File 5 : 竹下翔太 1
それは桜の花びらがひらひらと風に舞う、ある日の午後のこと。
特殊捜査研究所の門の前に女子高生がいた。
ほんの少しお化粧をして髪もツヤツヤに整え制服をきちんと着た女子高生は、うろうろとしている様子からこの研究所に用事があって来たのに入れないのだろうと想像できた。
たまたまおやつを買いに外に出ていた田代純子が鼻歌まじりで研究所の角を曲がった時、その女子高生は正門を横目で見てため息を吐いていた。
田代は思わず駆け寄って話しかけた。
「ここに何か御用があるのかしら?
あぁ、警戒しないで大丈夫よ。あたしはここの職員なの。よかったらお手伝いしますけど?」
田代が自分の職員証を見せると、その子はほっとした様にちょっと頬を赤くしながらもはっきりと、声をかけてくださってありがとうございますとお辞儀をした。
「私は奥山美波といいます。
ここで働いている刑事の竹下翔太さんに会いに来ました。お話ししたい事があるんですけど、入りにくくってうろうろしていました」
その子はふうっと息を吐くと強張った顔を緩めて、よかった…と呟いた。
「まぁ!竹下くんのお知り合いなのね?
だったら遠慮は要らないわ。中に入りましょう」
田代は美波の背中をほんの少し押しながら、研究所に入った。
受付を済ませた美波を応接室に通しソファに座らせた田代は、ちょっとここで待っててね、竹下くんを呼んでくるわ、と美波に言ってダッシュで竹下の元に行った。
「竹下くん!ちょっと、ちょっと!すっごく可愛い女の子が竹下君に会いに来てるわよ!
一体どこで見つけた子なのか後で詳しくこの田代さんに話しなさい。
いいわね?」
そう言いつつ、田代は竹下の手を引っ張った。
「えっ?田代さん。ちょ、待って。俺、仕事溜まってんすよ」
竹下の話を全く無視した田代はグイグイと手を引っ張り面会室に戻ると、お待たせしましたねと女子高生に向かってにっこりとした。
「あなたが会いに来たのはこの竹下警部で間違いないですか?」
女子高生は竹下を見るとスチャっと立ち上がってお辞儀をし、竹下さん…とちょっと涙目になった。
竹下の方は女子高生を見て驚いた、と言うより嬉しそうだった。
「美波ちゃん…どうしたの?こんな所まで来るなんて…」
竹下がそんな事を言っている横で、田代はいつの間にかお茶を用意し、ちゃっかりと竹下の隣に座っていた。
「まあ、2人ともゆっくりと落ち着いて。
美波さん、あたし、田代といいます。
警察内ではね、警察官と外部の人は2人きりにはできないの。何も起きなくても後で問題になる事もあるから許可されていないのよ。
だから、あたしも同席させてもらうけど、悪く思わないでね」
田代がそう言ってにっこりと笑うと、奥山美波はこくりと頷いた。
竹下が横目で田代を睨んでから、美波にどうしたの?何があったの?と尋ねると美波は少し俯いた。
「実は兄の事でお話ししたい事があって…。私、信頼して相談できる相手は竹下さんしかいないから…」
そう言われてニヤケ顔をした竹下だったが、これから美波が話す事にどうしてもっと早くに気がつかなかったのか…と長い間苦悶する事になったのだった。
「私にはお兄ちゃ…兄が1人います。
兄の本当のお母さんは兄が赤ちゃんの時に亡くなってしまって、その後で父と母が再婚して私が生まれました。私と兄は7才離れていますけど、みんなに羨ましがられるほど仲良しだったんです」
兄は大学生になると家を出て自活し、一人暮らしを始めた。自分にはよく分からない事が多かったけれど、兄が一人暮らしをしていたのは、歳の離れた私のためだったと思う、と美波は言った。
「兄は介護の資格を取り介護施設でバイトをしながら大学の費用も自分で出して、本当に頑張ってたんです。私の自慢の兄だったんです」
そこまで話すと美波は鼻をぐすんとさせ、田代からティッシュの箱を受け取った。
就職を考える時期が来ると兄は大学で学んだ専門分野を活かしてどこかの企業で経理や財務、などという分野で働きたいなと家族に夢を語ったという。
「お兄ちゃん、頑張れ…って私言ったけれどお兄ちゃんの就職先はなかなか決まりませんでした。焦るな、と父も母もお兄ちゃんに言って見守っていました。
それで、お兄ちゃんは最後の最後に '山本興業' という会社に就職が決まりました。バイト先の親会社の専務さんっていう人からから直々にスカウトさこされたんだって聞いて両親も私も本当に喜びました。
私はお兄ちゃんが今までやってきた事がちゃんと評価されたんだ、って本当に嬉しかったです。そして大きな会社ではないけれど、やりたい事が出来るならよかったね、って皆ですき焼きをしてお祝いしました。父も珍しく酔っ払って…」
「ちょ、ちょっと待って美波ちゃん」
美波がここまで話すと竹下も田代も顔色が変わった。
「ここから先の話、ゆっくりと聞きたいんだけど、いいかな? 僕の上司…先輩にも聞いてもらった方がいいと思うんだよ。美波ちゃんはそうしてもいいかい?」
「側に竹下さんがいてくださるなら、私はかまいません」
奥山美波はきっぱりと答えた。
久我山は田代からの内線電話を受けた。
「竹下君に面会室に来た女の子の話を聞いて欲しいの。とても重要な案件よ。
それから、大事な部下の竹下君のために素敵な上司の格好をしてきなさい。
いいわね?」
(なんで俺が竹下のために素敵にならなきゃなんないんだよ!)
そう思った久我山だったが、田代の言う事は大体間違いないので素直に従う事にして、とりあえずロッカーの中にあるシワの無いジャケットを着て髪を整えて急いで面会室にやって来た。
久我山が面会室のドアを開けると田代が、乗りかかった船だから私も一緒に聞く、と言い出した。
「女の子1人に男2人って、ないわよ!
ねえ、奥山美波さん?」
「…えっ?奥山?」
と言う顔を一瞬だけ見せた久我山は警視正のオーラを少し出し、微笑みながら奥山美波と向き合って座った。
「奥山美波さんですね?私は久我山と言います。竹下の上司です。
私や田代がいると言いにくいことがある時はそう言ってください。竹下と2人で話したいなら、特別に許可することもできますからね」
美波の顔が不安げなのに気がついた竹下が美波の隣に座り、そっと美波の手を握った。
美波は竹下の顔を見て1つ頷き、話し始めた。
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