう?

 だから、私にたどり着いた。


 でも…大丈夫だ。

 2人の血はお前には…流れていないよ。


 お前は…お前…だから

 お前の道を…い…け


 …これからの…人生を…

 しあ…わ…せに…







     ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 






 突然、取調室の機器がピピピという甲高い音を放ち、'インネル' のモニタには何も映らなくなった。



 ガラス張りの監視室で様子を見ていた主任医務官の野沢が急いで取調室に行った。


 正人はその場から動けず、じっと山城大地をガラス越しに見ていた。


 そして、しばらくして、ぽつりと呟いた。


「何だよ、これ。

 一体何だって言うんだよ」


 横を向いた真人の目に涙が浮かんでいたのを、久我山は気がつかないふりをした。

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