風見鶏は前を向く

第20話




世界情勢が大きく傾いたのは、師匠の家をあとにしてから一週間後のことだった。



ユージニアは四大陸にわかれており、それをまとめ上げている皇帝が床に伏せったのだ。



その間、私は師匠の病状のことをハチに伝えることは出来ずにいた。

言わないで欲しい、と口止めをされていたこともあるが、それがなくとも私は言えずにいただろうと思う。



それに治安悪化に伴って朝のバザールの出店数も激減し、食料を調達するのも困難になってきた今となっては私たちの暮らしの方が悩みの種でもあるのだった。



「そうなるとどうなっちゃうの?」


「俺たちの街も今まで以上に物騒になるだろうな。第一王子が臨時で政治運営をしているみたいだが、困ったことにどうしようもない王子らしい。

最近、警備隊の姿も見かけないし、この街ももっと無法地帯になっていくだろうな」



「うかうか外にも出られないね」



「しつこいだろうけど、絶対一人で外に出るなよ?」



私はふと思う。ハチはこんなにも過保護だっただろうか? たしかに出会った当初から優しい人ではあった。


足が痛い私をあっさりと担いで運んでくれたり、オークションで売り飛ばされそうになった時だって助けてくれた。


それに家から出る時には先に辺りを見渡してから私を行かせたり。


洗濯物をしに行くだけでも数歩後ろから私を見守り……。と、ここまで考えて、これは過保護なのかと思う。



結構前から過保護だった可能性もでてきた。



だって街の女性は普通に一人で出歩いているし、さすがに子供が一人でいるのは見かけないが、いつも私の護衛のようにぴったりと後ろをついてくるのはハチくらいだった。



「そんなに危なっかしいかなあ」


「警戒心ゼロのユウが、街を歩こうもんなら家の扉に手をかけた時点で攫われるね」


「えー、そんなに?」



ハチが大きく頷く。

それでも最初よりかは、私にも警戒心が備わった気がするのだけれど、ハチからすれば微々たる変化なのだろう。



「私にも護身術が使えたらなあ……。あ、そうだ!ハチ教えてよ護身術!そしたら──」



「ダメだ」キッパリと断られた。



「ユウが危険を犯すことはない」



ハチは静かに首を振った。


自分の身すらも守れない私は、米俵よりもお荷物だろうに。お米は人の糧になるけれど、私は食べても美味しくないし栄養にすらならない。



「でも、もしものことがあれば私だって役に立つかも!」



「やめてくれ、お願いだから。俺の傍から離れなければユウが傷つくことは無い、約束しよう」



時々、ハチはこうやって祈るように私を宥める。

わかった、と頷いてしまいたくなるほど切実にハチはゆっくりと言葉を私にねじ込むようにして言う。


ここで首を縦に振ってしまったら、それこそ私はハチの人形同然だ。守って、手入れして、囲って貰うだけじゃいけない。だからちゃんと伝えないと。



「………違うの。私が襲われたり、外に出て怖い思いをするから護身術を習いたいんじゃなくて、私も、ハチを守りたいの。

ハチが危険を犯して私を守ってくれたとしても全然嬉しくない。ハチが傷ついたら、私は心が痛いよ」



おねがいだから、盾にならないで欲しかった。

私を大切に思ってくれる人をずっと求めていたけれど、自分を犠牲にして欲しくなんかない。


私にとっての大切な人が傷だらけになっている姿を見るのは、心が耐えられない。



ハチははっとした表情で私を見ていた。



「どうしたの?」


「……心が痛い」


雫のようにぽつりとハチの口から溢れた。


「……え?」


「ああ、師匠が言っていたのはこれか……。ユウは俺の大切な人だから、傷ついて欲しくないんだ」



私は首を傾げる。私に返答を求めると言うより、噛み含めて自分の中で咀嚼しているようだった。


彼は少し興奮しているようでもあり、その姿をぼーっとみていた私の手を掬うと、ギュッと握って


「やっぱり俺、ユウのことが大好きなんだ」



と無邪気に笑った。

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