第16話 引越しと同居人

 しばらくの間「怪異戦略本部かいいせんりゃくほんぶ」に併設された研究施設に間借りしていた陸だったが、本格的に「対怪異戦闘部隊たいかいいせんとうぶたい」と共に任務に就く為、戦闘員たちが暮らす宿舎へと移動することになった。

 もっとも、宿舎は「怪異戦略本部かいいせんりゃくほんぶ」の敷地内にあり、移動距離自体は大したことがないと言えるだろう。

「私物、それで全部ですか? 片付けるの手伝いましょうか?」

 あてがわれた二人部屋で、同室になった観月みづきが、引越し作業をしている陸に声をかけてきた。

「ありがとう、すぐ終わりそうだから大丈夫だよ」

 陸は、微笑みながら答えた。不要なものは処分するか貸しロッカーに預けてある為、宿舎の部屋に持ち込む荷物は多くなかった。

 掃除の行き届いている室内には、二人分の寝台の他に、小さなデスクや私物を収納するロッカーなどが設置されている。

「同室だった先輩が退職して、少しの間は一人部屋が満喫できると思ったんですけどね」

 言って、観月みづきは肩をすくめた。

「な、なんか、ごめんね」

「『戦闘部隊』の宿舎は家賃や光熱費、それに食事も無料だから、一度入居したら、かなり階級が上がるとか結婚するといった事情がなければ、住み続ける人も多いんですよ。だから、意外に空きが出にくいんです」

「そうなんだ。でも、危険な仕事をしているんだから、それくらい優遇されていても、おかしくないよね」

「荷物の整理が済んだら、宿舎の中を案内します。来栖くるす一尉に言われたので」

 初めて顔を合わせた時に比べると、観月みづきの態度は、かなり軟化しているように、陸には思えた。

「そういえば、部屋に冷蔵庫や電気ポットはあったけど、キッチンが無いんだね」

 宿舎の廊下を観月みづきに案内されながら、陸は呟いた。

「食事が出るから必要ないということですね。食堂に共用の電子レンジがあるから、冷凍食品を解凍したい時とかは、それを使ってください」

「そうか。仕事で疲れて帰っても自炊しなくて済むのは、ありがたいね」

「風呂は、こちらに共用の浴場があります。清掃の時間でなければ、いつでも使用できます」

「広くて銭湯みたいだね。アパートのユニットバスは狭くて不便だったけど、ここなら、身体を伸ばして湯船に浸かれるな」

「あと、交替勤務で、昼間に仮眠を取っている人もいますから、廊下などの共用スペースでは、うるさくしないでくださいね」

 まだ二十歳にもならない観月みづきが、てきぱきと案内する様子に、陸は感心していた。

「想像していたよりは、ゆるい雰囲気だね。任務以外の時の服装なんかも割と自由な感じだし」

「あまり厳しくすると人が定着しないから、と聞いています」

 一通りの案内を終え、二人は自室へと戻った。

「俺、他人と生活するのは初めてだから、何かマズいことがあったら、すぐに教えてほしい。じゃあ、これから、よろしく」

 陸の言葉に、観月みづきは俯いた。

「……えーと、やっぱり、俺と同室だと気を遣うよね」

 陸が眉尻を下げて言うと、観月みづきは慌てて首を振った。

「あ、いや、別に、そういう訳ではないです。風早かぜはやさんこそ、俺に良い印象がないと思うので、その……」

「初めて会った時のことなら、気にしてないよ。君の事情は来栖さんから少しだけ聞いたけど、俺が良く思われないのは仕方ないと思ったし」

「そ、それもありますけど……八つ当たりしてしまったのが恥ずかしいというか……」

 観月みづきは、もじもじと決まり悪そうな様子を見せた。

「俺、風早かぜはやさんが来栖一尉や花蜜はなみつさんに優しくしてもらって、気軽に話しているように見えたのが羨ましくて……風早かぜはやさんが好き好んで今のような状況になった訳じゃないのも知っていたのに……」

 ――根は真面目で素直な子なんだな。

 自分の感情について正直に話す彼に、陸は好感を持った。

「来栖さんや花蜜はなみつさんのこと、好きなんだね。俺も、分かるよ」

 陸の言葉に、観月みづきの顔が少し明るくなった。

「……俺の両親は、『怪異』に襲われて亡くなったんです。俺も食われそうになっていたところを助けてくれたのが、来栖一尉でした。両親を殺した『怪異』が憎いというのもあるけど、来栖一尉みたいに誰かを救う人になりたくて、俺は『怪戦』に入ったんです」

