第7話 広がる噂

 次の日の朝、俺はいつものように高校の坂道を登っていた。


 この坂道は『並坂』と呼ばれていて、高校の名前はここから来ている。だが実際は急な坂道で、全然並みの坂ではない。


 せめて『急坂』に変更しろとここを通るたびに思う。


 朝から大量の汗をかきながら坂道を登っていると、いつもは気にしない周囲がなぜか気になった。


 見れば、周りの生徒が俺の方をちらちら見ていて、俺が視線を合わせるとすぐに視線を外された。


(なんなんだ?)


 ぼっち歴4年目にもなると今さら人の視線なんて気にしないけど、それでもあからさまにこっちを見られるのは不愉快だ。


 それは校門を抜けるとますます酷くなる。


 さっきまでの視線はその数倍になり、俺の方を見ながら口々に何かを言っている。 

 遠くて内容は聞こえないけど、要所要所に分かる単語が聞こえた。


「もしかして……あんな童貞っぽい陰キャが……あの噂の……」


「いやでもアレだし……まさかそんなわけ……きっと誰かがデマを流して……」


「あんな冴えない奴が……俺らのアイドルと……もしそうだったら絶対〇す!」


 なんだろう、凄く嫌な予感がする。


 今聞こえて来た内容の中に「〇す」ってワードが聞こえたんだけど。


(俺、何か怒らせるようなことでもしただろうか?)

 

 ぼっち生活で身に着けたヘイト管理は割と上手い方だと思うんだけど。

 しかし誰も俺には話しかけて来ないので、まだ勘違いという可能性も十分ある。


 だから俺は周囲の視線を無視して校舎に入り、二年一組の教室のドアを開けた。


 まさにその瞬間、


「千歳さん、あの天崎と付き合ってるって本当ですか?」


 俺の耳に飛び込んできたのはとある男子の声だった。


 クラスの中ではたくさんの男子女子に取り囲まれた千歳の姿があり、そこでさっきまでの嫌な予感が確信に変わった。


「いえ、それは……あっ、天崎くん……!」


 すると千歳はドアの前で突っ立っている俺に気づき、それと同時に他の生徒たちも俺の方を見つめて……いや、睨みつけてくる。


 そのほとんどが殺意か敵視で、俺は今すぐ家に帰ろうと踵を返したのだが、ぎゅっと腕を掴まれた。


 振り返ると千歳が上目遣いで俺を見上げていて、天使のスマイルを向けてくる。


「千歳さん、この手を放してくれないかな? 俺、急な用事を思い出して……」


「ううん、やだ。天崎くん一人だけで帰さないよ?」


 千歳は可愛くそう言ってくるけど、その目は全然笑っていない。


「それとちょっと話があるから一緒について来て!」


「えっ、あっ……!」


 急に腕を引かれてしまい、遠心力で前かがみに倒れそうになった。だけどどうにか踏ん張って、俺は千歳と一緒に教室を出る。


「ふざけんな! 天崎の分際で俺たちの千歳さんに触れやがって!」


「冴えない陰キャの癖に生意気なんだよ! あいつは絶対許さねえ!」


「あの野郎、千歳さんと一緒に逃げやがったぞ! 次会ったら絶対〇す!」


 後ろの方では男子たちのやっかみが聞こえてきて、この時もう二度と俺の高校生活に平穏は来ないのだと悟った。


 しかし今は悟ってる場合じゃない。今はこのおかしな状況について聞かなければいけない。


「千歳さん、一体どうなってるですか? それも俺たちが付き合ってるなんて噂、一体誰が……?」


「そんなの決まってるよ。山田先輩しかいない」


「山田先輩……? でも、何でそんなことを……」


「さあね。私に仕返しをしたつもりなのか、それとも楽しんでるのか……。それは直接聞いてみるしかないよ。でもその前に、これ以上噂が広まらないように止めないと!」


 確かに山田先輩が噂を流しているのだとすれば、噂を流した本人から正すしかない。これだけ噂が広まっているのだから、一人一人の誤解を解くなんて無理だ。


 俺は千歳に引っ張られる形で廊下を進み、たくさんの注目を浴びながらも、ようやく三階の山田先輩がいる教室までやって来た。


 そして扉をノックして教室の中に入ると、俺と千歳は三年生たちから一心に注目を集めてしまう。しかしそんな視線には慣れているのか、千歳が毅然とした振る舞いで一歩前に出た。


