第12話 二人だけの帰り道—②

 坂道を下ると交差点を渡り、俺たちは住宅街の通りを歩いていく。


 そして俺は昼の時から気になっていたことを千歳に聞いた。


「お昼に星野さんたちが言ってたことは本当なの? 誰とも付き合ったことが無いとか、男子の前だと実は緊張するとか……」


「そ、それは玲奈たちが冗談を言ったんだよ……。ほ、ほんとどうしてあんな冗談つくのかなぁー!」


「冗談ねえ……」


「も、もしかして天崎くんは私が恋愛したことないと思ってる……? や、やだなー、そんなわけないじゃん! そのくらい普通にあるし……」


「それなら千歳さんはキスの経験もあるの?」


 少し踏み込んだことを聞くと、千歳は「ふっ」と軽く吹き出した。もっと焦ったりすると思っていたのに、彼女は澄ました表情で俺を見る。


「キスなんて当然してるよ。むしろ、海外に住んでた時は毎日してるレベルだし」


「ま、毎日? そんなに外国ってキスするの?」


「まあね。キスなんて普通の挨拶と一緒だし、このくらい誰だってするよ!」


 そう言う千歳は胸を張りながら、ふぁさっと自分の髪を後ろに流した。

 

 確かに千歳が嘘をついてるようには見えない。これまでたくさんモテて来たわけだから、そういう経験があっても不思議じゃなかった。


「さすがモテる人の言うことは違うね。、普通のキスのことを言ってるんだよね?」


「…………」


「あれ、どうしたの急に黙って? それに少し顔も赤いようだけど?」


「き、気のせいじゃないかな! きっと夕陽とかで赤く見えるんだよ……!」


 千歳はそう誤魔化すけど、まだ夕日の出る時間じゃないし、どう見ても顔だけが赤かった。この反応は明らかに怪しい。

 

 だから、もしかしてと思って俺は鎌をかけてみる。


「あー、なるほど。でも急に黙るから、実は普通のキスをしたことが無くて恥ずかしがってるのかと思ったよ。まさか、そんなはず無いのにね……」


「そ、そうだよ天崎くん……! 私はずーっと普通のキスの話をしてたんだから! そんなことより、天崎くんの方こそキスしたことないの? 私にばっかり聞くのはずるいと思うなぁ」


 すると自分の話から反らしたいのか、逆に質問返しをされてしまった。何という自然な切り返し。さすがは普段から回し役をしているだけある。


「昨日は恋愛経験があるって言ってたし、当然天崎くんもキスの経験くらいあるんだよね?」


 口調こそ優しいけど、その目は笑っていない。


 ついさっきまで話の主導権を握っていたはずなのに、あっさりと立場が逆転してしまった。


「き、キスは……」


 その時、昔の記憶が一瞬よぎった。


 そう言えば……、あれは俺がまだ小さい頃の話。


 浜辺にある教会の中で、俺はとある女の子のほっぺにチークキスしたことがあった。俺の中ではそれも立派なキスに入る。


 だってチークキスにもってついてるし!


「もちろんあるよ!」


「確かに、その顔は嘘をついているようには見えないけど……」


「当然だよ。だって嘘じゃないし!」


「ふーん……まあ、そういうことにしとこうかぁ」


「だから嘘じゃないんだって!」


 どうにかこの質問を切り抜けることが出来て、俺はひとり安堵する。しかし相手のことを聞き出すには、自分のことも聞かれる覚悟が必要らしい。


 本当はもっと踏み込んだ質問もしたいが、そうなると俺に話が振られた時にボロが出ないか心配だ。


 だからその代わりに、俺はもう一つ気になっていたことを聞くことにする。


「そう言えばさ、どうして星野さんたちに付き合ってるなんて嘘ついたの?」


 あの時、俺もその嘘に加担してしまったので、別に千歳を責めたいわけではない。


 ただ単純に千歳の意図が知りたいのだ。


 話すことをためらっているのか、少しの間が開く。


 それでも俺は待った。


 すると千歳は自分の髪を触りながら、ゆっくりと口を開く。


「私は玲奈や有希、いや他のみんなの前でも完璧な自分でいたいんだ。そんなの傲慢だって思われるかもしれないけど、どうしても自分の弱い所を見せたくなくて。だから、あの時はついつい見栄を張ったの……」


