File 7 : ガイア 6

 実の父親に売られた私の母、山城風子とは大河が私を引き取ってすぐの頃に会った記憶がある。


 何処だったのかは分からないけど、大河が 'ふうこ' って呼んだ女性と2人で抱き合って泣いていたのを覚えている。


「きっちりカタは付けてきたからな」


 大河がそう言うと、風子が頷いて泣き崩れてた。覚えているのはそれだけだ。


 その日、その後どうしたのか、一緒に食事をしたのか、何をしたのか、全く覚えていない。子供なんてそんなもんなんだね。


 


 大河と風子はその後も一緒には暮らさなかった。


 大河は風子と一緒に暮らすのが辛かったんだろう。惚れた相手が手を伸ばせば触れる所にいるのに、体を繋げることが出来ないというのは20代半ばの大河にとって残酷な事だったはずだ。


 そして、風子は風子なりのやり方で、大河の事を本当に愛していたのだと思う。


 プラトニックな愛…?


 よく分からないが、大河と体で結ばれなくなった理由を全て金のせいにして世の中を怨み、生きていくエネルギーに変えていたんだ。


 その後、私が風子の事を聞いたのは随分後になってからだ。何をどうやったのか、風子は過激なグループを作りあげていた。最初の頃は主義主張がある様な事を表明していたが、本当は金のためなら何でもする、そんなグループだ。


 少なくとも38人を殺害し、暴行、強盗、家屋の破壊、誘拐、テロとあらゆる犯罪を犯したグループのリーダー、国際指名手配中の女、山城風子になっていた。


 風子が手に入れた金を大河に渡していたのかは私には分からない。




 大河はものすごく忙しい男だったが、毎週火曜日と木曜日には必ず5時に会社を出て家に帰って来た。そして、私と一緒に食事をしたんだ。


 大河は私のおしゃべりを聞くのが好きでね、ふんふんって相槌を打って楽しそうだった。何を話したかなんて、はっきりとは覚えてない。たぶん、メイドのタケがお昼ご飯の時に醤油の瓶をひっくり返したとか、家庭教師の先生がおやつに出したロールケーキが美味しいって2回もお代わりしたとか…そんな話だと思う。


 時折、大河がお腹を抱えて笑ってた。


「だいちは楽しい事が周りにたくさんあるね。いい事なんだよ」


 私は大河の笑った顔が好きだから、何とかして大河を笑わせよう、って思ってた。


 そんな平和な日々が続いていたけど、私には少しずつ変化が起きていた。


 私の体はいつの間にか大人になろうとしてたんだ。胸が少し膨らんできて、お乳母さんは私の胸をサラシでぐるぐると巻いた。


「だいちさんは男やで」


 そう言われてもね、初潮は来るし、身体は丸くなるし。


 そして、体が女になったからなのか、私は大河を男として見る様になった。頼り甲斐のある、カッコいい素敵な男。思春期の女の子達はこういう時期に父親を嫌うモノなんだろう?でも私は大河が好きで好きで…いつも側にいたいと思っていた。


 この気持ちは自分ではどうにも出来なくて苦しかった。

 


 その頃の事だけど、私の家庭教師の1人が私に大学に行って本格的に勉強してみないかって勧めてくれたんだ。


「だいち君には大きな扉が開こうとしているんだよ。その向こうには新しい世界が広がっている。君のお父上は反対するかもしれないけれど、話してみる価値はあるよ」


 その後、その家庭教師が調べてくれた事によると、私は大学に行くより大学院で専門的な研究をする方がいいという事だった。それも、日本ではなくアメリカで。


 アメリカは実力がモノを言う世界だ。日本と違ってアメリカは年齢なんか関係なく、実力があれば受け入れてくれるって家庭教師が言ってた。


 私はその時、自分の将来を初めてちゃんと考えた。そして、化学の道で生きて行きたいと思ったんだ。


 家庭教師はあれこれと調べて、書類や研究成果をまとめた物と自分の担当教授に頼み込んで書いてもらった推薦状を、いくつかの大学院に送ってくれた。しばらくして、書類を送った先の全ての大学院からアクセプトする、という返事が来た。しかもフルスカラーシップ、奨学金付きだった。


 これはチャンスなんだと私は思った。


 私は大河から離れられる。

 苦しい思いをしなくて済む。

 どうせ叶わない思いなのだから。

 大河が愛しているのは、山城風子だけなのだから。


 少し…胸が苦しかったけど。



 ある夜、意を決した私は大河の部屋をノックした。大学院の資料や合格通知やらを手に持ってね。


「だいちか?入っていいぞ」


 そう返事をした声は低くて、ぞくっとするほど色っぽかった。そして大河は、だいちが来たから、って電話を切った。色っぽい声だったから、風子と話してたのかもしれないってちらっと思った。


 30代の大河は相変わらずかっこよかった。


 その頃すでに大河の会社は大きくなっていて、会長の大河は細身ではあったけど、貫禄の様なものを身につけていた。


 大河は私を優しく見つめた。


「だいち、こんな時間に珍しいな」


 そう言って私に椅子を勧め、自分はブランデーをグラスに注いで向かいに座った。


「どうした?何かあったのか?」


 大河は私には本当に優しい。

 その時も私を包み込む様な優しさで私に微笑んだ。


 かなり口籠った末に、私はアメリカの大学院に合格したって話した。怒られるかなって思ったけど、大河はすごく喜んでくれた。


「さすがは俺の子だよ。アメリカかぁ。

 えっ?大学はすっ飛ばして大学院に行けるのかい?