「私たち、山田先輩に噂の件で話があるんですが!」


 すると男子女子に囲まれていた山田先輩が、こっちに気づいて歩いて来る。


「おー、これはこれは千歳さんじゃないか。おまけに、天崎くんもいるようで」


「どうも……」


 俺は怒りを含んだ目で山田先輩を睨みつける。


 もしもあの噂を流したなら絶対に許さない。俺の積み上げて来た平穏な高校生活を一日でぶち壊したんだ。この罪は重い。


「まーまー天崎くんも落ち着いてさ、ここは俺に任しなよ」


「わ、分かりまし……」


「ねえみんなー、この二人があの噂のカップルだよー!」


 この人を信じた俺が馬鹿だった。


 そして次の瞬間、教室にいる先輩全員が拍手をしてきて、あっという間にお祝いの雰囲気に様変わりした。


「二人ともおめでとー!」


「いえ、ですからあれは噂であって……!」


「これはほんとに違うんで……!」


 俺たちが声を張り上げて誤解を解こうとするが、先輩たちの声にかき消されてしまう。気づけば俺たちを取り囲むように先輩たちが輪を作り、なんだか見世物の扱いを受けている気分だ。


 その輪の最前列でニヤつく山田先輩を、千歳は「ちょっと来てください」と片手で引っ張った。


「天崎くん、場所を変えよう! ここだと山田先輩の手の上で転がされるだけだから!」


「うん、ここだと話にならないし」


「え、なになに連行されんのー。え、マジでー」


 うるさい山田先輩を連れて先輩たちの輪を切り抜ける。そして俺たちは人気の少ない渡り廊下の方に向かった。


 第一校舎と第二校舎を結ぶこのエリアは一面ガラス窓の広い空間で、自販機やら横長の椅子などが置かれている。ここならやっと落ち着いて話せる。


「それで噂のカップル様が俺に何の用かなぁー? もしかしてラブラブなところを見せつけてくれんのー?」


「そうじゃありません。というか、この噂を流したのはあなたですよね?」


「うん。そうだよ。俺が流した。てへっ」


 何がてへっ、だ。

 舐めんじゃねえぞこの野郎!


 思わず手が伸びそうになったが直前で押しとどめる。

 俺が理性と自制心を持った平和主義者なことに感謝して欲しいね!


「……素直に認めるんですね。でも何でこんなことをしたんですか?」


 俺は冷静さを保ちながら、落ち着いて山田先輩にそう聞く。


「えー、それ聞いちゃう?」


「良いから真面目に答えてください」


「もう、天崎くんは真面目だなぁ。てかさ、別に俺怒られるようなことした? 君たちが付き合ってるからそれを応援しようとしただけじゃん?」


「山田先輩が応援?」


「そっ! なんか君たち見てると面白そうだしさ、少しからかいたくなったんだよねぇー」


 やっぱり山田先輩が何を考えているのか分からない。まあ、俺たちに嫌がらせをしているのは確かだろうけど。


「山田先輩、もうこれ以上私たちの噂を流すのはやめてください。私はともかく、天崎くんにも迷惑がかかります」


 終始おどけている山田先輩に対して、千歳は冷たい声でそう言った。こんな風に素っ気ない千歳は初めて見る。

 しかし山田先輩は肩をすくめると、


「あっれー? でもおかしくなーい? 昨日、付き合ってるって言ったのは千歳さんの方じゃん? それなら俺が別に噂を流そうが悪くないよねー?」


「だから昨日は……」


「昨日は何? ここではっきりさせようよ。もしも二人が付き合ってないなら、あの噂を流すのはやめる。けど付き合ってんなら隠す必要ないよね? ねえ千歳さん、本当はどうなの?」


 ここで正直に話せば、あの噂はもう流れなくなる。

 すぐには噂も消えないだろうけど、ちょっとずつ誤解を解けば、いつかは嘘だって分かってもらえる。


 だからここで正直に話すべきだ。


「わ、私は天崎くんと……」



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