第8話 イチゴ牛乳を求めて

「わ、私は天崎くんと……」


 緊張の張り詰めた空気の中、緊張したように千歳が口を開いた。


 次の瞬間、


「なーんてね、冗談だって千歳さん!」


「じょ、冗談……?」


「いや~、ごめんごめん。試すようなこと聞いちゃって。だからそんな赤い顔で睨まないでよー」


「っっ~~~~!」


 怒りと羞恥心で涙目になった千歳は、山田先輩の顔を悔しそうに睨みつけた。


 しかし山田先輩は飄々とした態度を変えることなく、俺たちの方を面白そうに眺めている。


(ほんと、この人が何をしたいんだよ?)


 俺の方まで無駄に緊張してしまい、息を整えるようにゆっくりと肩を落とした。


「まあ、これ以上は噂を広めたりはしないから安心しなって」


「本当にその言葉を信用して良いんですか? 不安しか無いんですけど?」


「天崎くんも俺を何だと思ってるの? 俺はこう見えてもちゃんと約束は守る人間なんだよぉ?」


 それを聞くとさらに信用できないんだが。それに山田先輩がこんな口約束を守るようには思えない。


 どうしようかと悩んでいたら、それまで恥ずかしさにひとり悶えていた千歳が話に入って来た。


「……分かりました」


「ち、千歳さん本気? だってあの山田先輩の言葉だよ?」


「それなら大丈夫。今のでちゃんと言質は取ってあるから」


「言質……?」


 そう聞き返すと彼女は制服のポケットからスマホを取り出し、その画面を見せてくれた。見れば録音画面になっていて、数分前から録音されている。


 いつの間にそんな探偵みたいなことをしてたんだ?


