第33話



ふと視線が彼の髪に移った。髪に何かついている。


なんだろうとラルク様に手を伸ばすと、彼は表情を一変させて「やめろ!」と私の手を払った。



「す、すみません!」



その剣幕に驚いて、手を引っ込め頭を下げる。

急に触ろうとするなんて、王族に対して失礼だった。身をわきまえていなかった私が悪い。



「あ、いやすまない。驚いて……僕の髪に何かついていたかな」



動揺を取り繕うように苦笑いを浮かべるラルク様。



私が触れようとしたことに対して怒ったというよりも、とっさに、反射的に、本能的に避けようとしたようにも思えた。



「えっと、花びらが」


「ああ、さっきユウさんを探しに外へ出たから、その時についたのかも。

良ければ、取ってくれないかな」


「よ、よろしいのですか」


「さっきは驚いただけだから……」



そう言って俯くと艶のある黒髪が、表情を隠した。



どうしよう、これ以上深入りするのが怖い。メイド長やドリスさんの言っていたことがほんとなら、ラルク様は相当つらいことがたくさんあったのだろう。



彼を見ていると心がざわめく。



どうせ何もできないと、自分自身への期待を捨てて現状に甘んじていることがいかにバカなことか、ラルク様やハチを見ていると思う。



それを受け止めて言葉にしたくなくて、曖昧にして目を背けていたけれど

多分それじゃあダメなんだ。



何もかもが不足なく揃っているようなこの王宮にだって、ラルク様のように孤独に戦ってきた人がいる、何も持たない不足だらけの私だって誰かの役に立ちたい。



日本でも、ここでも私は誰かのために頑張ったことなんてなかった。

孤独を嘆き続けてうずくまっていた私に今強い風が吹いた気がする。




ちゃんと向き合おう、ハチにもラルク様にも。



「では、失礼しますね」



ラルク様に改めて手を伸ばす。


今度は彼は頭を少しこちらに傾けて、小さい声で「お願いします」と恥ずかしそうに言った。



桜の花びらだ。花言葉は、純潔、精神美。



気高い精神の傍らには、儚い尊さもある。

まるでラルク様みたいだ。



「そのまま」ラルク様が言う。


「え?」


「そのままでいて」



私の手はラルク様の頭の上にある。


花びらを持ったままどういうことか考えて、私は艶やかな黒髪に触れた。男の人なのに絹のような手触りで梳いていると、光の加減で青くも見えてくる。



「きれいな髪ですね」


「母譲りなんだ。彼女は僕のことは嫌いだっただろうけどね、僕はこの黒髪を気に入ってるんだ」



しばらくそうして撫でているうちに、ラルク様の体の力がふっと抜けた。

こてんと私の膝に頭を乗せ、寝息を立てて眠りについてしまった。



「ラルク様?」



呼んでも返事はない。規則的な呼吸音だけが部屋にこだまする。

つられて私までうとうとしながら黒髪を撫でる。



私はどのくらいそうしていただろう、外が暗くなってきたころ部屋の扉がものすごい音を立てて開いた。私の意識が胸倉をつかまれたように現実に戻される。



何事かと思って、入口を見ると護衛の人たちに羽交い絞めにされながら乗り込んできたハチと目が合った。



「おいこら、くそ王子」



ハチはもうすでにナイフまで抜いている。

これはまずい。膝に頭を預けていたラルク様も「ううーん」と唸って目を覚ました。



「ああ、えらいところを見られてしまった。僕たちの秘密の逢引きだったのに」



体を起こして足を組むと、

ラルク様は私の肩を抱き寄せてあからさまにハチを挑発した。


「あ、逢引き!?」


私はびっくりして、飛びのいた。

ラルク様は手を降参のポーズにして「嘘だよ」とほほ笑んだ。


しかしハチの怒りは収まらない。護衛の人たちを振り切って、一瞬のうちにラルク様の喉元にナイフの刃をあてる。ハチの目には彼の喉しか映っていないのだろう。


「やめてハチっ!」


ハチがナイフを引けば、喉を掻っ切ってしまう。

私の声は届かない。ラルク様もなぜこんな無意味な挑発をしたのだ。



「彼女は君のものじゃない」


冷静すぎるラルク様と対照的に、もういつ一線を越えてもおかしくないハチ。


「ユウは俺のものだ。ユウは俺だけを見て、ずっと俺のそばにいればいい」


「もし、ユウさんが君を選ばなかったらどうするんだ」


「選んだそいつを殺す」


「へぇ、じゃあ君は僕を殺すんだろうね」


「どういうことだ」


「ユウさんは僕をえらんだからだよ」



その言葉が引き金だった。

ハチの血走った目が恐ろしいと、この時はじめてハチを怖いと思った。


ナイフを持った手に力が入る。

あ、だめだ。ハチは今、何の躊躇もない。



私は考えるよりも先に飛びつくようにナイフの刃をつかんだ。

血が、涙のように滴る。最初はぽたりぽたりと、次第にラルク様の服が真っ赤に染まっていく。



「やめてよ……傷つけないで……」


ハチとラルク様の時がすっかり止まってしまったように、固まっていた。


「ど、どうしよう……ユウ。血が……」


怯えたようにしてハチが血濡れになったナイフから手を離す。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る