「それが理由?」


「うん、ほんと笑っちゃうよね。でも、この病気は直せないんだ。今までも格好いい自分であろうとしてきたから、弱い自分を見せられない……」


 そう儚げに笑う千歳は、今まで見た事がないほど頼りなくて、だけどその目には強い信念のようなものが見えた。


 俺にとっての千歳梨花はスター性を兼ね備えていて、誰からも愛される完璧な人間だ。その考えはこれからも変わらないだろう。


 だけど千歳の中には俺たちの気づかない悩みがあって、それを今まで誰にも話さずに隠し通してきたなら、それはきっと辛いことだと思う。


 千歳がいくら完璧な人間だとしても、ずっと完璧でいるのは大変だ。


「やっぱり千歳さんは凄いよ……」


「えっ?」


「そこまでして見栄を張るのはどうかとも思うけど、でも素直に凄いなって思うよ。俺にはそういう信念みたいなものは無いし、格好いいと思う……」


「…………」


「えっと、千歳さん?」


「……天崎くんはずるいよ」


「ずるい? 俺が?」


「そうだよ、君はずるい! 天崎くんを追いかけてきたのも、実はこの件について謝りたかったからなんだよ。それなのに君が私をそんなに褒めるから……余計に謝りにくいじゃん……」


「そうだったの? でも本当に格好いいと思ったから言っただけだし……」


「もうそれは良いから! 天崎くん、お昼は本当にごめんなさい! 私のわがままに付き合わせちゃって。それに玲奈たちの前で嘘ついて……」


 その場で立ち止まると千歳は頭を下げて来た。


「それはもう過ぎたことだし別に良いよ。それに俺も嘘に加担したわけだし」


「天崎くんはもっと怒って良いと思うんだけど? だって君に迷惑をかけたのは私なんだし、元はと言えば私が彼氏のフリを頼んでしまったからこうなったわけで……」


「いや、正確に言うと千歳さんに頼まれてないよ? 彼氏のフリも、お昼の嘘も、全部俺が勝手にしたことだから」


「でもそれは、私の都合に合わせてくれたんでしょ?」


「それはまあ、そうだけど。でも俺は断ることも出来たわけだし。それをしなかったのは俺なわけだからさ」


 それに納得してないのか、千歳は口を引き結んでいる。そのせいで口の横に小さなえくぼが出来ていた。


「天崎くんは優しいんだね……」


「それを言うなら千歳さんの方がもっと優しいだろ。いつもみんなに気を遣ってるし、俺はそこまで出来ないよ……」


 俺も気を遣いがちだから分かる。

 あれは自分でも気づかずに精神がすりへる行為なのだ。


 それを千歳はいつもたくさんの人に対して行っている。それは紛れもなく、相手を尊重する気持ちが強い証拠だ。


「だから、ほんとにそういうところだよ?」


「えっ、何が?」


「それは内緒……」


 いたずらっぽく人差し指を口に当てると、千歳はクスっと笑った。だけどほんとに何のことなのか分からず、俺は困惑するしかない。


 それに千歳は気づいて無いのだろうが、そんな可愛い顔を一介の男子に向けるのは精神衛生上は良くない。


 並みの高校生なら一瞬で恋に落ちたところだ。


「もうここまで来たんだね」


「あー、そう言えば……」


 千歳に言われて前を見ると、T路地の分かれ道に来ていた。千歳の家はここを右に曲がり、俺は左に曲がる。


「それじゃあ俺はここで……」


「あ、ちょっとだけ待ってくれるかな! 今、スマホ持ってる?」


「え? まあ、持ってるけど……」


 そして千歳はカバンに手を入れると、中からスマホを取り出した。そしてその画面を上にして、俺に差し出すように向けてくる。


「学校以外でも色々と話したいし、私とIine交換してくれないかな?」


「え、でも……。どうして俺なんかと……?」


「それは良いから、ほら早くスマホ出して」


「は、はい……」


 しかし押しに弱い俺はすぐにスマホを取り出した。


 そして緊張しながら千歳のQRコードを読み取り、俺はこの日家族以外で初めての連絡先をゲットした。



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