第18話 怪異案件

 陸は朝食を済ませてから戦闘服に着替えると、同じく身支度を整えた観月みづきと共に、「怪異戦略本部かいいせんりゃくほんぶ」内にある、真理奈まりなからのメッセージで指定された会議室に向かった。

 時間には少し余裕があったものの、陸は会議室の扉を開けた。室内には、既に会議用テーブルに着席している者たちがいる。

「おお、来たか。とりあえず、座ってくれ」

「おはようございます」

 陸たちの姿を見て声をかけてきたのは、いつもの戦闘服姿の来栖くるすと、術師の装束に身を包んだ桜桃ゆすらだった。

 更に、もう一人、術師の格好をした男が陸たちに目礼した。陸にとっては初めて見る人物である。

 年齢は二十九歳の来栖と変わらないくらいだろう。長く真っすぐな黒髪を首の後ろで束ねた、やや神経質そうな印象の男だ。

「おはようございます。……今日は一体、何があるのでしょうか」

 椅子に腰掛けた観月みづきが、おずおずと来栖に尋ねた。

「急に呼び出した形になってしまって、すまない。警視庁から『怪異案件』が持ち込まれることになったんだが、その捜査人員として、俺が観月みづきを推薦したんだ。任務を覚える、いい機会だからな」

 「怪異案件」と聞いて、陸は前日に戦闘員の元宮から聞いた話を思い出した。

「そうなんですか? あの、自分は何をすれば……」

 来栖の説明を聞いた観月みづきは、憧れの上官から指名されたという緊張と興奮が相俟あいまったのか、頬を赤らめている。

「まず、警視庁から担当者が来るから、彼らから事件についての説明を聞くこと。具体的な任務については後で俺が説明する。……それと」

 言って、来栖が陸に目を向けた。

冷泉れいぜい三佐からの要請だが、外部の者に対しては、風早かぜはやくんも、俺の部下ということにしておくから、話を合わせて欲しい。君が『使い魔』扱いだというのは秘匿事項だからな」

「分かりました。俺は、黙っていたほうがいいですね」

「話が早くて助かる」

 陸の言葉に、来栖の口元が少しほころんだように見えた。

「ところで、そちらの人は?」

 陸は、術師の男を見た。

「ああ、風早かぜはやさんは初めてですよね」

 桜桃ゆすらが、思い出したように言った。

「術師の伊織いおりさんです。この案件の捜査責任者の方になります」

きのと級術師の伊織いおり佳周よしちかです。桜桃ゆすらくんの御祖父様である花蜜はなみつ無常むじょう様の弟子でもあります。以後よろしく」

 桜桃ゆすらに紹介された伊織は、そう言いながら、狐を思わせる切れ長の目で、値踏みするかのように陸を見た。

「なるほど、君がコードネーム『ヤクモ』ですか。たしかに、『人間』の魂と『怪異』の魂の二つが、その身体に宿っている……君が、そうなった経緯は聞いています。しかし、勘違いしないほうがいいですよ」

「勘違い?」

 唐突とも思える伊織の言葉に、陸は面食らった。

桜桃ゆすらくんは優しい子です。君を『使い魔』ということにしたのも、君のような境遇の者を見過ごせなかったでしょうからね」

「はい、花蜜はなみつさんは優しい人です。それはもう、そう思いますし、大変感謝しています」

 陸が一も二もなく同意すると、何故か伊織は鼻白はなじろんだ様子で口をつぐんだ。

 その時、会議室の扉が開き、真理奈が二人のスーツ姿の男たちを伴い入ってきた。

「皆さん、全員集まっていますね」

 一同の顔を見回して、真理奈が言った。

「警察で捜査中だった事件が、『怪異案件』の可能性があると判断された為、捜査権が『怪異戦略本部かいいせんりゃくほんぶ』に移されることになりました。あなた方には、その捜査にあたってもらいます」

 スーツ姿の男たちは警視庁から来た刑事であると、真理奈から紹介された。

 警部と呼ばれる、見るからにベテランの風情を漂わせた男が、室内に設置されたモニターに資料を映しながら、事件について説明し始める。

「……陸、あの伊織とかいう術師、虫が好かんな」

 突然、陸の脳内にヤクモの声が響いた。

「どうしたんだ?」

 陸は声に出さず、心の中でヤクモに話しかけた。

「あの男は、自分が桜桃ゆすらと親しいことを『あぴーる』して、『まうんと』を取ろうとしていたのである。感じが悪いのである」

「そりゃ、花蜜はなみつさんの御祖父おじいさんの弟子なら、彼女とも親しいんじゃないかな」

「そうではなくて……彼奴あやつは、桜桃ゆすらの近くにいるであろう陸が、彼女と親しくならぬよう、牽制していたのである。その心根が好かんのである」

「ああ、それで、ああいうことを言っていたのか」

 ヤクモの言葉で、陸は伊織の言動が腑に落ちた気がした。

彼奴あやつは『まうんと』を取って、陸を、くちしがらせる心積こころづもりだったのである。その目論見は叶わなかったようであるがな」

「俺が鈍くて、がっかりさせちゃったのか」

「うむむ……陸は他人の悪意に気付かな過ぎるのである。其方そなたが善良ということでもあると思うが」

「なんか、ヤクモも人間みたいなことを言うようになったね」

「ふむ、これも其方そなたらと一緒にいる所為かもしれぬな」

「でも、俺のことを心配してくれてるんだ。ありがとう」

もっともなり。其方そなたわれの大事なうつわぞ」

 ヤクモの口調に、どこか照れを感じて、陸は笑いをこらえた。

 刑事たちの説明によれば、今回の「怪異案件」は、当初「通り魔事件」として捜査されていたという。

 限られた区域で、通行人が突然負傷させられる事件が相次いでいるにもかかわらず、犯人を見た者は、被害者の中にさえ誰もいないという。

 唯一、犯行の現場を捉えた防犯カメラの映像には、何の前触れもなく流血する通行人の姿は映っていても、やはり犯人の姿は確認できなかった。

 その為、警察は、この事件が「怪異案件」である可能性が高いと判断したという訳だ。

「典型的な『怪異案件』ですね」

 事件の説明を終えた刑事たちと真理奈が会議室から出ていくのを見送ってから、伊織が言った。

「私と桜桃ゆすらくん、二人もきのと級術師がいれば十分ですが、戦闘部隊の方たちは我々のボディガードとしてでも付いてきていただくということで」

 彼の言葉を聞いた観月みづきが、何か言いたげに来栖の顔を見上げた。

 しかし、来栖は「今は何も言うな」とでもいう様子で肩をすくめている。

「大した自信であるな。われは高みの見物といくか」

 不意に響いたヤクモの声に、伊織が陸を見つめた。

「ほほう、これが『怪異』のほうの『ヤクモ』の声ですか。なかなか生意気そうですね」

生憎あいにくと、われは人間の礼儀は知らぬ。よって貴様にも無礼と感じる物言いをするかもしれぬが、まぁ許すがいい」

 ヤクモの言葉に、伊織を除く四人が、思わず、くすりと笑った。

「ヤクモは、少し口が悪いかもしれませんが、いい子なんですよ。もちろん、風早かぜはやさんもい人ですけどね」

 桜桃ゆすらに微笑みかけられて、伊織も笑顔を見せたものの、その頬は少し引きつっているようにも見えた。

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