第31話

「あんたユウって言ったっけ。ちゃんとあの番犬小僧の手網握っておけよ。あれは、俺ですら手を焼く狂犬だぞ。なんかあった時、止められるのは嬢ちゃんだけだろう」



「ハチは強いから、私には止められないですよ。すぐに吹っ飛ばされちゃう」



「違う、そういった意味ではない。これは心の問題だ、誰の言葉に耳を傾けるかっていう」



「心の、問題……」



「これは内緒の話だけどな、ラルク様の護衛として嬢ちゃんの様子を見に行った時に初めてあの番犬小僧を見た。


それまでよくあいつの噂を耳にしていたが、殺人鬼だの暗殺者だのもう手を付けられないやつだって。


そんなやつをラルク様が護衛に迎えるなんておっしゃるから、俺も同行すると申し出たんだ。


そしたら、噂とは少し違った。

夜、嬢ちゃんが寝た後仕事に出ていくときの顔つきと、帰ってきて嬢ちゃんといるときの顔つきがまるで別人だった。


あいつ、心底満たされた顔をしていたから。

あれを見ていなかったら、俺はここであいつの指導係になることを断っていただろうな」




「ハチは誰を信じればいいか、信じて裏切られはしないか、そういうことに誰よりも慎重なだけで本当はとても……」



そこで、ドリスさんが急ブレーキを踏んだように止まった。



「ふぁっ!?」


「ラ、ラルク様!」



ドリスさんが雄たけびのような野太い声を上げる。


大きく上下に揺さぶられたかと思えば、床が近い。ドリスさんがしゃがんだからだった。


うぇっと上品とはかけ離れたうめき声が出た気がしたが、気にしている余裕はなかった。



「ああドリスか、あのお嬢ちゃんを見なかったか。今探して……」



ラルク様の声がしぼんでいく。

おそらく、きっとその視線が私のお尻に注がれているのだろうと察しがつくので、どうにも居心地が悪かった。



そして今、担がれておしりをそちらに向けているのがラルク様の探し人だと、ドリスさんもラルク様も勘づいているはずだ。


どこから突っ込めばいいのだ、何がどうなってこうなった。

沈黙からそんな声が聞こえてくるようだった。



「えっと、その嬢ちゃんが城内で迷子になっておられまして……おっ、暴れるんじゃない」



ドリスさんが説明してくれようとするので私はいても立っても居られず、もぞもぞと彼の肩から這い出でた。



そして、2人の視線を一身に集めながら、すくっと立ち上がる。



あと数秒あのままだったら恥ずかしさで顔から火が出るところだった。



そしてラルク様の方へくるりと方向転換して、ちらと顔をうかがう。



彼の真っ黒なすべてを見通してしまいそうな鋭い目が大きく見開かれ



私の心情を推し量ってか、懸命に笑いをこらえて肩を震わせていた。



「す、すみません。一度、部屋へ伺ったので場所はもう分るとメイド長の案内を断ってしまって。歩いているうちに、迷子に……なりました」



申し訳ありません。二度目の迷子報告も正直に告げた。

なんて情けないんだ、ハチだってちゃんと訓練を頑張っていたのに。



「そうか、災難だったね」



ラルク様は優しかった。


一生懸命、笑わないようにしてくれているけれど、この時ばかりはいっその事、怒鳴っていただいた方が気が楽だった。


いや、まだ分からない。これからこっぴどく叱られる可能性もあるはずだ。私はゴクリと唾を飲む。




「連れてきてくれて助かった。ドリスも訓練に戻ってくれて構わない」


「はい。ラルク様、それではこれにて失礼いたします」



ドリスさんは私に親指を立てて、グッドラック、と口をパクパクさせた。


ラルク様直々に探しに来られて、お手を煩わせてしまった私に命などない。生きて帰れよ、ということか?


これが嵐の前の静けさ、というやつなのだろうか。


「さあ、僕の部屋に行こう」


サラサラの髪を耳にかけながらラルク様が目配せして、私についてくるように促す。

表面上、怒った様子はないラルク様だが、それが余計に怖い。



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