 どこの大学院だ?いつから行く?あぁ、そうだ、必要なものも買い揃えなくてはならないな…」


 そう言って先々のことまで心配してからやっと落ち着いて、おめでとうって言ってくれた。


 今思えば、大河は私に、行くなと言いたかったのかもしれない。その言葉を飲み込むために、あれこれと私に言っていたのだろう。


「すまないなぁ。俺は学校にはろくに行ってないから、どうしたらいいのか分からんのさ」


 それからどの大学院がいいとか、どこに住みたいとか色々な話をして、大河はアルコールも手伝って上機嫌だった。


 そして、最後にこう言ったんだ。


「お前にはお前の好きな様に生きて欲しいと、今の俺は心から思っている。

 だけど、お前を男として育てて来ただろう?俺を恨んでいないかい?

 俺は可愛らしい服もお人形も買ってやらなかった事を少しだけ後悔してるんだ」


 しばらく黙ってから大河は私を見て言った。


「黙っている様に、って言われてたからお前には言わなかったけど…お前の乳母はお前の本当のおばあちゃん、風子の母親だよ。

 お前の知らない色々な事があったからね。乳母はお前を立派な俺の後継にしなければ申し訳がないって思ったんだろう。何が何でも男として育ててみせる、って言ってね。

 あの頃は乳母も俺も、そうする事しか頭にはなかったんだ。どうしてもそうしなくてはならないって思い込んでいたからな。

 本当にすまなかったな」


 そう言って私に頭を下げた。

 そして、息を大きく吸ってから言ったんだ。


「俺の頼みを聞いてくれるかい?」


「できる事なら、何でも」


「お前がもっと大人になってからの話だけど」


 その後、大河は少し黙り込んだ。

 

「子供を産んでくれないか?

 俺はその孫にこの会社を継がせるさ。お前が俺の会社に興味が無い事はよく分かってる。だけど、俺は俺の血を分けた奴にこの会社を任せたいんだ。

 俺のわがままかな…」


 私は、出来ない、とは言えなかった。私は大河が大好きだったから。


 だから、うん、って頷いた。




 しばらく大河はあれこれと大騒ぎした。


 大学院のドームと呼ばれる寮に入るから最小限の物しか要らないよ、って言っても大河はあれこれと買いたがった。そして、成田まで付いててきて、私をアメリカに送り出してくれた。


 ちょっとびっくりしたのは、私の戸籍が男になっていた事だった。


 私が生まれた時、役所に届を出したのは大河だ。大河はその時、何を思ってたんだろうな。


 だからパスポートも男、と記載された。パスポートの署名は Daichi Yamashiro と書いた。


 でも、まあ、どうという事もなかった。私は男として育てられたのだから何も不自由はないし、困ったことも起きなかった。


 



 それからの私は新しい場所、アメリカで自分の好きな研究を思う存分した。毎日が楽しかった。


 自然界に存在する毒を研究し、幾つもの新薬を開発して特許を取った。それは後に莫大な富を産むことになったけど、そんな事はその時の私にはどうでもよかった。


 そんな時、私が20代になったばかりの事だが、日本からある下世話な雑誌の記者がインタビューに私を訪ねてきた。


「あなたは山城風子の息子ですよね?

 あの国際指名手配犯の女の子供だ。なのに、よくそんな善人面で新薬の開発なんかしてますねぇ。世の中に申し訳ないと思わないですか?

 えっ?どうなんですか?

 山城だいちさん?」


 私は体の震えが止まらなかった。その時まで、私は山城大河の子供ではあるけれど、山城風子の息子という自覚が全くなかったから。


 確かに、私の母は国際指名手配されている山城風子、父は黒い噂が絶えない山城財閥の当主山城大河だ。


 だけど、それが私のせいなのか?

 私は申し訳ないと思って生きて行かなければならないのか?


 プチンと私の中で何かが弾けてしまった。


 私はすぐさま大河に電話して雑誌記者の事を知らせた。大河は電話の向こうで怒り狂ってた。


 そして、程なく大河からもう心配はないと連絡が来た。その雑誌記者をどうしたのか、は聞かなかった。大河なら、私を守るために何でもするはずだから。


 そんな事があった後で、私は大河に相談してアメリカの永住権を取り、改名する事にした。日本にはもう戻らない、と決めて。


 大河は反対しなかった。


「そうだな。お前にはもうあんな事で嫌な思いはさせたくないからな。

 それに、お前は日本で暮らすには大きすぎるんだろうよ。自分の好きな様に生きて行きなさい。どこにいても、困った時には父さんが必ず助けるから」


 私はガイアという名前だけは捨てたくないと思ってた。私と大河の繋がりまで消したくなかったから。


 そして Gaia Stronghold というのが私の名前になった。

 Stronghold という単語には '城' ' 要塞' という意味があって、大河はそれを聞いてものすごく喜んでいた。


「それは山城って意味だな」


 そう、私の名前は英語になっても山城大地ガイアなんだよ。

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