「録音って……やっぱ俺のこと全然信用してないじゃん?」


「当然ですよ。噂と言えど迷惑行為には変わりませんし、次にこんなことをして来たら然るべき対処をさせてもらいます」


「心配しなくても変なことはしないって」


 その時、この話に終止符を打つように予鈴のチャイムが鳴り響いた。


 山田先輩は軽く首をさすりながら、ふぅーと息をつく。


「それじゃあ教室に帰るわ。君らも遅れないようにしなよ?」


「言われなくても分かってますよ」


「それと、君らの関係が少しでも長く続くことを陰ながら祈ってるよ……」


 最後にそう言い残して、山田先輩は自分の教室に帰っていく。


 いちいち言葉が鼻につくけど、イケメンだからなぜか板についてるんだよな。


 ほんと鼻につくけど……。


「それじゃあ私たちも教室に戻ろうか?」


「いや、俺はもう疲れたし、今日は家に帰ろうかと……」


「普通にだめだから。それに一人だけ逃がしたりはしないよ?」


「ですよねー」


 それにしても朝からこんなに疲れるとは思ってもいなかった。これも全部、山田先輩が流した噂のせいだ。


 それにまだ問題は解決したわけじゃない。

 あの教室に戻ると言うことは質問攻めに合うわけで、想像しただけでため息が出る。


 それに——、


「ん、どうかしたの?」


「あっ、いや何でもないよ……」


 どうしてか分からないけど、さっき言いかけた千歳の真意がどうしても気になってしまうのだ。


『わ、私は天崎くんと……』


 あの後、千歳が何を言おうとしていたのか、凄く気になる。


 千歳が俺の事なんて興味が無いことは分かってるけど、それでも気になるものは気になるのだ。


 しかしそれを聞くのも何だか気恥ずかしくて、俺はむず痒い思いを抱えながら教室に向かった。



☆☆☆



 あの後、教室に帰ってからの記憶がほとんど無い。


 分かっているのはたくさんの人から質問攻めを受けたことと、男子全員からずっと殺意を向けられていたことだ。


 だけど質問にどう返事をしたのかまではよく覚えていない。


 目が回るほど千歳との関係を聞かれ続けて、自分でも何が何だか分からない状態になっていたのだ。


 そして——気づけば昼休憩になっていた。


 ここにいたらまた囲まれるので、俺は真っ先に教室を出る。


 そして俺の足は自然と購買に向かっていた。今の俺にはイチゴ牛乳が必要だ。


 この乾ききった脳みそを回復できるのはあれしかない。

 俺は購買に入ると、お目当てのイチゴ牛乳を(残り一本)取ろうとして手を伸ばす。


 だが、伸ばした手が誰かの手とぶつかった。


 力なく横を向けば、そこには最近見慣れてきたハーフ美少女の千歳がいて。


「ち……千歳さん……」


 彼女の目もやつれていて、朝よりもげっそりした表情になっている。

 きっと彼女もたくさん質問攻めに合ったのだろう。可哀そうに。


「あ……天崎くん……」


 ゾンビのような遅い動きでお互いに視線を交わす。


「もしかして天崎くんもイチゴ牛乳を買いに来たの?」


「そうだけど、もしかして千歳さんも?」


「うん……。でも、残り一本しかないみたいだね……」


「そうみたいだね……」


 少しの沈黙が流れた後——


 俺は千歳よりも先に動いていた。


 最後の力を振りしぼってイチゴ牛乳に手を伸ばす。これがアニメだったら、きっとスローモーションの動きになっているだろう。

 

 そして俺の手中にイチゴ牛乳が収まる、そう思った瞬間。


 するっと上から伸びる千歳の手によってイチゴ牛乳が奪われた。


(俺のイチゴ牛乳があああああ!)


「いやー、ほんとごめんね天崎くん。でもこれは勝負だから仕方がないよね!」


「ああ、そうだね……。俺はこの熱くて甘いお汁粉で我慢するよ。あっつ! それにあっま!」


 現在、俺と千歳は購買から少し離れたベンチで脳を回復させていた。


 だけど口が冷たいイチゴ牛乳になっていた分、この熱いお汁粉だと十分には回復できない。そのせいか自然と視線が千歳の持つイチゴ牛乳に移っていた。


「ねえ、そんなにイチゴ牛乳が欲しかったの? ちょっと可哀そうだから少し飲んでも良いよ?」


「へえっ? い、いや別に大丈夫だし、それに……」


「それに? あー、そっか。もしかして私と間接キスになるとか気にしてるんでしょ?」


「は、はあ? そんなわけないじゃん。別に間接キスくらいどうってことないし!」


 千歳の前では俺は恋愛経験があるって設定になっている。


 昨日、千歳の前で強がったばっかりに、今さら嘘でしたなんて口が裂けても言えない。


 だから今さら恥ずかしがる姿を見せてはいけないのだ。

 そんなことをすれば俺の設定に矛盾が生じて、俺が恋愛経験ゼロだとバレることになる。


 それだけは俺のプライドにかけて、何としてでも回避せねば!


「そ、それなら飲もうかな。でも俺だけ飲むってのも悪いしさ、千歳さんもお汁粉飲みなよ?」


「へえっ? いや私は別に、その……」


「え? もしかして千歳さんの方こそ間接キスが気になってるんじゃないの?」


「は、はあ? そ、そんなのありえないから! 何言ってんの天崎くん? か、間接キスくらいしたことあるし、別に恥ずかしいとかそういう感情なんて無いんだから……!」


「そこまで言うなら交換する?」


「そ、そうね。天崎くんがそこまで言うんだったら、こ、交換しようかな……」 


「……じゃ、じゃあこれ……」


「……私のも。はい、これ……」


 俺は千歳と飲み物を交換すると、持ったまま固まってしまった。


 こんなところで怖気づいたら、ほんとに恋愛経験ゼロだとバレてしまう。

 千歳はきっとこういうのにも慣れているのだろうが、俺にとっては初めての経験なのだ。


「あ、天崎くん飲まないの?」


「そういう千歳さんこそ持ったままじゃん? こういうの慣れてるんじゃないの?」


「な、慣れてるよ。でもせっかくだし、一緒のタイミングで飲む? せっかくだし!」


「まあ、せっかくだしね。じゃあ、3、2、1のカウントダウンで飲む?」


「う、うん……。でもそれって1の後すぐに飲むの? それとも1の後にせーのって言ってから飲むの?」


「なら、1の後にせーのって言うよ。だからその後に飲む流れで」


「う、うん。それなら天崎くんが数えてくれる?」


「わ、分かった……」


 ごくりと俺は息を飲み、ゆっくりと息を吸った。


「そ、それじゃあ行くよ。3、2、1。せー」


「ああー、ここにいたー! アタシたち、ずっと二人を探してたんだよー!」


 しかし俺が最後まで言い切る前に、千歳の友人(星野と長岡)がこっちにやって来た。


 結局、間接キスは出来なかった。

 


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