File 5 : 竹下翔太 4

「ただいまぁ!」


 美波の大きな声に、奥から母親の京子が飛び出す様にして姿を見せた。


「美波、あなたどこに行ってたの?」


「おじゃましまあす!おひさしぶりでぇ〜す」


 軽い感じで挨拶する竹下に京子は不安げな顔をした。

 

「静かに…」と竹下が口パクで伝える横で、田代が手帳に書いた文字を見せた。

 

[盗聴器の有無を調べますので、適当な話をしていて下さい]


「どうしたんだ!玄関先で…」


 奥から現れた父親の保が何か言いたそうにしたが、美波が人差し指を口に当てて首を左右に振るのを見て黙った。


 10分後、家の中を隈なく調べた田代と鈴木は、もう大丈夫、とダイニングルームに集まっていた皆に告げた。


「突然家の中を探し回るようなことをして、申し訳ございませんでした」


 田代がそうと言って謝ると、保は眉間に皺を寄せて、一体どういう事なのか説明して頂きたい、と語気を荒げた。


「はい。監視カメラはありませんでしたけど、盗聴器が1つありました。家中の音を拾える高性能のモノで、台所の隣との境の壁に仕掛けてあります。onにしたままですが、台所の会話しか拾えない様にしておきました。ですから、台所での会話は気をつけてください。大声で会話しない限り、他の部屋の会話は誰にも聴かれません。

 完全にoffにしちゃうと気づかれますからね。少し聞こえるくらいがいいのです」


「盗聴器…ですか?」

「えっ?我が家に?」

 

 保と京子は顔を見合わせ、何かを言いたそうにしていたが、しばらく待っても何も話し出さない。


 竹下は居住まいを正して切り出した。


「実は今日、美波さんが私を訪ねて来られまして、お兄さんの事で相談を受けました。

 お辛かったですね」


 保は目を見開き、京子は唇を噛み締めて俯いた。


「単刀直入に伺います。

 SDカードの事で脅された事がありますね?」


「えっ?」

 

 美波はびっくりして父親と母親を見比べた。


「ああ、美波には黙ってたんだ。

 健が逮捕された後からSDカードはどこだとか、カードを渡せ、渡さなければ美波を酷い目にあわせるぞって電話がかかって来る様になったんだけど…何を言われてるのかわからなくって。

 だから美波が痴漢に襲われた時、これは大変な事になったって思ったんだ。でも…」


 口籠る保に田代が言った。


「警察には言えなかったんですね…」


「ええ、そうです。

 健の事もちゃんとしてもらえなかったという気持ちが強くて、相談に行っても無駄だと思ったんですよ。だから、美波は学校をずっと休ませていました。

 今日は美波がいつの間にかいなくなっていて、制服もなかったから学校に行ったのかと思いました」


「美波さんが今日、私を訪ねて来た事を相手は気づいているでしょう。

 まずは皆さんの安全確保、脅してくる相手を特定するためにしばらく私達がここで張り込みたいと思います。

 健さんの事、美波さんの事件、SDカードに関する脅迫などを新たに捜査をするためにご協力をお願いします。

 許可して頂けますか?」


 保と京子は頷くと、よろしくお願いしますと頭を下げた。


 京子は声を震わせて話し出した。


「ずっと怖くて、不安だったんです。SDカードだなんて、何の事を言われているのかも分からず、誰も助けてくれない。電話が鳴る度に手が震えて…。このままではずっと怯えて暮らさなければならないのかと、本当に怖いんです。

 竹下さん、皆さん。助けて下さい」


 竹下のメガネを通して話を聞いていた久我山は奥山健が使っていた部屋を借りる事や、これからの奥山家での捜査員の生活を簡単に決めた。


 その日は竹下が奥山家に泊まり込む事にして、田代と鈴木は奥山家を後にした。


「美波ちゃん、またねぇ〜っ!

 さあ、鈴木くん、スイーツ買って帰ろう!」


 田代は玄関を出る時に大きな声でそう言うとスタスタと歩き出した。2人でスイーツの店を探すフリをしながら、メガネを通して辺りの様子を久我山に送った。もちろんスイーツは購入したけれど…。


「特に不審な者もいない様だな。

 よし、2人とも戻ってください」

 

 鈴木のメガネを通して確認をした久我山は2人に研究所に戻る様に指示を出した。




 翌日、久我山が文書解析チームの部屋に顔を出すと、リーダーが側にやってきた。


「久我山警視正。

 あのSDカード、ヤバいです。

 どこで入手したかは聞きませんが、これに関わった人は命を狙われる程の内容ですよ」


 SDカードの中には山本興業の帳簿だけでなく取引をしていた山城財閥の裏帳簿もあり、与党の大御所、立山誠と全日本弁護士組合の会長、伊丹健四郎への巨額の金の動きが読み取れる、という。

 また、公に出来ない取引の証書などもかなりあって、文書解析チームはこれから裏どりも含めて忙しくなるとチームリーダーが言った。

 

