File 5 : 竹下翔太 2

「就職してしばらくしてから、兄は仕事がとてもうまく行ってボーナスが出た、ってすき焼き用の高い肉を沢山と大きなケーキを買ってウチに帰って来ました。

 私はすごく嬉しくってケーキたくさん食べちゃって…。そしたらお兄ちゃんが、美波は相変わらずだね、お腹壊すぞって笑って…。楽しかったです。でも、楽しかったのはその日まででした。

 お兄ちゃんは家にあまり帰って来なくなっちゃって…。きっと仕事が忙しいんだねと母と2人で話してたんです。父と母は兄の体を心配してました。無理してないといいけれど、って。私は大好きなお兄ちゃんの顔が見れなくて寂しかったです。

 そんなある日、お兄ちゃんが久しぶりに家に帰ってきたんですけど、別人の様に酷い顔をしていました。母はこんなにやつれて…と悲しい顔をして、たくさん食べなくっちゃって、お兄ちゃんの好きな唐揚げやハンバーグを作ってました。父は辛いなら仕事を変える手もあるぞって声をかけていましたが、お兄ちゃんは分かってるよと答えただけでした。

 私はお兄ちゃんに、何があったのか話して、とこっそりと聞いてみましたが、大丈夫だよ、美波が心配することなんて何もないよって言っただけでした。

 …もっとちゃんと、問い詰めてでも聞いておけばよかった…。もう、遅いけど…」


 美波は竹下の顔を見てポロリと涙を落とした。竹下は美波の背中をそっとさすった。

 

「しばらくしたある夜中、お兄ちゃんがこっそり家に帰って来たんです。私の隣の部屋がお兄ちゃんの部屋だったので、何かを取りに帰ってきたんだなって思いましたけど、お兄ちゃんは自分の部屋には入らずに私の部屋をノックして中に入ってきました。

 お兄ちゃんの顔を見て、私、怖くなってしまいました。あまりに酷い顔色だったから病気なのかと思いました。

『お兄ちゃん。どうしたの』

と声を出した私の口を手で隠しお兄ちゃんは小声で『静かに!』と言いました。そして、ポケットからSDカードを取り出して私に握らせて、誰にも聞かれないほどの小さな声でささやきました。

『美波、これをお前に預ける。この事は誰にも言うな。見せるな。渡すな。親父やお袋さんにもだよ。

 時が来たら俺はこれを取りに来るから、その時まで持っていて欲しいんだ。

 でも、もし…もし万が一…俺が死んだら、お前が1番信用している人、お前の事を守ってくれる人に見せるんだ。

 その時までこの事は誰にも話すな。

 いいな。頼んだ』

 お兄ちゃんはそのまま父にも母にも会わずに帰って行きました」


 美波は2、3回深呼吸をした。


「しばらくして、お兄ちゃんの会社が警察の捜査を受けたとニュースで見ました。

 えっ?って家族みんな驚いて、お母さんが気を失って…。

 お兄ちゃんも捕まったみたいだ、とお父さんが慌てて警察に話を聞きに行きましたが、何も教えてもらえなかったし、面会もできなかった、って言ってました。

 それからは、もう、私にはよく分からない事ばかりです」


 美波はそう言ってポロポロと泣いた。


「お兄ちゃんとは連絡が取れませんでした。そういう時って、家族の面会もできないんでしょうか?

 有名な弁護士事務所の人がお兄ちゃんの担当をしてくださる様だってお父さんが何処からか聞いてきましたけど…。その人からもなんの連絡もなかったんです。

 本当に、誰からも何の連絡もなかったんです。おかしいですよね」


 美波は久我山と田代の顔を見てから竹下に眼を移した。


「おかしい…ですよね、竹下さん。

 その後、随分経ってからお兄ちゃんは自殺未遂で入院している、と警察から連絡が来ました。

 皆で慌てて病院に行きました。お父さんから、お前は家にいろ、って言われましたけど、1人で待ってるなんてできなくって、ついて行きました。

 お兄ちゃんがいる病室の前には、浜崎警察署っていう所の刑事さんが待っていて、何が起きたのかを話してくれました。

 警察に捕まっていたお兄ちゃんは釈放されていて、他の人と一緒に自殺した様だって刑事さんは言いました。

 でも、それもおかしいです。だって、釈放されたのに連絡もしてくれなかったなんて、変です。弁護士さんからもなんの連絡もないままなんです。

 結局、お兄ちゃんの意識は戻らないまま死んでしまいました。

 なぜそんな事になったのか、本当に訳がわからない。何故、集団自殺なんてことになるのだろう。

 悔しくて、悲しい…」


 美波は竹下の眼をじっと見つめて言った。


「竹下さん…。

 私……」


 美波は呟き、竹下の手を強く握った。


「竹下さん、皆さん、どうか本当の事を明らかにして下さい。兄の敵をとってください!

 お兄ちゃんは自分が死んだら私が1番信用している人、私の事を守ってくれる人にSDカードを見せるんだよって言いました。

 私が1番信用しているのは、竹下さんです。だから…」


 そう言って、奥山美波は竹下を見つめた。


「美波ちゃん…」


 竹下も美波を見つめた。



 久我山が軽く咳払いをして、冷静な声で奥山美波に聞いた。


「美波さん、なぜそこまで、この竹下を信用しているのですか?」


 奥山美波は居住まいを治して、久我山の方に向き直った。


「この前、私、痴漢に襲われそうになったんです。そこに竹下さんが通りかかって、私をサッと後ろに庇って痴漢を捕まえてくれました。

 私、怖くって怖くって、メソメソ泣いてしまって…。でも、竹下さんは電話で警察に通報した後に、私にこう言ってくれました。

『怖かったね、いっぱい泣いていいんだよ。泣き止んだら送っていくから。僕、警官だから、大丈夫だよ』

 そして、警察手帳も見せてくれて、ずっとそばに居てくれました。

 その後の警察の聴取も付き合ってくれて、本当に家まで送ってくれて、両親にもきちんと説明してくれて…。

 竹下さんはその後も時々連絡をくれて、大丈夫かいって私を気遣ってくれるんです

 私、竹下さんは言った事をちゃんと守ってくれたんだ、この人は信用していいんだ、その時に思ったんです」

 

「………なるほど…」


 久我山は、美波を見つめながらその手を握り続ける竹下を見て、かすかに微笑んだ。


「私は肝心な事をまだきちんと伺ってませんでしたね?

 お兄さんのお名前を教えて下さい」


「はい、兄の名前は奥山健です。」


 SDカードはどうしますか?と久我山に聞かれ、美波はカバンの中から小さな匂い袋を取り出して、この中に入っていますと竹下に渡した。


 竹下はそのSDカードを握りしめ、確かに受け取りました、と答えた。

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