「君は、凄いな。俺が君くらいの頃は、身体を張って人々を守る仕事に就こうなんて考えもしなかったよ」

風早かぜはやさんだって、凄いです。俺が同じ立場になったら、そんな風に平静を保っていられないと思います」

 そう言って、観月みづきは、はっとした表情を見せた。

風早かぜはやさんは、こんなことになったのを、ご家族には何て言ってあるんですか?」

「幸か不幸か、現時点で家族はいないから、その辺は問題ないんだ。両親は俺が小さい頃に事故で亡くなって、俺は母方の祖父母に育てられたけど、社会人になった年に二人とも亡くなったから、今は心配をかける相手がいないという訳さ」

 淡々と陸は説明した。

「そうなんですか……すみません、余計なことを聞いてしまって」

「いや、気にしなくていいってば」

 申し訳なさそうに肩をすぼめる観月みづきに微笑みかけながら、陸は、自分の家族のことを思い出していた。

 ――正確には、俺が祖父母に預けられたのは両親が亡くなる前……しかも、養子縁組までして姓も母方のものに変わってるんだけど……

 自分を祖父母の元に置いて背中を向けた両親を追いかけるも、「爺ちゃんと婆ちゃんのところにいなさい」と言われて、とぼとぼと引き返す――彼の最も古い記憶は、両親との別離の記憶だ。

 祖父母は、陸に聞かれない限りは彼の両親について話すことがなく、また尋ねられると困ったような顔を見せた。子供心に、祖父母を困らせたくないと考えた陸も、成長するにつれ両親について尋ねるのを避けるようになっていった。

 ――両親は多忙な技術者だったとは聞いている……俺の面倒を見られないほどに忙しかったのだろうか。

 心のどこかに巣食う、自分は両親にとって邪魔な存在だったのかもしれない、という思いが、陸を苦しめることもあった。

 両親と離れたのは物心つくかつかないかの頃であり、具体的な思い出は無きに等しいが、陸の中には、両親を愛していたという感情の記憶が、たしかに存在している。それゆえに、両親が自分の前から去ってしまった悲しみもまた、強く心に残っているのだ。

 しかし、祖父母は自分を両親の分まで愛してくれた。自分は幸せだったのだ――そう考えて、彼は、折に触れ頭をもたげる疑念を意識の奥底に押し込めていた。

「陸よ、われの紹介は無しであるか?」

 不意に聞こえたヤクモの声で、陸は思考の世界から引き戻された。

「ごめん、いるのが当たり前になっていて忘れてた」

 うっかりしていたと陸が笑っている一方で、観月みづきは目を丸くしている。

「それじゃ、ヤクモも観月みづきくんに挨拶して」

 陸は、そう言うと同時に、意識が身体の奥へ沈み込むのを感じた。

われは、この陸の身体の中にていこう者なり。名は覚えておらぬゆえ、与えられた名である『ヤクモ』と名乗っておる。よろしくなのである」

 陸の姿で話すヤクモを、観月みづきは驚いた表情で見つめている。

「すごい……ガワは同じだけど、中身が違うというのは分かる……」

「そこまで違うか? われが表に出ると、目の色が変わるらしいが」

 ヤクモが首を捻った。

風早かぜはやさんの時は、何となく、ほわ~んとしてるけど、『ヤクモ』の時は生意気そうに見える」

「陸が『ほわ~ん』としているというのには同意であるが、其方そなたのような子供から生意気そうと言われるのはせぬ。威厳があるとか、もう少し言い方があるであろう」

 観月みづきの感想を聞いたヤクモは、不服そうに唇を尖らせている。

「俺だって今年二十歳になるし、とっくに成人しているが?」

其方そなたこそに生意気なる子供であるな」

「だから子供じゃないって! 風早かぜはやさん、何とかして下さいよ……」

 二人のやり取りに、陸は体内の奥底にいながら、思わず笑いを漏らした。

 同居人になる観月みづきとも、陸は、思いの外うまくやれるかもしれない、と感じていた。

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