「そうでしたか…。そのまま分析を続けてください。言わずもがな…だとは思いますが、バックアップを幾重にも取って下さい。

 相手はどんな手段を取ってでもデータを回収しようとするでしょうから、何が起きてもおかしくありません。

 身辺に気をつける様に、チームの皆さんに伝えて下さい」


(奥山健が命懸けで持ち出したデータを無駄にしてはならない。その為にも、万全の体制をとる)


 デスクに戻った久我山はあれこれと対策を考え込むうちに、思考が 'インネル' へと移ってしまった。


(奥山健を 'インネル' で捜査した時も記憶の中に妹の美波の事は1つも出て来なかった。やはり、強い思いは記憶を操作するのだろう。

 伊藤香苗の時もそうだった。

 田代にもう少し 'インネル' の改良をしてもらい、事実だけを映像化できる様にしたい。

 きっと 'インネル' の改良があの20年前の事件の真相解明にも繋がっていくはずだから…)


 久我山はほんの少しだけ20年前の事件を思い出したが、今はその時ではないとその思考に蓋をした。



 張り込み2日目の午後、奥山家に美波の学校の養護教諭と担任が美波を訪ねてきた。


「奥山さん、こんにちは。担任の山田と保健室の田中です。美波さん、体の調子はどう?」


 などと大声で言いながら玄関から家の中に入って行ったのは久我山と井上副総監の秘書官である山ノ上麻耶だった。


 小一時間して外が薄暗くなった頃2人は奥山家を辞して行ったが、奥山家に残ったのは久我山で、久我山の上着を着て入れ替わった竹下は一度帰宅することになった。


 次の日も何も起こらず、宅配の配達員に扮した竹下が奥山家に入り久我山と交代した。


 そうして、久我山と竹下で交代に奥山家に張り込み、5日目の午後がやって来た。


 そろそろ竹下と交代しようと研究所で久我山が準備をしている時だった。突然スマホが鳴った。


「鈴木です。

 奥山家の近くで爆発事故。すぐ現場に…」


 全部を聞き終わる前に、久我山は飛び出していた。田代と鈴木も飛び出して来て久我山に続き、3人は久我山の運転で奥山家に向かった。


「鈴木!お前、警察無線…盗聴して聞いてたんだな」


 それを聞いた鈴木はうなだれたが、田代は、違うよ、と笑った。


「皆でさ、たまたま、おやつを買いに来てたんだよ。だってさ、美波ちゃんちの近くのケーキ屋さん、美味しかったじゃん」


「偶然通りかかったら、竹下が…ってことにするのか。そうだな。それが一番いいだろう。

 よし!所轄に連れて行かれる前に竹下をウチの医務室に連れて帰るぞ」


 久我山の運転する車が奥山家の裏を流れる川に着いた時、竹下は救急隊員の応急処置を受けているところだった。


 血まみれの竹下は久我山に気がついたのか、かすかに目を開けた。


「くがやま…けいしせい。

 もうし、わけ…ありません。やられ…ました。あいての…かお、みました。おれが…いきてる…うち…そうさ…くだ…」


 そう言うと竹下はガクッと首をたれ、意識がなくなった。


「出血がひどいです。救急病院に急ぎ搬送します。受け入れ先は確保しましたから」


 その言葉に久我山は、待ってくださいと言って救急車に竹下が乗り込むのを止めた。


「特殊捜査研究所に運び込みます」


「えっ、しかし…」


「大丈夫です。ウチには医官がいます。

 最新の医療の研究をしているのです。死なせはしません。責任は私が取ります。急いで、急いで特殊捜査研究所に運んでください」


 命に関わる事なので受け入れられない、と言う救急隊員を説得し、竹下は研究所に搬送されることになった。


 久我山は竹下の様子を見て固まってしまった鈴木の背中をドンと一発たたいた。


「鈴木、現場を見て回れ。離れたところまで、しっかりと見るんだぞ。メガネはしっかりとかけとけ。あとで映像を分析する…」


 周りに聞こえない様に鈴木にそう言うと

鈴木が震えながらも、はいと返事をした。


 泣きじゃくっている美波と田代を車に乗せて、久我山は救急車の後を追った。


 '医務室' と呼んではいるが医療技術の向上と医療機器の開発を目的とする研究機関であり、医師、看護師、臨床工学技士など世界水準の専門職が揃っている場所なのだが…


 久我山が医務室に着いた時、いつもは冷静な職員が殺気だっていて久我山は思わず唇を噛み締めた。


 久我山に気がついた主任医務官の野沢が久我山に近づいて来た。


「怪我も出血もかなりひどい。でも、死なせないよ。

 日本の最高峰の医療技術を舐めんなよって、犯人に言ってやりましょう。待っていてください」

 

 ほぼ半日かかった手術が終わり、竹下は意識が戻らないながらもバイタルが安定した。


「すまない、竹下。捜査に入る」


 それが竹下の意に沿うものだ、と久我山は竹下を取調室へと運び込む指示を出した。


 ふと外を見ると窓の外は真っ暗だった。

 もうすぐ日付が変わる。




 医務官達が万が一に備えて周りで経過を見る中、竹下の捜査が始まった。


 ゆっくりと竹下の記憶がモニターに写り始めるた。

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