第40話



私たちの住んでいた町へ向かう馬車の中、ハチも私も口を開かなかった。



車窓を流れる景色は、車内の鬱屈とした空気とはうって変わって雲一つない晴天に恵まれていた。しかし町の様子といえば、折れた農具がころがされ、畑の端で牛が血を流して横たわっていたりした。



人が暮らしているようには思えなかった。これでは戦争が起こる前に、国が潰れてしまいそうだ。



そんな目をそむけたくなるような荒廃ぶりに、屈託のない太陽の光が余計に非現実感を煽っていた。



王宮を出発してから一時間ほど経った頃、押し黙っていたハチが「あのさ」とかすれた声で言った。


「ユウは帰りたい?」


ハチも私と同じように車窓を眺めながら、こんなところ居たくないよね、と自嘲的に尋ねてきた。その答えはすでに決めてあった。


「帰りたいとは思わない」


だから私ははっきりと言った。

ハチは伏せていた目をぱっと開き、何度か瞬きを繰り返した。


「ユウって結構、頑固なとこあるよね」


「私だって色々、考えた結果だよ。中途半端に元の世界に帰ったって、ハチは無事だろうかとか、この世界がどうなってしまったのか、気になって後悔すると思うから。ハチが王宮に私を連れてきた理由と同じだよ。だから私は見届けるまで帰らない」



「そっか」


心なしか、また外に視線を向けたハチの口角がきゅっと持ち上げられた。


「でも、ここはそんないいとこじゃないぞ」と窓をこんこんと小突く。


「そんなことない、だってこの世界にはハチがいるじゃん。それで十分だよ」


「やっすいなあ、本当にそんなんでいいのか?」


「何言ってるの、人生一番の贅沢だよ」



だんだん道幅が狭くなってきた。

斜面が多くなり、私たちの住んでいたところに近づいてきたらしい。


このあたりでバザールなどが開かれていたわけだが、もう見る影もないくらいぼろぼろになったテントや、埃と砂を被ったが机が鎮座しているだけだった。


活気をなくしているなどという域はとっくに超えて、人が暮らしているのかも定かではないほど町は死んでいた。こういう光景を目の当たりにすると、人々が生活をすることによってのみ町は町を保っていられるのだと実感する。



「町の長ももうここにはいないかもしれないな。町の人も、飢えていったか、他の場所に移ったのかもしれない」


「私たちの家はまだ残ってるかな」


「この感じだとわからないな。空き巣に入られているかも」


「あのカーテン残ってたらいいな。コップとかも」


「俺たちの家、あれじゃないか?」



ハチの指さした方向に、私たちの家が見えた。

馬車を止め、そこまで歩いていくと帰りを待っていたかのように、出て行ったきりそのままの姿の家があった。



「よかった。なんか、大丈夫そう」


家に入ろうとノブに手をかけた時、ハチに手を掴まれる。


「待て、俺が開ける」


扉に耳をあて、物音がしないことを確認してから中へ足を踏み入れる。


「どう? 誰もいない?」


「すごい埃っぽい。ユウは袖で口を覆った方がいい」


扉を開けた拍子に空気が砂埃を舞い上げた。

まだ一年も経っていないのに、こんなことになっているなんて。




「この辺りは風に乗って砂が飛んでくるから、掃除してないとすぐにこうなるんだな」


「家の中まで入ってくるんだね。

……あ! 私のお気に入りのカーテンあったよハチ!」


「結構、砂被ってるけど持っていくのか?」


「ハチが買ってくれたんだよ? これ大事にしてるの。ここに置いていけないよ。王宮に行くときに一緒に持って行っておけばよかったなー」


カーテンレールから取り外して、できる限り砂を払う。少し黄ばんでいるけれど王宮へ戻って綺麗に手洗いすれば落ちるだろう。


「また新しいの買ってもいいんだぞ?」


「これがいいから、いいの」


レースのカーテンをぎゅっと胸に抱き寄せる。

大切なものが一つ増えるごとに、それを失う怖さもまた募っていく。


でも、もしかしたら幸せの本質とはそういうことなのかもしれない。

幸せとは、失うことの恐ろしさを誤魔化すための方便。


だったら、私は今、幸せだ。






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